嫌われる勇気 [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • あと8冊で1K冊。読友さん既読本、タイトルが気になった本。心理学3大巨頭の1人(フロイト【無意識】、ユング【分析心理】、アドラー【個人主体】)。人間は対等な関係だから、「健全な劣等感とは他者と比較ではなく、理想の自分と比較することで生じる」。うーん、分かったような、分からないような。「承認欲求などいらない、他者の期待などどうでもよい。自分が信じる道を選べばよい。他人が自分をどう感じているかは、他人のタスクであり、自分のタスクではない」。こういう人って嫌われているけど、実践して自分にいいことあるのかな?④

  • 図書館で借りた本。
    以前話題になっていたので読みたいと思っていた本。嫌われる勇気という逸脱なタイトルに惹かれ読破。アドラー心理学を用いた内容。青年と哲人の対話形式で話しが進んでいく。青年は割と最後の方までアドラーの考えを否定していたが、急に納得したみたいに話が終わったのは少し違和感。

    大まかに、他社貢献という大きな目標?を持ち、共同体感覚を持ち、自分は自分。他者は他者。自分が変われば世界も変わる。その為には勇気が必要。事細かく語れば色々あるが、ざっとこんな内容だった。個人的に衝撃だったのは、縦の関係でなく横の関係で物事を考えるというものだった。例えそれが親でも、上司でも何でも。
    確かにその方が生きやすそうではあるが。

  • アドラー心理学というものに初めて触れたが、はぁ?えー?うーん。なるほど、一理あるな。が度々ループしていた。
    カウンセリングに通ってる身として、アドラー心理学を受け入れるのはしんどいので、自分に都合の良いところをうまく活用していけたらいいのではないかと思う。

    以下読書メモ
    ーーーーーー
    ・人は誰しも、客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけをほどこした主観的な世界に住んでいます。

    ・問題は「なにがあったか」ではなく、「どう解釈したか」である

    ・アドラー心理学は、勇気の心理学です。あなたが不幸なのは、過去や環境のせいではありません。ましてや能力が足りないのでもない。あなたには、ただ"勇気"が足りない。いうなれば「幸せになる勇気」が足りていないのです。

    ・ 哲人では、どうやってその目的をかなえるのか?答えは簡単です。自分の短所を見つけ、自分のことを嫌いになり、対人関係に踏み出さない人間になってしまえばいい。そうやって自分の袋に閉じこもれば、誰とも関わらずにすむし、仮に他者から拒絶されたときの理由づけにもなるでしょう。わたしにはこういう短所があるから拒絶されるのだ、これさえなければわたしも愛されるのだ、と。

    ・孤独を感じるのは、あなたがひとりだからではありません。あなたを取り巻く他者、社会、共同体があり、そこから外されていると実感するからこそ、孤独なのです。われわれは孤独を感じるのにも、他者を必要とします。すなわち人は、社会的な文脈においてのみ、「個人」になるのです。

    ・ われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」なのだ

    ・ あなたのいうような因果関係について、アドラーは「見かけの因果律」という言葉で説明しています。本来はなんの因果関係もないところに、あたかも重大な因果関係があるかのように自らを説明し、納得させてしまう、と。たとえば先日も、「自分がなかなか結婚できないのは、子ども時代に両親が離婚したせいです」とおっしゃる方がいました。フロイト的な原因論から考えるなら、両親の離婚は大きなトラウマであり、自分の結婚観とたしかな因果関係を結んでいるのでしょう。しかしアドラーは、目的論の立場からこうした議論を「見かけの因果律」だと退けるわけです

    ・ たとえば自分が権力者――これは学級のリーダーから著名人まで、さまざまです―ーと懇意であることを、ことさらアビールする。それによって自分が特別な存在であるかのように見せつける。あるいは、経歴詐称や服飾品における過度なブランド信仰なども、ひとつの権威づけであり、優越コンブレックスの側面があるでしょう。いずれの場合も「わたし」が優れていたり、特別であったりするわけではありません。「わたし」と権威を結びつけることによって、あたかも「わたし」が優れているかのように見せかけている。つまりは、偽りの優越感です。

    ・ まず、行動面の目標は「自立すること」と「社会と調和して暮らせること」の2つ。そしてこの行動を支える心理面の目標が「わたしには能力がある」という意識、それから「人々はわたしの仲間である」という意識です。

    ・「何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか」

    ・意外に思われるかもしれませんが、カウンセリングを受けに来られる相談者に、わがままな方はほとんどいません。むしろ他者の期待、親や教師の期待に応えようとして苦しんでいる。いい意味で自分本位に振る舞うことができないわけです。

