やっとのことで『ハンニバル』全シリーズを見終えたので、マッツ祭りを独自に開催した。表紙が印象的な今作、『ザ・ドア』ではマッツは父ダビット役として出演する。浮気中に不慮の事故で娘レイニーを無くし、5年の歳月を経て娘を亡くした妻マヤとは絶縁状態に陥った失意のダビットは、あるトンネルを見つける。そのドアの先には、5年前、あの事故のあった寸前の時間に巻き戻っていた。
マッツ好きには是非おすすめしたいのは、相変わらず殺し殺されのグロさと負傷しながらなおも美しいマッツの立ち姿と、『ハンニバル』とはかけ離れた穏やかで慈愛深い父親像だ。
ドアの向こうでは勿論血みどろの展開にはなる(ほんと傷負うのも好きだしアクションが酷い(いい意味)だなとは思う)が、その過程に紡がれるのはやっと奪還した娘を慈しみ守ろうとする真摯な父としての姿だ。陽が差し込む中で絶縁した状態の妻を見つめるときのあの瞳の美しさが忘れられない。「君を見ていた」なんてとんだ惚気た台詞でしかないが、その視線の表情とも言うべき無言の演技があまりにも純粋すぎて引き込まれた。切望した”家族”を取り戻したダビットは、だんだんと不気味さと怪しさを増す住宅街の中で、がむしゃらに妻のと娘を守ろうとする。まじ、好き。娘を助けるときの服の脱ぎ方は2回見ました。あとマッツのお尻が拝めます。尊い。
娘を無事助けられたのはいいものの、不審人物思われ抵抗した末に5年前のダビット自身を殺してしまっている姿を娘に見られており、それでも信頼を勝ち得ようとそっと歩み寄る姿がいじらしい。あれはパパじゃない、と直感で感じ取りながらも、姿形は一緒のはずで、それでも悔恨の念を抱いていたダビットは「父親は子供を守る守護天使なんだ。彼は失敗した」と正直に打ち明けると、娘はだんだんと彼に心を開いていく。
印象的だったのは、珍しく迎えに行った笛のお稽古事の帰宅途中、パパは嫌い・笛も嫌いと打ち明ける娘に、ハグしてくれたらママに掛け合ってあげるよ、と提案したダビットに対するレオニーの可愛さだ。ハグしちゃうのな、笛のレッスン嫌いだもんな、とまるで自分が父ダビットのような気持ちになってしまった。
きっとダビット自身もそういった関わりを持ってこなかったのかもしれない。パパは嫌いと言ってても、ハグしてくれる子供らしい我儘さが、より如実に娘の可愛さというものを際立たせているシーンだと思う。そうしてやっと得られた彼の望み通りの”幸せな生活”に浸る彼の喜びが画面上からでも滲み出るようだった。
展開はよくあるタイムトラベルもの、パラレルワールドものかな、と思いきや、思わぬ展開に進んでいく。誰にも信じてもらえない謎のドアの現象と、突如現れるドアの存在を知る男。それから怪しげに住宅街を右往左往する夫婦。最後まで予想をつかせず視聴することができる内容になっていると思う。
エンディングはそれで良いのか、と考えてしまうような中途半端なものだったかもしれないが、私は「それでも良いのだ」とプール際で佇む二人に同調するような気分に浸れた。ダビットの娘も、妻マヤの望んだ娘も、元々はこの世にはいないはずだったのだ。プールに飛び込んで息が絶えている娘を抱えているときに水中で雄叫びを上げたダビットの姿がいま思い浮かんだ。失敗したのは二人を危険から遠ざけたダビットも同じであることには変わらない。ひとときの夢として手放したマヤの涙も胸を打つ。守りたい会いたいというエゴと自己犠牲とも思しき盾としての姿勢を貫く二人の慈しみの深さは、ただ死んでいても生きていても娘を愛しているという事実に由来するからそれを選択させたのだろう。それはドアを開いたときと同じ感情だ。どちらも尊いものだと思う。
蛇足だが、タイムトラベルには青い蝶は必須なのか。バタフライエフェクトに由来するものなのだろうか。また時間を見て視聴してみたいと思えた。
相変わらずマッツは負傷するけれど(ありがとうございます)これまでの超人的な幻想を伴う美しさではなくて、堕落的な部分も、慈愛をもった誠実な部分も、まるで別人であるかのように演じ分けられているのが見れたので、マッツファン垂涎の的といったところ。偽りなき者は未視聴なので、どんな姿を見せてくれるのか楽しみになった。