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感想・レビュー・書評
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面白いかというと、あんまり。
穏やかな話。バラバラだったクラスが一つの歌と先生の挑戦をきっかけに少しずつ一つになっていく。
というと聞こえはいいけれども、どうしてうまくいったのか?というのはあんまりピンとこない。なっとくしない。
6人の少女たちがそれぞれの境遇に悩みながら、突破口やきっかけを見つけながら、物語が前に進んでいく。1遍1遍はとても短いのであっさりと読めるが、少しあっさりすぎてしまっているのではないかと思う。
良い点とすれば、昨今に多いイジメなどがテーマではないということろで、穏やかな気持ちで読み進められる。
物語に納得がいかないのは、私が少女の繊細な気持ちを忘れてしまったということなのかはわからない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
あなたは、『十六にして余生だ』と語る高校生がいたとしたらどのように思うでしょうか?
『余生』とは、”盛りの時期を過ぎた残りの生涯”を意味する言葉です。それは一般的にはお年寄りが口にする言葉です。しかし、平均寿命が年々上昇し続けるこの国にあって、一口にお年寄りと言ってもその指し示す対象のイメージは人によって異なります。また、80歳をゆうに超えても溌剌とした、颯爽とした人生を送られている方もいらっしゃいます。『余生』という言葉の起点を単純に年齢に求めるのは間違っていることがよくわかります。
しかし、そう考えても、流石にそんな『余生』が『十六』という高校時代に始まるというような考え方は全くもって意味不明です。そんな年代を過ぎた人間が振り返ってみれば、高校時代などそれこそ無限の可能性に満ち溢れた時代と言えるからです。では、どうしてそんな時代が『余生』だと思う起点が生まれるのでしょうか?
人は誰でも”挫折”というものを経験します。”挫折”の経験など一度もなく今を生きているという大人の方はいらっしゃらないでしょう。もちろん、そんな”挫折”の経験は人それぞれです。それは、『私は、四番でエースだった』という輝かしい未来を思い描いていたその先の人生が図らずも『肩は壊れていた。私の人生もそこで壊れた』という結果がもたらすものであるかもしれません。また、必ずしもはっきりとした”挫折”という経験でなくとも自らの中にある何かしら忸怩とした思いに囚われて前に進んで生きていくこと自体に躊躇する、そんな人生もあるかもしれません。そこに、年齢に関わらず自分の今を『余生』だと考えてしまう、『もう余生だから、学校は適当に出ておけばいい』、『いいことも、悪いことも、余生の身にはあたりさわりのない距離を取って通り過ぎていく』、そんな風にある意味投げやりな人生を送る余地が生まれるのだと思います。
さて、ここに『期待もなければ、憧れも、よろこびも、喧噪も、ずっと遠くのほうで起きていて、私には関わりのないこと』と考える女子高生たちが主人公となる物語があります。『周りの子たちとの間に膜が張っている』、『私はいつもひとりだった』とぼんやりとした毎日をただ生きる主人公。この作品は、そんな彼女たちが『クラス対抗の校内合唱コンクール』に向けて『しらっとした空気』の中に練習を始める物語。『こんな練習、楽しくないよ』という不満の先に、予想された結果を見る物語。そしてそれは、そんな『合唱』の経験の中に『私たちは交わった。ぶつかって、混じりあって、私たちは変わった』という、人生を前に進んでいくための一つの起点を手にした女子高生たちを見る物語です。
