・原作「人間がいっぱい」は1966年とのことだが、映画は1973年。舞台は2022年なので、ほぼ50年前の50年後を見ることになる。なかなかじじくさい。
・昔々、スクウェアが輝いていたころに、「ゼノギアス」というPSソフトがあってじゃな……。
・ということでラストの衝撃は特になく、発端となったサイモンソンが悔恨していたというが、あーあれね、と。
・むしろ楽しめたのは、映像のソリッドさ。まずアバンタイトルにて、都市化の過程を、無数の写真を羅列することで表現するセンス。
・次に50年前の50年後の未来感。「卒業」(1967)以来つい着目しまうのが、プラスチックの浸透度。むしろこの作品では、紙袋ではなくビニール袋を出すことで未来の表現にしていたのでは。また金持ちのインテリアにブリキ、鉄、ガラス、ではあくプラスチックが多そう。
・内容についていえば、主人公がとにかくいけ好かなくて辟易。とにかく捜査先のモノを堂々とガメる。態度が不遜。常に汗ばんでいて臭そう。もちろんどん詰まりの生活を表現するためだろうけれど。
・で、その嫌悪感と裏腹に、石鹸、本物の肉、ジャムのついたスプーン、などに喜ぶ姿は、独特の印象あり。
・女性? 愛人? を「家具」と呼んで、当然のように性交を求めるあたりも、あー本当に物資の払底したディストピアなのねと。
・パソコンやネットやどうなってるんだろう。あるいは本が重要視されて、読書集団の爺さん婆さんが昔の本を読み込むあたり、テクノロジーの潮目に想像された未来像という感じか。
・連想や参照できそうな作品は、ゴダール「アルファヴィル」(1965)、フランソワ・トリュフォー「華氏451」(1966)、リドリー・スコット「ブレードランナー」(1982)、マーガレット・アトウッド「侍女の物語」(1985)。
・ソーンは老人ソルと同居しており「愛してる」とお互いに言うのでゲイかと思いきや、女を弄ぶ。このへんどういう設定なのかしらん。
・というのも、自ら安楽死のため「ホーム」に行くソルのシーンが、結構印象深い。ここがむしろ現代性を帯びているのではないか。
・最後、ガバガバ警備の工場にて、死体袋がオートマチックに運ばれていくのは確かに不気味だが、今となっては古いイメージ。しかもラスト「ソイレント・グリーンの原料は**だ!」と叫ぶカットで終わるが、ネタバレを知っていても、そんなに驚くことかねと考えてしまった。
・ネット上で知ったが、筒井康隆が、ここで叫ぶのは馬鹿。受け入れる姿こそが怖いのに。と言っていたらしい。確かに。
・やはり衝撃のラスト、よりは、生活の端々の描写が面白かった。