- Amazon.co.jp ・電子書籍 (238ページ)
感想・レビュー・書評
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読むまでは、リア王という題名からして勝手に暴虐非道の王がおそろしい粛清や惨殺をする物語なのかなと漠然と思っていたが、いざ読んでみると娘たちに愛情の確認をしたり、狂ってしまったりと、人間的弱さを抱えた王だった。
わしらはみんな、この世に生まれて、道化ばかりの、この、世界という、大きな舞台に放り出されて、泣いたのじゃ。
というセリフは心を打つ。
グロスター親子のサブプロットも骨太であり、正気を取り戻したエドガーとエドマンドの最後の対決も手に汗にぎる見せ場だった。
17世紀初頭の時点でこういう複眼的な物語構成を組める脚本家となり、なおかつ役者として出演もし、地球座の経営幹部もやるという万能さ。
シェイクスピアがいかに卓越した「とんでもない何でも屋」だったか、巻末でもしっかり解説してくれるのが良い。
何がきっかけで彼はロンドンへ出て舞台脚本家になったのか、
五年足らずで才能が開花した原因はグラマースクールでのラテン語と文学修養のほかに何かないのか、
ストラトフォードの妻子との結婚生活はどうしていたのか。
実在していたのは間違いないけれど、ほどほどに謎めいているのがまた良い。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本編は読み通せなかったが、解説のシェイクスピアによる底本からの改変の解説は面白かった
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古典を読もうと思ってKindle Unlimitedで。
結構しんどいときになぜ四大悲劇を選んでしまったのだ。わたしは…。
シェークスピアというのは人間の醜い部分を出すのがすごいな。本当にいい人もぶっ殺す。悲劇でしかない。いいとかわるいとかが関係なく悲劇は起こっていく。
そして誰もいなくなる勢い。
親子ってなんだろうね。これ中世の身分の高い王族の親子のいざこざのはなしなわけだけど、現代社会においても違和感なく受け入れられちゃうこの感覚はなんなんだろう。時代と文化を越えて頷いてしまう自分がいるわけだ。
でもここにいる人たちは真剣だよな。真剣すぎて王に死ぬ気で苦言を呈したり、怒りで気が狂っちゃったり、自分を殺して別人格になりきったり、目玉くりぬかれても信念を貫いたり。半端ねぇ。
光文社古典新訳文庫のいいところは、シェークスピアの生涯もしっかり解説してくれているところ。あとがき充実。訳している方も何度もシェークスピアの作品を上演されている方なので、リアルな劇という見方が出来る一冊。
おすすめ。 -
利巧にもならねえうちから、歳取っちまっちゃいけねえよ
必要?必要だと?ええい、必要など持ち出すな!どんなに卑しい乞食であろうと、いかに下らぬ者であっても、必要以上の物は必ず身につけておる。
子が親に背く!わしの口が、食物を持ってきたわれとわが手を、噛み千切るようなものではないか。
人間とは、たったこれだけのものなのか?よおく見ろ、こいつを。蚕に絹を借りてもおらぬ。獣に皮を借りてもおらぬ。羊から毛も、猫から麝香の香料を借りてもおらぬ。
文明の皮を剥ぎ取れば、人間、たったこれだけの、素裸の、哀れな、二本脚の動物にすぎぬのか。
たった1人で苦しむ者こそ、もっとも深く悲しみを思い知るもの。
いたずら小僧が、ただ戯れにセミやトンボを殺すように、神々は、わしら人間を、おもちゃになさる。
今のこの、乱れた世にはふさわしかろう。気違いが、盲人の手を引く。
帯から上は人間でも、神々がお造りになったのは上半分だけ、腰から下は化物だ。悪魔だ。地獄だ。
なんだ、気違いか、お前?目なぞなくとも、世間は見える。耳で見ろ。
犬ですら、いったん役職についたとなれば、人間を従わせる権威をもつのだ。
耐えねばならぬ。耐えねばならぬ。この世に生まれ落ちた時、わしらは泣いた。はじめてこの世の空気を嗅いで、わしらは泣いた。
わしらはみんな、この世に生まれて、道化ばかりの、この、世界という、巨きな舞台に放り出されて、泣いたのじゃ。
なぜだ、なぜ、犬にも、馬にも、ネズミにさえ、命があるのに、お前にだけは、もう、息が、ない。 -
さすがに面白い。人物の名前が覚えにくいのはいたしかたないか。
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読みやすい新訳でさくさく楽しく読める。だがリアがゴリネルに追い出されるシーンあたりまで読んだところで、リアがなぜこんなに愚かで幼稚なのか、なぜ不遇に扱われた臣下がそんな王に忠実でいられるのか、この物語は何を言いたいのかが理解できなくて、ネットや解説を先に読んでみた。
一説によると、リアは家父長制の価値観を持つので彼の行為や思考...王の「位」以外の財産などを子に全て譲り、子は王をこれまで同様に大切にするし王の権威は変わらないとする...はリアにとっては自然なこと。一方娘達は家族より個人の欲望や思いを大切に思う新たな時代の価値観を象徴しているらしい。この「旧時代」対「新時代」がぶつかる運命の物語というのが「リア王」であり、それはただ愚かな王の招いた悲劇なのではないのだそう。
また訳者の解説("解題")には「単なる勧善懲悪の教訓的な劇に終わらず<略>巨大な悲劇である所以は、有無をいわさぬ理不尽の深さ、その衝迫にあるのではないだろうか」とあって、ちょっと納得した。
そしてそれらを踏まえて残りを読んだ。
なるほど、コーディリアの、嘘をはらんだ美辞麗句に対する嫌悪感も、姉達の欲望も、同じ"個"や"物質"時代のものという意味で対等だと思う。そして、愚かで幼稚な王を、愛情深い末娘は子として(一族の長へというのではなく)愛し、臣下は氏族家父長制の主人として無条件に命懸けで守って差し上げるということだ。主人が尊敬に値する人物かどうかなど、忠誠心には関係ないのだ。
時代劇が好きな私にも、もはやこの気持ちはわからない。思い返してみれば、現代(現在2017年)の"時代劇"では忠実な家来を持つボスはひとかどの人物なのである。今の私達にとっては、封建制がそこまで化石となりつつあるのだと思う。現代の個人主義はこれまでの人類の歴史の中でも科学と同じくらい突飛なものであるのかもしれない。 -
【印象】
骨肉と甘言と誠と。
容易に騙される人間の末路。その苦しみと、それらに寄りそう人間の姿がありありと描かれています。
【類別】
戯曲。
悲劇。
【脚本構成】
五幕構成。
親子、兄弟姉妹に関して重層的に語られます。
エア裁判の部分が好きです。自殺未遂者と野草の花の冠をいただく者との場面も好みです。
【表現】
惹かれた台詞は「この私こそ、真実を示す的の中心」「では、朝になったら、晩飯とするか」「たった一人で苦しむ(中略)記憶の彼方」「名はない。謀叛人の牙に噛み砕かれ、食い千切られた」「天も落ちよ、時も止まれ」。
【備考】
このレビューはアマゾンKindleストアにて2017年3月22日にダウンロードしたものの鑑賞に拠ります。 -
シェイクスピアを読むたびに感じるんだけど、かなり言葉遣いが汚い。原文で読んだことがないんだけど、そもそもがそういう言葉遣いで書かれてるのかな。