- Amazon.co.jp ・電子書籍 (154ページ)
感想・レビュー・書評
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人生即努力、努力即幸福。
著者は人生を"行"として考えていたように思われ、その内容は深い。これこそが真のスピリチュアルだと思う。
著者は25歳にして人生計画を作り上げ、後はその微修正だけで人生を過ごした。それは弱冠25歳にして、自分というアイデンティティーが確立していたということか。
ある意味、その後の経験による変化、成長がなかったのかと気がしないでもない。が、ここでは生まれつき"本質"を見抜く能力が備わっていたため、という風に考えたい。
解説を本田健氏が書いているが、どうも違和感を感じる。淡水魚と深海魚くらい違うと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
時代が違うので共感できない部分があったものの、本質的な考え方は参考になるところがあった。
人生を楽しむことを第一とし、そのための仕事、財産管理、人間関係、人生計画があるのだ。計画は今の自分よりも少し高く、だか向上・前進すれば達成可能なレベルに設定することで人生が好転するのだ。 -
老後の過ごし方と計画の立て方の勉強になりました
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収入の四分の一を貯蓄にまわす。
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堅実に生きるとはこういうことだ!という感じ。
人生を20年ごとに区切り、各場面でどう生きていくべきかを説いている。何よりもまず資産を蓄えて憂いをなくすことを説いているところに共感。多くの人間にとって、他人のためにどうこうというのは自分の心配がいらなくなってから。
私はまだ31歳なので老後のことはわかりませんが、その時期の子孫との接し方、距離感なども具体的に述べられており、面白い作品。 -
ネットサーフィン中におススメ記事を拝見し、Kindleで購入しました。
「我が人生、唯一無二の指南書!」的な薦め方に押されたところがあり、
「何かまだ私の知らない生き方の秘術が書かれているのでは?」
という点を期待して読んだため、楽しんで読む事ができませんでした。
「なんか難しそうな古典(?)を読んだ以上、絶対に自分は成長するはず」
という思い込みの支配から最後まで逃れられなかったな、という感じです。
本書の内容そのものですが、昭和27年刊行とは思えないくらい
今も通じる考え方が盛りだくさんです。
本書の古い箇所を手直ししまして、
「たった一つの人生の、大切な大切な道しるべ」
といったタイトルにでも改題して販売すれば、今でも結構売れるのではないでしょうか?
(すでに発刊されている生き方に関する多くの著作の種本である気もします)
明治、大正時代の働き方は
「貧しい日本、富める欧米諸国を目指してみなガムシャラ」
というイメージを何となく持っていましたが、
この当時、すでに
「職業の道楽化(仕事が面白くてたまらない状態)を目指す」
という考え方があったことは驚きでした。
考えてみれば当たり前なのですが、
時代を問わず、人間にとっては「働き方」を考えることが
人生を考えることにそのままつながるのだなぁ、と感じました。 -
私が生まれる前には、とっくに亡くなっている著者だがとても面白かった。
書き方は癖があり独特なので読みにくい。
それでも読んでいくうちに理解はすすんでいった。
古い価値観をとても感じるが、タメになることは多々書かれていた。
とても真面目な生き方を書かれている。
若いころから着実に貯蓄をしていくことの大切さを説いている。 -
本多静六 3部作 2冊目。3部作としては 3冊目で、遺稿を孫や友人らが編み直したもの。「物事には計画が必要。いわんや、人生においておや」という観点から、就学、就職、結婚、勤労、隠居(今風に言えば、retirement か)までの心得を説く。いかにも人生の達人らしく、「長所と交われば悪友なし」「(年老いてからは)教訓をたれるのではなく、物語を語れ」など、洞察鋭い金言が多い。
その結婚観にはやや時代がかったところがあるという批判があるかもしれないが、個人的な感想としては、21世紀の今読んでもまったく遜色無いどころか、むしろここに回帰すべきと思われる。中卒就職のメリットを説くのも、今の時代に似わないという意見があるやもしれないが、しかし、学究の意図が無いにもかかわらず万人が何の疑いもなく大学進学を目指す(しかも、4年間遊んだ挙句に就職ができないと騒ぐ)昨今の風潮に照らせば、いちいちうなずくことばかり。
戦後、資産の安定運用が困難になったことから、老人難渋の時代を予見しているのも、「老後破産」が社会問題となっている今日から見ると慧眼を通り越して空恐しいばかりの黙示録だ。 -
人生は、生ある限り、これ全て、向上への過程でなくてはならない
しばらくは距離をおこうと決めていたこの手の自己啓発本、kindleの未読ライブラリーにまだ残っていたので、読んでみました。
「生き方」でもそうでしたが、やはりピンときませんでした。距離を置きたいとは思いつつも、何か琴線に触れるものがあるのではないか、と思って読んでいる自分がいます。