漢文の素養~誰が日本文化をつくったのか?~ (光文社新書) [Kindle]

著者 :
  • 光文社
3.73
  • (2)
  • (4)
  • (5)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 56
感想 : 6
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・電子書籍 (217ページ)

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 「漢文の素養」は、漢文が日本文化形成に果たした大きな役割を解き明かした好著です。著者の加藤徹氏は、漢文を通して古代から近代にいたるまでの日本文化の重層的な様相を鮮やかに浮かび上がらせています。

    本書の白眉は、漢文が単なる外来文化ではなく、日本人によって能動的に受容され、日本的状況に合わせて変容を遂げてきた過程を描き出した点にあります。政治、宗教、文学など、様々な分野における漢文の影響力が具体例を交えて明快に論じられています。

    加藤氏は、漢文が日本の知的伝統の中核を成してきたことを力説します。同時に、そうした伝統を継承しつつ、日本人なりの創意工夫を重ねてきた努力にも光を当てています。いわば「日本的な漢文化」の形成過程がここに描かれているのです。

    一方で、戦後の漢文教育の衰退を惜しみつつ、漢文から見える日本文化の普遍性と独自性を改めて提起しています。古典に対する深い畏敬の念と、若者へのメッセージが随所に感じられる点も印象的です。

    まさに生きた漢文の実践者である著者ならではの豊かな内容に、読者は満足するはずです。日本文化の根源に迫ろうとする意欲的な試みといえるでしょう。

  • 太古の時代、日本人がそろそろ文字が必要となった頃、お隣の中国はすでに漢字を使った文字体系を確立していた。そのため、日本ではこれを取り入れ話し言葉は日本語(その頃風なら倭語か)書き言葉は漢文というスタイルを取った。このことが日本語にとって幸なのか不幸なのかは人によって意見が異なる事は本書にもあるとおり。高島俊男は「漢字と日本人」で不幸なことと決めつけている。本書では幸とする。

    日本人の書き言葉の最初に漢字があったことが幸なのか不幸なのかは別として日本語は常に漢字とともにあったのだから、日本語を語るときに漢字は抜きにできない。

    本書では日本の歴史、文化の中で漢文が果たした役割を紹介する。二〇〇〇年前に「威信材」として漢文がされ、中世から近世にかけては「生産財」として機能してきた漢文は、現代では「消費財としての教養」となっている。筆者の言いたいところは現代でも漢文は「生産財としての教養」となり得ると言うことのようだ。

    果たしてそうだろうか?”日本の古典”としての意味で漢文を勉強する事に意義はあると思う。漢籍を学ぶことが日本人としての素養であった時代が続いたし日本文化はそれを元に発展して来た。また、漢字を使いこなすことで日本語の表現を豊にできる事は今でもそうであろう。しかしながら漢字を使って豊にした日本語の表現を理解できる人は今では限られてきたいる。むしろ持って回ったいい方ととらえられたり、場合によっては曲解を招きかねないのである。

    漢詩・漢文も悪くはないが、残念ながら今となっては趣味・「消費財としての教養」以上のことを求めることは難しい。

    筆者は今の日本の教育では、英語はコミュニケーションの道具として教えられるが漢文はそうではないと嘆くが、漢文がコミュニケーションの道具として使えると考えるのは今となっては筆者の妄想以外になにものでもないと考える。なんといっても中国のしかも古文なのである。ヨーロッパにおいてラテン語をコミュニケーションの道具として使えと言うのと同じである。学校教育で漢文を教える意味は現代でもあるとは思うが、中等学校までの義務教育でこれを教える意味はさすがになくなったのではなかろうか。ただでさえ、私たちが子どもの頃に較べると新に学ばなければならない事が多くなっている中でである。

    とまあ、批判的に述べてみたが、かといって本書の価値がそれで下がることはなく、前出の「漢字と日本人」と併読してみると漢字と日本人、漢字と日本語の歴史が理解できると考える。

  • 日本の漢文の歴史や特徴などを述べる。

  • 日本における漢文(漢字に非ず)の受容史というか、漢文から見た日本の歴史というか。漢文がいかに日本の政治・外交に影響を与えてきたか、それを日本人はどう咀嚼してきたか。日本の歴史における極めて長い期間、漢文を読むという行為は、そのまま国際的な知識・最先端の知識にアクセスすることと同義であったことがよくわかる。
    そして、「中流実務階級」という社会階層が、日本における漢文文化を支えてきたという。一握りの貴族階級と大半を占める庶民との間、高度な知識を持って実務を処理する官吏たち。その役割を担うのは時代によって僧侶であったり武士であったりしたわけだが、共通して漢文の素養を身につけてきた。中流実務階級の知識と実務能力は漢文によって獲得されるものであり、漢文は必須の「生産材としての教養」であった。
    それが、大正以降の100年で一気に捨て去られ衰退し、学校でちょろっと習うだけになった。これから先、漢文が必須知識になることも、再び漢文が生産材として復活することもたぶんない。とはいえこうして漢文の文化を捨て去ることが日本にとって良かったのかどうか、難しいところではある。

  •  中国から輸入された「漢字」と中国語の表記である「漢文」が日本でどのように広まり学ばれ使われるようになったか、その歴史を解説した一冊。おおまかには知っているつもりだったが知らないことも多数あって、良い刺激になった。

     最初に日本に漢字が伝わってから日本人が自分で漢文を書くようになるまで何世紀かの時間がかかっており、その間は装飾の一種として使われていたという。意味もわからず英語が書かれたTシャツを着るような感覚だろうか。

     そして日本人が漢文を書くようになってすぐ「日本式の漢文」が生まれたという。日本語の言い回しに引きづられて中国語としてはおかしい表現になっている漢文で、『古事記』もそういう部分が多いとか。最近で言えば「偽中国語」などというものがあり、日本人のそういう発想は昔から変わっていないのかもしれない。

     漢文訓読の方法が発展していく過程や、中国で禁書となっていた本が日本では堂々と出版されていたなど、面白いエピソードがたくさんあった。聞いたことのある書物や人物が多数登場するが、日本史と中国史に関する自分の知識がもっとあれば、より楽しめそうな気がする。

全6件中 1 - 6件を表示

著者プロフィール

1963年生まれ。明治大学法学部教授。専攻は中国文学。主な著書に『京劇――「政治の国」の俳優群像』(中央公論新社)、『西太后――大清帝国最後の光芒』(中公新書)、『貝と羊の中国人』(新潮新書)、『漢文力』(中公文庫)など。

「2023年 『西太后に侍して 紫禁城の二年間』 で使われていた紹介文から引用しています。」

加藤徹の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ヴィクトール・E...
ミヒャエル・エン...
劉 慈欣
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×