『明泉に行くことにするよ』、そんな『私』の言葉に『それがいいと思う。音楽の勉強はどこだってできるもの。むしろ音大の附属校で学ぶより大事な勉強ができるかもしれないわね』と返す母親。『音大の附属高校に入り、そのまま大学へ、さらには大学院へも進むつもりでいた』『私』は、『名の知れたヴァイオリニストの』母親と異なり『声楽を』選び試験に臨みましたが『受験に失敗し』てしまいます。そんな『私』は、『私も、中学の担任も、そして母も』『落ちることを想定していなかった』という結果論として、『数年前にできたばかりの新設校』である『私立明泉女子高等学校』に滑り込みました。『期待もなければ、憧れも、よろこびも、喧噪も、ずっと遠くのほうで起きて』いると感じる中、『いつもひとり』という高校生活を送る『私』。一方で『秋の体育祭と文化祭』も終わったある日のホームルームで『そろそろ合唱コンクールの準備を』とクラス委員の佐々木が話します。毎年秋の終わりに催される『クラス対抗の校内合唱コンクール』。『クラスの団結が目的』というそんなイベントを『どうでもいい』と思う『私』は、翌週のホームルームで再度話題が出ても一人『窓から外を眺めてい』ました。『誰か、指揮をやりたい人、やってもいい人、いませんか』、そんな『議長の佐々木』の呼びかけを冷めて聞く『私』。そんな時、『御木元さんがいるじゃん』、『御木元さんがやればいい』という声が上がります。『みんな、知っていたのだ。私が御木元響の娘だということを』と思う『私』は、『どうして私が』とためらいます。それに『御木元さんは音楽が好きそうだから』と言われ返事ができなくなった『私』は、『もう一度議長に聞かれて、うなづいてい』ました。そして、『黒板に、指揮・御木元玲(みきもと れい)、と書かれ』た玲。一方でピアノがなかなか決まらず、押しつけあっている様子を見る玲は、『原さん』、『ピアノ、弾ける?』と前のほうの席に座る原直子に声をかけました。『原さんと御木元さんて仲よかったっけ』などという周囲の声を他所に、ようやく指揮とピアノが決まります。『うまくなくてもいいから歌う楽しさを知ってほしい』と思う玲は、一方で、『歌う楽しさなんて、私は知っていただろうか?自分が知らないものを、人に教えることができるだろうか?』とも思います。そして、『練習の初日、放課後の教室に残ったのは私を含めて2B三十一人中、五人だけだった』という衝撃的な現実を見て愕然とする玲。そんな中で『こんな練習、楽しくないよ』と噴出する不満に、『やめようか』とも思う玲。そんな玲が『合唱コンクール』への練習の日々を、そしてその先の高校生活を過ごしていく先に『よろこびの歌がはじまる』という一つの起点を見る物語が描かれていきます。
“見えない未来に惑う少女たちが、歌をきっかけに心を通わせ、成長する姿を美しく紡ぎ出す”と内容紹介にうたわれるこの作品。『受かると思い込んでいた高校に落ちた』という大きな”挫折”の中、『なんとか滑り込んだ』『私立明泉女子高等学校』で『周りの子たちとの間に膜』を張り、『私はいつもひとりだった』という日々を送っていた主人公の御木元玲。そんな玲の心に、『合唱コンクール』を起点に変化が生まれていく様が描かれていきます。
そんな作品を読む読者がまず魅かれるのはそこかしこに登場する宮下奈都さんの美しい比喩表現の数々です。幾つかご紹介したいと思います。
まずは、主人公の玲がマイナス感情の中、明泉女子高等学校に入学した自身をどう考えているかを表した表現です。
『さまざまな行事の中でさらりと役割を果たす同級生たちを見るにつけ、自分だけが間違った籠に放り込まれた洗濯物のように感じる』。
予想だにしなかった受験失敗の尾をいつまでも引く玲の、自分の居場所がここではないという感覚をまさかの洗濯物に例えて表現する宮下さん。そして、そんな玲は予想だにしたかった『合唱』の指揮を受け持ちます。次は、クラスメイトの牧野史香の目から見た『合唱』を指揮する玲の姿の表現です。
『しなやかに腕を振り、からだ全体で歌うように指揮をする御木元さんからは、光の粒が放たれるようだった… ひとかたまりとなった私たちの声を、御木元さんが引き、束ね、重ね、音楽にする。その軌跡が光って見えるようなのだ』。
指揮をする玲の姿が神々しくも感じるこの表現には、それを受けるようにもう一文がこんな風に連なります。
『ああ、この人は羽ばたいていく』。