    ・ 勉強することは子どもの課題です。そこに対して親が「勉強しなさい」と命じるのは、他者の課題に対して、いわば土足で踏み込むような行為です。これでは衝突を避けることはできないでしょう。われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。

    ・他者から嫌われたくないと思うこと。これは人間にとって、きわめて自然な欲望であり、衝動です。近代哲学の巨人、カントはそうした欲望のことを「傾向性」と呼びました。

    ・ ここでもう一歩踏み込んだところを考えてください。もしも他者が仲間だとしたら、仲間に囲まれて生きているとしたら、われわれはそこに自らの「居場所」を見出すことができるでしょう。さらには、仲間たち―ーつまり共同体――のために貢献しようと思えるようになるでしょう。このように、他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを、共同体感覚という。

    ・「この人はわたしになにを与えてくれるのか?」ではなく、「わたしはこの人になにを与えられるか?」を考えなければならない。それが共同体へのコミットです。

    ・ ええ、対等すなわち「横」です。たとえば、専業主婦の方に「なんの稼ぎもないくせに」とか「誰のおかげで飯が食えると思っているんだ」と罵る男性がいます。「金銭的になんの不自由もさせてないのに、なんの不満があるのか」といった話も聞きますね。なんと情けない話でしょうか。経済的に優位かどうかなど、人間的な価値にはまったく関係ない。会社員と専業主婦は、働いている場所や役割が違うだけで、まさに「同じではないけれど対等」なのです。

    ・ おそらく彼らは、女性が賢くなること、女性が自分以上に稼ぐようになること、また女性から堂々と意見されることを怖れているのでしょう。対人関係全般を「縦の関係」で見ているし、女性から低く見られることを怖れている。つまり、強烈な劣等感を隠し持っているのです。

    ・一方の援助とは、大前提に課題の分離があり、横の関係があります。勉強は子どもの課題である、と理解した上で、できることを考える。具体的には、勉強しなさいと上から命令するのではなく、本人に「自分は勉強ができるのだ」と自信を持ち、自らの力で課題に立ち向かっていけるように働きかけるのです。

    ・ほめるのでも叱るのでもありません。こうした横の関係に基づく援助のことを、アドラー心理学では「勇気づけ」と呼んでいます。人が課題を前に踏みとどまっているのは、その人に能力がないからではない。能力の有無ではなく、純粋に「課題に立ち向かう勇気がくじかれていること」が問題なのだ、と考えるのがアドラー心理学です。そうであれば、くじかれた勇気を取り戻すことが先決でしょう。

    ・ もしもあなたが、ほめてもらうことに喜びを感じているとすれば、それは縦の関係に従属し、「自分には能力がない」と認めているのと同じなのです。ほめることとは「能力のある人が、能力のない人に下す評価」なのですから。

    ・ ええいちばん大切なのは、他者を「評価」しない、ということです。評価の言葉とは、縦の関係から出てくる言葉です。もしも横の関係を築けているのなら、もっと素直な感謝や尊敬、喜びの言葉がでてくるでしょう

    ・ ほめられるということは、他者から「よい」と評価を受けているわけです。そして、その行為が「よい」のか「悪い」のかを決めるのは、他者の物差しです。もしもほめてもらうことを望むのなら、他者の物差しに合わせ、自らの自由にブレーキをかけるしかありません。一方、「ありがとう」は評価ではなく、もっと純粋な感謝の言葉です。人は感謝の言葉を聞いたとき、自らが他者に貢献できたことを知ります。

    ・人は「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えたときにこそ、自らの価値を実感できる。これがアドラー心理学の答えになります。

    ・共同体感覚です。具体的には、自己への執着(selfinteres)を他者への関心(social interest)に切り替え、共同体感覚を持てるようになること。そこで必要になるのが、「自己受容」と「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つになります。

    ・ 自己肯定とは、できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と、自らに暗示をかけることです。これは優越コンプレックスにも結びつく発想であり、自らに嘘をつく生き方であるともいえます。自己受容とは、仮にできないのだとしたら、その「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくことです。自らに嘘をつくものではありません。

    ・他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけないことです。たとえ信用に足るだけの客観的根拠がなかろうと、信じる。担保のことなど考えずに、無条件に信じる。それが信頼です。

