ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫) [Kindle]

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  • かの有名な「ソクラテスの弁明」、読んでるギリシア哲学史の納富さんの訳で読んでみたけどとても読みやすくて良かった!しかも内容やソクラテス、プラトンの解説が本文以上のボリュームでついているという超親切設計でびっくり。ソクラテスの思想を見るうえで「知る」と「思う」を厳密に区別するべきであるという解説、「無知の知」は適切ではないというところはなるほどと思った。
    Amazonで読めるし今後は光文社のシリーズでプラトンをいくつか読み進めていきたいなあ。

    死刑裁判にかけられるソクラテスの演説は、まず自分が大勢の人に憎まれているという状況を釈明するところから始まるが、自分の正義のもとに、死刑を避ける気はほとんど感じられなかった。若者を堕落させているという訴えに対して「一緒にいる人をわざと悪い人にしようとする(=自分の不利益になることをする)人はいない」という反論をするのはちょっと苦しいと思ったが。
    知らないことを知っているふりをやめろ、というのはそのとおりだと思うし、昨今の専門外のことにお気持ちで口出しをして炎上している人たちを見るにつけうんざりするのだが、だからといってソクラテスが好きになるとか、尊敬するという気持ちにはあまりならないのが正直な感想ではある。

  • この作品のタイトルは子供の頃から知っていた。おそらくどこかの文庫のキャンペーンのカタログに載っていたのであろう。当時そういうカタログを眺めて次に何を読むか考えるのが好きな子供であった。とは言え流石にこんな哲学的な本に食しが伸びるはずもなく,今頃になってkindle unlimitedの対象となっていることで手に取ることになった。
    本作は,古代アテナイの哲学者ソクラテスが彼を憎む有力者らから告発を受け,裁判において弁明を行うも,裁判員らの投票により有罪・死罪判決を受ける場面を描いたものである。本編は前半半分で,後半半分は長年の研究成果などを交えた解説,その内最後の20%ほどはプラトン哲学への入門者への見取り図となるような内容となっている。
    裁判と言っても,古代の未成熟な社会における未成熟な裁判であり,現代に生きる私としてはこんないい加減な裁判で人を市に追いやってよいのかと感じざるを得ない。告発文ですら内容の真偽の検証も行われず,弁明においても,ソクラテスの考えが力強く語られるのみで,語られた内容に対する客観的な証拠は何一つ提示されない。弁論によってのみ裁判員の心象を形成しそれで判決が決まるなんてありえない。しかもわずか一日で結審とか。
    告発を行った詩人メレトスがおろかで恥ずべき人物であるのは分かるが,あの弁明で裁判員がソクラテスの無罪に傾くとは思えない。後半の解説を読んだとしても,とても説得力が感じられない。しかも,ソクラテスがやっていたこととは,各界の有力者を訪ねて,その人が自分より知恵があるかどうかを対話を通じて吟味し,最終的には自分より知恵があるとは言えないと断定することを繰り返していたのだ。そこにはソクラテスの圧倒的な自信があり,それは控えめに言っても傲岸不遜と取られても仕方ないだろう。有力者にことごとく憎悪を向けられても仕方なかったと言えよう。
    「死」という知らないものを悪いものとして恐れるのは間違っている,とソクラテスは判決後に語るが,知恵の足りない私などの理解をどうも超越しているようだ。

  • 哲学の入門に、と読んでみたが自分には難しかった。

  • 弁論術の教科書として歴史的に有名だけれど、解説を読まないとわからない(読んでもわからんけれど)。。。

  • ソクラテスすごい!
    演説の流れと話し方から、知性と頑固な性格がハッキリと伝わってきた。

    自分の命がかかった裁判の場で、冷静に告発者の主張の中に隠された矛盾を突いていく様子にシビれた!。さらに、自分の無実を示すには今回告発をした数人の人物の誤りを指摘するだけではなく、長い年月をかけて人々に刷り込まれた誤解を解くことが重要であると考え、ソクラテスは限られた時間の中でそのことについても演説を行った。よくそこまで気が回ったなと思う。

    全体としてソクラテスが自分の罪を晴らすために弁明を行うというシチュエーションだが、話ぶりからはボリス全体に対するソクラテスの講義のようにも見える。果たして演説台に立ったソクラテスの心持ちはどのようなものだったのだろうか。

    なんとなくソクラテス=聖人というイメージがあったが、この本を読んで、頑固で人間味の溢れる一面を見ることができた。読めて良かった。

  • amazonで無料で読めたので挑戦してみた。

    有名な本なので名前は聞いたことはあったけど、実際にページを開いたことはなかった。

    ソクラテスが裁判にかけられて、そこでの弁明の内容を弟子の一人であるプラトンが書いたものである。

    ソクラテスが本当にそのように語ったかの真実は誰にもわからない。ただ、ソクラテスの真髄が本の内容に含まれているのは確かである。

    そういう古典を読むときには、巻末の解説から読むと非常に読みやすい。

    今回でも最後から読んで、本文を読む方が明確に理解度が違う。

    1番面白かったのは、『知る』と『思う』との違いについてだ。

    三角形の和が180度である事は、誰でも知っている。だが、本当の意味で知っている人は、おそらく100人中5人くらいではなかろうか。

    つまり、ソクラテスの知っているという行為は、証明できるという意味なのである。

    そして、自分は知らない認識する事が、新たにものを知ろうとするキッカケになる。それこそが、知を愛して求め続ける営みとしての哲学の出発点になるのだ。

  • お恥ずかしながら初めて読みました。紀元前400年以前の著作が綿々と引き継がれ、こうして読めることに驚きます。中味の解釈にはおおよそ勉強が足りないのでしょう。ソクラテス、プラトン、アリストテレスが直接の対話機会を持つ師弟関係であっことさえも知らなかったのです。この時代から、真理、正義、徳、美を探求していた。人類は進歩しているのでしょうか。