それぞれに”挫折”を経験してきた過去を持つクラスメイトたち。そんな彼女たちの『何かを開ける』きっかけを与えていく玲。彼女たちの人生にとってもまさしく神々しい瞬間に、この『羽ばたいていく』という表現はあまりに絶妙です。一方で、そんな玲の側から見るクラスメイトたちの姿も描かれていきます。『本番まであと三日しかない』という中、練習に励む面々。そんなある日の練習の場面で玲が『これ以上は望めない』と感じる瞬間をこんな風に表現します。
『指揮をする私の指の先にクラス全員の意識が集中し、彼女らの喉からほとばしった歌がひとつの束になりリボンのようにくるくると回りながら空へ上っていくのを見た』。
『歌』を『リボン』に例えて、かつそれが『くるくると回りながら空へ上っていく』という絶妙な表現。私はこの一文だけで宮下さんの作品にどこまでもついていくと誓いました。この表現は凄いです。絶品中の絶品です。そして、自らの今を俯瞰して見れるようになった玲は、『同級生たちと自分は住む世界が違うと』いう『思い上がり』の中に生きていた自分を振り返ります。そして、そんな新しい心持ちの玲の目にクラスメイトたちの姿は違って見えてきます。そんな心持ちをこんな風に表現します。
『世界は六十八億の人数分あって、それと同時に、ひとつしかない』。
『六十八億』という数字はこの作品刊行時のものなので現在の数値とは異なりますが、『世界』というものをこんな風に表現する宮下さん。私は恩田陸さん、そして辻村深月さんの作品で読書の喜びを知りました。そして、一冊の本の中に、はっとするような言葉を見る瞬間を見せてくれたのが宮下奈都さんです。この作品には続編があり、今回その作品を読むために敢えて既読であるこの作品を買い直して再読しましたが、宮下さんの言葉選びの素晴らしさに改めて酔わせていただくと共に、他の作品も読み直してみたい、読書&レビューの経験を積んだ今だからこそ、改めてじっくりと美しい言葉を楽しみたい、自らのレビューに書き残したい、そう強く感じました。
そんなこの作品は七つの短編が絶妙な連作短編を構成しており、そのタイトルには音楽を扱った作品らしく1、2、3という数字の代わりに〈do〉〈re〉〈mi〉…という音階がつけられているなど小技も光ります。そして、それぞれの短編ごとにクラスメイトに一人ずつ視点を移しながら彼女たちそれぞれの今までの人生と、『合唱』との出会いを起点に何かを掴んでいく姿が、その心の機微がとても丁寧に描かれていきます。
例えば、〈re カレーうどん〉の主人公・原千夏は、『銀色に転がる玉みたいな音』と感じる『学校の音楽室にあるピアノの音』が大好きでした。『何人もの同級生が家にピアノを持っていて、それを自由に弾くことができると知った』ものの、脱サラでうどん屋をはじめた両親の元に育つ家庭環境から夢のまた夢であることも自覚する千夏。そんな千夏は高校の音楽室にこっそり通い、その先に合唱のピアノ担当になったことをきっかけに玲と関わりを持つようになります。〈mi no.1〉の主人公・中溝早希は、『十六にして余生だ』という思いを抱きつつ『少しばかり無理をして女子高生を生きてい』ました。中学時代にソフトボール部で、『四番でエースだった』という早希は、試合で『肩がおかしかった』という瞬間を経験するも交代させてもらえず『肩は壊れていた。私の人生もそこで壊れた』という先の人生を生きています。そんな中で、『鈍感で、幼くて、傲慢』と感じていた玲が『合唱』を起点に変わっていく姿を目にし、早希自身もそこに何かを感じ取ります。そして、〈do よろこびの歌〉と〈si 千年メダル〉で主人公を務める御木元玲。上記でも触れた通り、『名の知れたヴァイオリニストの』母親を持つ玲は、まさかの受験失敗を機に全く想定もしていなかった『聞いたことのない』『数年前にできたばかりの新設校』へと通うことになりました。この”挫折”をいつまでも引きずる玲は、友だちとの間に一線を引き、『私はいつもひとりだった』という高校生活を送ります。そして、そんな彼女が一つの起点を得るきっかけとなるのが『校内合唱コンクール』でした。他の章含めそれぞれにそれぞれの”挫折”を経験し、『私立明泉女子高等学校』という場に集うことになった面々。そんな彼女たちに一章ずつ光を当てていく中で物語は、少しずつ前に進んでいきます。