    ・ 他者貢献が意味するところは、自己犠牲ではありません。むしろアドラーは、他者のために自分の人生を犠牲にしてしまう人のことを、「社会に過度に適応した人」であるとして、警鐘を鳴らしているくらいです。そして思い出してください。われわれは、自分の存在や行動が共同体にとって有益だと思えたときにだけ、つまりは「わたしは誰かの役に立っている」と思えたときにだけ、自らの価値を実感することができる。そうでしたね?つまり他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです。

    ・しかし、このとき間違っていけないのは、いずれの場合も攻撃してくる「その人」に問題があるだけであって、決して「みんな」が悪いわけではない、という事実です。

    ・ ワーカホリックになって、ただただ仕事に打ち込んで成果を出す。そして、自分が稼いでいることを理由に家族を支配する。非常に封建的な人でした。

    ・しかも、扶養されている家族には、なにも反論できないところがある。父親の「誰のおかげで飯が食えると思っているんだ」という暴力にも似た声に、反論できないのです。
    →おそらく、そうした父親は「行為のレベル」でしか、自分の価値を認めることができていないのでしょう。自分はこれだけの時間を働き、家族を養うだけの金銭を稼いでいる、社会からも認められている、だから自分は家族でいちばん価値が高いのだ、と。
    しかし、誰にでも自分が生産者の側でいられなくなるときがやってきます。たとえば年をとって、定年退職して、年金や子どもたちの援助によって生きざるをえなくなる。あるいは若かったとしても、怪我や病気によって、働くことができなくなる。このとき、「行為のレベル」でしか自分を受け入れられない人たちは深刻なダメージを受けることになるでしょう

    ・つまり他者貢献していくときのわれわれは、たとえ目に見える貢献でなくとも、「わたしは誰かの役に立っている」という主観的な感覚を、すなわち「貢献感」を持てれば、それでいいのです。

    ・ 人生は連続する利那であり、過去も未来も存在しません。あなたは過去や未来を見ることで、自らに免罪符を与えようとしている。過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。「いま、ここ」を真剣に生きていたら、そんな言葉など出てこない。

    ・ たとえば、大学に進みたいと思いながら、勉強しようとしない。これは「いま、ここ」を真剣に生きていない態度でしょう。もちろん、受験はずっと先のことかもしれません。なにをどの程度勉強すればいいのかわからないし、面倒に感じるかもしれません。しかし、毎日少しでもいいから、数式を解く。単語を覚える。つまりはダンスを踊る。そうすると、そこには必ず「今日できたこと」があるはずです。今日という1日は、そのためにあったのです。決して遠い将来の、受験のために今日があるのではありません。

    ・つまり、「わたし」が変われば「世界」が変わってしまう。世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない、ということです。アドラー心理学を知ったわたしの目に映る世界は、もはやかつての世界ではありません。

  • 名作ながら以前あまり理解できなかったこともあって、2年弱ぶりに読んでみた。前のレビューを読み返すと 同じことを思うこともあるけど、前よりは理解度が増していて、少し成長したなと思った。笑
    アドラー心理学の醍醐味である”目的論”〈=人間の行動は自分の目的によって決定される〉の考え方は、これからの人生に取り入れていきたいと思った。というか、フロイトの説く”原因論”〈=人間の行動は過去の要因によって決定される〉の考え方に自分が当てはまることがあれば、1つずつその考え方を排除していかなければいけないと思った。前は特に、”トラウマは存在しない”というところにすごく引っ掛かったけど、再読してみると 今回は目的論に納得して、かなり理解ができるようになっていた。

    今回1番腑に落ちたのは、人はなにかと”みんな””いつも””すべて”といった言葉を使いがちで、物事の一部分だけを見て、全体を判断するとのこと。その具体例として、”10人の人がいるとしたら、そのうち1人はどんなことがあってもあなたを批判する。そのうちの2人は、互いに全てを受け入れられる親友になれる。残りの7人はどちらでもない人々だ”というユダヤ教の教えがあり、人生の調和を欠いた人は、その1/10の批判する人1人だけを見て、世界を判断してしまうらしい。
    私は時々この傾向があるなと思った。いつも本当にみんながそんな風に悪く思ってるの?と考える癖をつけて 気を付けようと思った!

