劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語(完全生産限定版) [Blu-ray]

監督 : 宮本幸裕/新房昭之(総監督) 
出演 : 悠木 碧  斎藤千和  水橋かおり  喜多村英梨  野中 藍 
  • アニプレックス (2014年4月2日発売)
4.35
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感想 : 6
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4534530073914

感想・レビュー・書評

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  • はじめに、この映画をより深く知りたい方は、この動画を見ていただきたいです。

    https://www.youtube.com/watch?v=dSBwbaHgXFA

    http://www.nicovideo.jp/watch/1383940330

    (同じ動画です)

    僕は岡田斗司夫以上に「深く」「分かりやすく」「面白く」物語を語る人を知りません。こんな動画を見てしまった後、自分などにはこの物語について語る資格ないとすら思います。

    ゆえに、このレビューでは、暁美ほむらという一人の少女に限定して書こうと思います。




    初めて劇場でこの映画を観たとき、一つだけ腑に落ちない部分があった。それは「私は この世界で死ななきゃならないの」という台詞と「このときを待ってた」という台詞の矛盾である。

    まず、暁美ほむらが円環の理から鹿目まどかという人格をもぎ取ろうと決心したのはいつか? それは間違いなく花畑での二人の会話のときだ。その時に初めて暁美ほむらは鹿目まどかが「自分だって寂しいけどみんなのために神になった」ことを知るし、会話の途中には未来視までしてしまっている(映画のラスト付近のカットが入る)。暁美ほむらはこの時に、彼女を一人にしないために悪魔になる決心をしたのだ。「ひとりぼっちになったらダメだよ」という優しさを、そのまま返すかのように。だからこそ「私にはまだやることがあるから」と言って、一番愛しい人から離れる。

    そして暁美ほむらの魔女化シーン。彼女はインキュベーターに鹿目まどか(円環の理)が観測されないように、魔法少女たちに必死で訴える。ここで死なせてくれと。わたしを助けることはまどかのためにならないのだと。


    さて、彼女が花畑で決心したならば、この魔女化一連の流れは全て「決心」のための演技、作戦だということになる。しかしどう見ても演技には見えない。あれは魂の叫びだ。これはどういうことなのだろう。


    結論から言う。あれは演技ではない。かといって、決心するタイミングが違っていたわけでもない。彼女は本気で「このときを待っていた」し、本気で「この世界で死ななきゃならない」と思っていた。つまり、“矛盾している状態こそが、暁美ほむらとしての正しい姿”だった。上の動画ではこのことを白痴と呼んでいたが、僕はメンヘラだと思っている。暁美ほむらはメンヘラだったのだ。ほら、メンヘラの人って矛盾したことを平気でいうけど、嘘は言わないでしょ? 例えば死んでやるって本気で思ってるけど、結果的に死ねないから嘘になってしまってるだけとか。

    メンヘラだと仮定すると、辻褄が合ってくる。上の発言の矛盾もそうだし、他にも愛の重さ(独占欲的)とか、思い込みの強さとか。魔力だって絶望から希望への相転移で決まるみたいだし。

    そうすると悪魔になることの別の側面が見えてくる。彼女は鹿目まどかを一人にしないために悪魔になったが、それは同時に「本当にまどかを理解しているのは自分だけ」という状態を作り上げることだった。彼女は鹿目まどかが幸せになることでしか、自分を守れない。鹿目まどかの幸せが、ライナスの毛布だった。その証拠に、彼女はこの映画が始まって以来、ようやく精神的に安定する。

    鹿目まどかの幸せという毛布の力は絶大だ。ルールを破るのは良くないと思う、と自分の行動を否定されてもなお、敵になるかもしれないことを自覚してもなお、鹿目まどかに微笑み、リボンをつけてあげる余裕があるのだから。あの泣いてばかりいたメンヘラが。