そんな物語の主軸は、『毎年、秋の終わりにクラス対抗の校内合唱コンクールがある』という恒例の行事に向けての展開です。しかし、クラスには『しらっとした空気が流れ』、主人公の玲も『関係のない話』という思いでいます。そんな玲は、自らの名前が出た際の『音楽が好きそうだからというそのあまりに素朴な声に』気持ちがほどけ、それをきっかけに指揮者を受諾、物語が動き出します。しかし、そう簡単に『しらっとした空気』を纏うクラスの面々が前向きになることなどありませんし、そんな中で輝かしい未来が待っていたとなると、あまりに能天気な物語になってしまいます。また、音楽コンクールを目指す小説は数多ありますが、この作品でいうところの『校内合唱コンクール』は単に学内のイベントの一つ、『体育祭』や『文化祭』、そして『マラソン大会』と同列な日常の中の一つの行事に過ぎません。その優勝をかけた物語自体を取り上げても読者はしらけるばかりだとも思います。そうです。この作品で宮下さんが描こうとされる世界は、〈mi no.1〉の主人公・中溝早希が語る次の言葉の先にある物語なのです。
『私たちはあちこちで折れたり曲がったりしながら生きていく。余生だと思っていた人生は、もしかしたら母のいうとおり、本編がまだ始まったばかりなのかもしれない』。
人が”挫折”を経験するのはいつのことでしょうか?そして、何を起点にそこから這い上がっていくのでしょうか?
私たちは、子どもの頃に世の中を俯瞰してみるような力が備わっているわけではありません。しかし、どんなことに興味を示すのか、どんなスポーツをするのか、そしてどんな進路を選ぶのか、その選択はその一つひとつが未来の自分が歩む進路を決定付けていきます。ある種のスポーツは、幼い頃に一歩を踏み出していなければ選択さえできないものになってしまうものさえあります。また、遺伝や生まれ育った環境が必然の選択を導いていくこともあるでしょう。将来が見通せない中での選択を余儀なくされる子どもたちは日々試練の人生を送っているとも言えます。そんな中で誰しもが経験するのが”挫折”です。”挫折”を経験せずに大人になった人間などいないと思います。そして、そんな”挫折”を経験した際に大切なのは次の一歩を踏み出していくことです。
『次があるかもしれないし、ないかもしれない。どんな形の次になるのかわからない』。
誰しもが未知数な人生を生きています。しかし、未知数であろうが今の人生は次の未来へと繋がっているのです。この作品では、はじめて経験した”挫折”の中に、人生を立ちすくんでしまっている主人公たちが『合唱』という場を一つの機会として再び顔を上げていく姿が描かれていました。この作品で描かれていたのは、『合唱』というひとつの機会です。しかし、そんな機会はなんでもいいのだと思います。高校生という青春の真っ只中で、『十六にして余生だ』なんて思ってしまっては人生あまりにもったいないと思います。また、これは必ずしも青春の真っ只中にいる彼女たちだけに言えることでもないのだと思います。どんな年齢にあっても、どんな境遇にあっても、そしてそれがあなたや私であっても、この作品の主人公たちのように次の未来へきっと進んでいけるのだと思います。
『あたしたちの、それぞれの背中を押してくれて、ありがとう』。
「よろこびの歌」というTHE HIGH-LOWSの曲名から取られた書名を冠するこの作品。そこには、まさかの高校受験失敗という”挫折”の先に鬱屈とした日々を送っていた主人公の玲、そしてそれぞれに悩みを抱えるクラスメイトたちの姿が描かれていました。人の悩みは千差万別です。なかなかにそんな他人の悩みに寄り添うことは難しいと思います。この作品では、そんな彼女たちが、『よろこびの歌がはじまる。ほんとうだ、みんなの声が明るくなっている…私たちの声が伸びていく。重なっていく。弾み、広がり、膨らんでいく』という先に、それぞれが前に進むためのきっかけを得る物語が描かれていました。
ハッとするような、それでいて心に沁み渡っていくような絶妙な表現の数々が、読者を物語世界の虜にさせるこの作品。人が再び前を向き、顔を上げる瞬間の尊さに心震えるこの作品。
宮下さんの極まった表現力が紡ぎ出す美しい限りの物語の中に、心がすっかり鷲掴みにされた読書の時間、これぞ絶品だと思いました。 -