    2度目なのにびっくりするくらい殆ど内容を覚えていなかったので、ある意味本は何回でも楽しめるなと思った✌︎笑

  • 一度は挫折し、改めて耳読書で読み非常に刺さった。自由になることとは、嫌われる可能性があると言うことだ。確かに。課題の分離をする、というのも改めて納得する。全ての悩みは人間関係に帰結する。まさに。。名著。

  • フロイトやユングとも違うアドラー心理学を扱った本。青年と哲人の対話形式にしてわかりやすくしている。

    初めてアドラー心理学というものに接したので難解な部分があったものの刺激的だった。一般に知られているフロイトの心理学などとは正反対の考えなので、受け入れがたく反発を感じる部分もあったが、今の人生に行き詰まりを感じている場合は新しい考え方として受け入れるのも一つだと思った。ただ、受け入れるのにかなり時間はかかるとは思うが。

  • 〈自分用のマーカーした部分のまとめ〉

     与えられた環境や才能は、自分でそれらをどう捉え使っていくかが全て。どんな要素でも「こう使える」と活用できたもの勝ち。自分にはできないと思うのはやらない理由を作ってるから

     やらないための理由作り「人生の嘘」はアドラー的には、自然発生的にできちゃうものじゃなくて、自分で作り出しているものにすぎない。
     この人生で自分に与えられたカードの使い道は自分で選べるってことに気づければ、意外とすんなり動き出せるのかも

     人生において自分からの他者への働きかけは自由にできるが、それによって相手がどう動くかは自分の制御できる範疇じゃない。予想と違う言動が返ってきてもそれを否定したりするのはナンセンス。それは他者の課題であると認識し自分の課題と混同しないこと。
     見返りに縛られず自分が行った働きかけを信じて突き進むのみ。嫌われる勇気を持って、、

     主観の中でしか生きれないのだから、みんな自分が主役の人生を歩んでいる。だけどちゃんと自分が共同体の一部であることを認識していないと、自己に執着しちゃって、承認欲求の高い自己中な人間に成り果てる。
     他者貢献により自らの価値を実感すること、ただし、存在しているだけで価値があると言う考え方も忘れないこと。

     自分と向き合う時、変えられるものに着目すること。自分で選んだ道で痛みや悲しみを感じることももちろんあるけど、それを避けようとすると前進することはできない
     連続的な刹那の瞬間を生きて、点を作っていく。いつのまにかそれが1本の線となっていることに、ある時ふと気がつく。他者に貢献する星を見失わない限り、誰かに好かれようが嫌われようが、自分の選んだ道を信じ続けて大丈夫

    〈思ったこと〉
     人間はどう足掻いても主観の範囲を超えた思考をすることはできないと考えていたので、客観的・俯瞰的という言葉がどうも無機質的な事柄にしか使えないと思っていました
     でもこの本を読んで、主観の中で生きていることをきちんと認識すると、他者の課題に口出しをすることがナンセンスであるということに納得でき、ある意味で俯瞰的なattitudeを獲得できているのか、、と感じました。
     それかただ今まで客観的・俯瞰的の概念を履き違えていたのかも?

  • 星3.8 自分は人に嫌われるのを厭わないのであまり惹かれないタイプで欲しいと思わず、、ただタイトルで思い浮かべるイメージと内容がこういう話なんだと少し違った。アドラーの別の本を読んでたので、この本がアドラーについての本と思い手に取り、内容見たらすごい表現上手いなぁと、タイトルと内容に感動した。アドラーの別の本も読んだけど、それも対話形式になってた。確かに長くストーリー形式になってないと、何その綺麗事?ってなる理論ばかりで深く理解できないかも知れない。全ては自分が望んでその状態をつくってる、勇気を持とう!

  • 久しぶりに読み直してみました。

    改めて読み直すとまた新しい発見や気づきが得られました!

    人との関係や人生に思い悩んでいる人にぜひ一度読んでもらいたい本です。

    アドラー心理学は「実践の心理学」とも言われています。
    実践はなかなか難しいですが、勇気を持って一歩を踏み出していこうと思います!

    この本と早いうちに出会えて本当に良かったなと思います。
    間違いなく僕の人生を変えてくれた一冊です!

  • すべての悩みは「対人関係の悩み」である。その対人関係の悩みから逃れるためには、他者の課題を切り捨てる必要がある。その課題の分離が対人関係のスタートであるならば、ゴールは「共同体感覚」である。共同体感覚で必要になるのが、「自己受容」、「他者信頼」、「他者貢献」である。つまるところ他者貢献を行うことこそが幸福になることで、「幸福とは、貢献感である」といえるだろう。

著者プロフィール

1956年生まれ。共著書に『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)、訳書にプラトン『ティマイオス/クリティアス』(白澤社)ほか。

「2020年 『自然と精神/出会いと決断』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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