    もちろん宇宙改竄後の世界は、鹿目まどかがふと自分の役割を思い出すだけで崩れてしまうほどに脆弱だ。暁美ほむらの安定は、とても不安定な世界の上に成り立っている。

    おまけに彼女はもはや、誰からも承認されない。理解されない。神よりも孤独な存在になってしまった。

    それでも彼女は踊る。幸せになるであろうパートナーを思い描いて。

    僕にはそれが、やがてこの世界が失われるのが分かっているかのように見えた。


    おしまい。


    余談だけど、このラストに納得できない人って、ある程度満たされてる人なんだろうなぁと思う。人間は幸せになるもんだと思ってる人って言い換えてもいい。もちろん暁美ほむらに報われてほしいって気持ちもあるけど、そんなことより自分の仲間がいるって喜びが俄然勝つんだよなぁ。別に不幸自慢じゃなくて、やっぱ世界はこうだよね? ていう安心感?

    自分性格悪いなぁとももちろん思いますけどね笑

    あと、僕はメンヘラのことを一切合切バカにしてるつもりはありませんので。あしからず。

  • 本編(TV版か前後編)を見た後すぐにこれを見るのはやめた方がいいと個人的に思います。一度時間を置いてから見るのがおすすめ。いや本当に。
    多くの視聴者がおそらく本編で見たかったと願ったあんなことやこんなことが散りばめられたストーリー、そして衝撃のラスト。これぞメリーバッドエンド。

  • 泣きました。泣いたけど……報われたんか?それでえんか?
    ほむらちゃんが神レベルにヤンデレ化してて笑えます。天使のような悪魔。
    始めのプリキュアのようなセラムンのような雰囲気がとても良いけど、まどマギがそれで終わるわけないでしょってやつですな。

  • テレビで見てもやもやしたかゆい所に手の届く劇場版。ほむらちゃんのロックな生き様に胸がすっとします。

  • 好きな人のために全宇宙を変えるお話。

  • [2013.10.30]
    君の銀の庭はあとからじわじわくるスルメ曲。なぎさちゃんは正直あんまりかわいくないしわざわざ出す必要性を感じなかった。あとさやかちゃんがすごくかわいくなってた。前半のピュエラマギホーリークインテットは観てるこっちが恥ずかしくなって直視できませんでした。笑

     ***

    最初に言うとわたしのこの新編に対する評価は賛否の否のほうです。
    全員の希望が過不足なくかなえられた、魔法少女から一歩昇華した形で希望が存在する世界できれいに終わってほしかったので、とんでもないバッドエンドだったと思っています。

    キュゥべえとほむらちゃんが真実を話すシーンまではあの世界はまどかの結界だと信じていました。前作でのまどかの選択はあやまりだったとおもっているし、わたしの考えるハッピーエンドの新編シナリオは世界のズレが生じて魔女化しかけたまどかをほむらちゃん中心にどうにかして円環させるものだったからです。きっとわたしのもてる愛はほむらちゃんには到底及ばないちっぽけなものでしかないんだとおもいます。そして制作側のスタンスではまどかは絶対に正しい存在であるんでしょう。

    今回の映画もテーマは壮大なのかもしれません。でもそのためにほむらちゃんをひとり犠牲にしたのはやっぱりわたしには許せないです。たぶん、わたしはまどマギのキャラの中でほむらちゃんといちばん性格や本質が似ているし、キャラクターが女の子だから必要以上に感情移入してしまって余計にそう思うのだと思います。
    結果的にほむらちゃんはまどかに会えたしまどかをキュゥべえから守ることもできたしまどかにとってある意味特別な存在になることにも成功したからよかったのではという声も聞きましたが、あれはあの状況でのほむらちゃんにできる最善ではあったかもしれないけど最悪を回避しただけであって最高であるはずがありません。そして今回最高を用意してあげることもできたはずなのにそうしなかったのがわたしはほんとうに気に入りません。ただ、制作側の意気込みは感じました。

    たとえ子ども向けではないとしても魔法少女というからにはハッピーエンドにする義務のようなものがあるとわたしは思っているのでなんだかとても残念でした。
    ショックだったので映画館では1回しか観なかったけどブルーレイ買ったのでもういちど見返して整理したいです。

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