親鸞(しんらん) 激動篇(下) 【五木寛之ノベリスク】 (講談社文庫) [Kindle]
- 講談社 (2013年6月14日発売)
- Amazon.co.jp ・電子書籍 (306ページ)
感想・レビュー・書評
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とうとう読み終えてしまった。 越後訛りの台詞が、また一層沁み入る。完結編はまだ新聞連載中? 書籍化がとにかく待ち遠しい。
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親鸞の生きた時代は天変地異が頻繁に起こり人々は食べることにも苦しく、わらをもつかむ思いで親鸞の説く浄土真宗にすがった。正しいことを説く人々の陰には親鸞の言葉を真に理解できなかったり、またそれを利用して悪事を考え、黒念仏なるものも生まれた時期があったようだ。
黒念仏の部分は現代のオウム真理教などを思い起こさせる。時代は幸せであってもまた別の心の痛みや悩みを抱える人々がいる。正しいものを信じていくことが大切で、そうでなければ自分自身を信じるのがいいと思う。
一つ疑問なのは、私は死後に自分がどういうふうであるかは考えない。それより、今現在と生きている間に幸せをもたらしてくれる教えのほうがいい。 -
親鸞上人の生涯の中期を描いた「激動編」。
京都を追放され、越後で家族を抱え、悶々としながらも、時には確信し、時には激昂し、時には涙し、基本的に悶々としてと、非常に人間らしい親鸞上人が描かれています。
展開として少し飛ばし気味な気もしますが、本当に読みやすく、人物像を掴みやすい物語だと感じました。
次章が楽しみです。 -
越後で生活する日々の中、親鸞に子が誕生し、関東は常陸の国へ移り念仏の道を探る親鸞。この巻で若き日の懐かしの面々が再登場し色々あったものの、30代から60代へあっという間に過ぎてしまって急ぎ足の感じがしました。あの方々は親鸞より随分年上のはずなのに、衰えを知らぬ老人パワーはやっぱりここでもリアル離れかなw。親鸞の娘(養女)の恋心に我を忘れ荒れる所などは、真摯に仏教・念仏に取り組んでいても机上の事で、本物となっていないのかな?親鸞まだまだだな~と、不敬にもチョットがっかりw。