  • 平易な言葉使いで難しい論理を展開しているわけでは決してない。しかしながら、解説を読んでなんとか少しだけわかったようなきがするくらい奥が深い。自分としては普通この手の本にはてはださないところだが、プライムのタダ本にあったので読んだがやはり山は高かった。

  • 人はわかった気でいると、それ以上物事を知ろうとはしないもので、知らないと自覚するからこそ、より知ろうとするのだ。

    「無知の知」で有名なソクラテス。「知らないことを知っている」という一文は、「哲学する」ということの根本的態度を簡潔に現しているように思う。

    ソクラテスこそが一番賢明とする「デルフォイの神託」や、対話する相手を質問攻めにした挙句、その無知をあぶり出す「問答法」の性急な苛烈さは、詭弁術を駆使する口先だけのソフィストと比べても、論敵を論破する気持ちの良さより、「なんかうざいおっさんだな」という不愉快な印象というか、品のなさを感じてしまうのは否めない。

    でも、その苛烈さは真実を求めてやまない情熱があればこそであり、一切のブレのなさには清々しささえ感じられた。

    弁明のため、そして減刑のために自らの主張を撤回することを求められたソクラテスは言い放つ。信念を曲げてまで思ってもいないことを言ったりしたりするのは悪いことだとわかっている。それに対して、死については(それがいいことなのか悪いことなのかすら)何も知らない。で、あるならば、なぜわからない死を恐れ、わかっている悪を働くのだと。

    2千年以上時を経た現代においても、説得力を放つ金言には驚嘆の念を覚える。さすがの古典。

  • 『ソクラテスの弁明』
    著者:プラトン(納富信留・訳) 発行日:2012/9/20
    評価:★★★☆☆  (所要時間:2時間)
    読破冊数: 18/100冊

    ■こんな人におすすめ
    ・哲学に興味がある人

    ■概要
    ソクラテスの生と死は、今でも強烈な個性をもって私たちに迫ってくる。
    しかし、彼は特別な人間ではない。ただ、真に人間であった。
    彼が示したのは、「知を愛し求める」あり方、つまり哲学者(フィロソフォス)であることが、人間として生きることだ、ということであった。(「訳者あとがき」より)。

    ソクラテスの裁判とは何だったのか?
    プラトン対話篇の最高傑作、ついに新訳で登場!

    この作品を読む方は「皆さん」と呼びかけられる裁判員の席に坐って、
    騒然とする野外の法廷でソクラテスの語りに耳を傾けている自分の姿を、想像してください。
    当日に裁判員に任命されたばかりの法廷で、何が起っているのかもよく分からないまま、
    告発者メレトスやアニュトスの訴えに耳を傾け、次に被告ソクラテスの言葉を聞いて、その場で票を投じなければならない。
    さて、その瞬間にあなたは、どんな目にあい、何を考え、どう行動するのでしょうか。
    『ソクラテスの弁明』は、私たち一人ひとりに、自分のあり方、生き方を問う作品なのです。 (訳者まえがきより)(amazonより)

    ■この本から学んだこと
    ・英語を無理やり日本語に訳した故かもしれないが
    読みにくく、文字を読んだものの内容の理解に時間がかかり、何度も読み返してしまう部分も多々あった。

    それでも面白い箇所が何か所かあった。

    「私はこの人間よりは知恵がある。
    それは、たぶん私たちのどちらも立派で善いことを何1つ知ってはいないのだが、
    この人は知らないのに知っていると思っているのに対して、
    私のほうは、知らないので、ちょうどそのとおり、知らないと思っているのだから」

    >確かに、しばしば人と話せば話す程、本を読めば読む程
     自分は何も知らないのだなという、絶対に埋まることのない知性の溝に成すすべなく呆然としてしまう。


    「死が善いものだという大いなる希望があることを考えてみましょう。
    (略)私は思うのですが、
    もし夢さえも見ないような深い眠りに就いているそんな夜を選び出して、
    自分の人生で過ごしてきた夜や昼と比べてみて、
    この夜よりも善く快い昼と夜を自分の人生においていくつ過ごしてきたかを
    考えて言わなければならないとしたら、どうでしょう。
    (略)もし死がそのようなものなら、私は、それは得なことだと主張します」

    >作品違いだが『すべてがFになる(森博嗣)』にも似たような描写があって
    それがとても印象に残っている。
    「どうして起きている今の方が現実と言えるのか。赤ん坊は眠りから覚めるときに泣くが
    それは現実から引き戻され、夢に引き入れられた不快感で泣くのではないか」と言ったような描写だったが。

    確かに深い眠りについている夜に勝る心地良さは、現実にほぼないのかもしれない。
    やはり呆然とする。

    いずれにせよ、
    どちらが現実かすら名言できずにいる私。
    これが無知の知なのか?・・・解らない。

    ≪目次≫
    まえがき
    1古くから告発への弁明、
    2新しい告発への弁明
    3哲学者の生の弁明
    4弁明の締めくくり


著者プロフィール

山口大学教授
1961年 大阪府生まれ
1991年 京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学
2010年 山口大学講師、助教授を経て現職

主な著訳書
『イリソスのほとり──藤澤令夫先生献呈論文集』(共著、世界思想社)
マーク・L・マックフェラン『ソクラテスの宗教』(共訳、法政大学出版局)
アルビノス他『プラトン哲学入門』(共訳、京都大学学術出版会)

「2018年 『パイドロス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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