様々な家庭環境を抱えて同じ学校、同じクラスに集まった女生徒達の物語。色んな生徒に次々と視点を替えながら、秋から春までの季節を描いた本。一つの歌を皆で歌うということで、それぞれが心を合わせていく姿が描かれている。
誰もが学校行事に熱心なわけではなく、一歩引いていたり冷めていたりする子の心情がリアルに描かれている。自身の女子高生時代を思い出した。
主人公の御木元玲が、歌以外のものに目を向けて、より深みのある歌を歌えるようになっていく姿が印象的だった。
「私には大切なものがたくさんある。大切なものがあるから歌える歌があるんだ。大切なのは歌を歌うことだけ、歌だけがよいものだと思っていたときとは、歌うときの気持ちが違う。歌はよいものだけれど、よいものがよく歌われてこそ生きて伝わるんじゃないか。ほかの大切なものに気づかず、歌しか知らない私に、何の歌が歌えただろう。」 -
寝る前に読む電子書籍として最適な作品でした。
女子高生が主人公なので共感できる面もあるし(ずいぶん昔のことですが…)、なんといっても一人一人の思いを一人称で、しかも自然な時の流れに沿って描かれていて、読んでいて気持ちが良かったです。
最近同窓会にかかわることがありました。一部の参加者はとても熱心に会を組織化しようと取り組まれていました。また、参加者を増やそうとSNSを使って呼びかけもされるのですが、どうしてもその波に乗り切れないのです。
自分の中で高校時代がそれほど良い時代じゃなかった?友達が少ない?など原因を考えるのですが、当てはまることは思いつきません。久しぶりに会う友人は懐かしいと思うし、今のことを話しながら笑ったり泣いたりできる時間は貴重だと思うけど、この時間、なくても私は大丈夫かなと…
おそらくこの作品の登場人物たちもそうだと思います。この後、それぞれが自分の道を見つけて未来をどんどん進んでいった先で、ふっと懐かしく思い出すことはあるでしょうが、そこに居場所を求めることはないかと…
高校時代の数年は長い人生のほんのわずかな通過点。
誰でも今を一生懸命生きてると、時に昔を懐かしんでちょっと戻ってみたくなる時もあるでしょうが、何かを成し遂げたようにうまく区切りをつけてくれた教師や同級生に感謝をして、前を向くしかないのかなと思いました。 -
飛行機の中で読了。Kindleで199円だったので、短い話だと思ったらちゃんとした小節だった。Kindleがセールだった。それぞれの劣等感を持って私立の女子高に入った生徒たちの物語。『羊と鋼の森』もそうだが、著者は音楽を題材にすることが多い。著者のエッセイを読んでもそれがわかる。
ちょっとしたきっかけで友だちになり、それぞれの悩みが昇華されて行く。良書。高校生にもおすすめ。 -
まるでドラマを見ているかのようにすらすら読めます。音楽が好きではない中高生にもおすすめ。
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多感な思春期の少女たちの心の動きを見事に描写しています。
世の中みんながそんな「善意」に満ちていないよと若干僻みながらも
全力で応援している自分が居る
こんなにも「善」の連鎖が広まって少女たちのこれからの人生を彩る思い出を作れるのなら
「ひとつことを大勢で目指す」ことの大切さ
誰かとかかわることの煩わしさを知ったうえで、それでも誰かとかかわることで生まれる幸福感
是非多感な時期の人たちに勧めたい物語です。 -
自分が女子高生だったときを思い出すね。合唱だの体育祭だのなんだかんだと行事があって、いちいち燃え上がってたなあ。自分が燃えてたときに、冷めてたクラスメイトがいたはずだけど、全然目に入ってなかったなと今頃反省。中学で合唱コンクールの指揮もやったなあ。懐かしい思い出。たしかレコードがあったはずだけど、もはやプレーヤーがない。。。後にも先にも緊張で足がガクガクしたのは人生あの一度きり。
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不本意で入学してしまった高校。自分に不満のある少女たちが、合唱コンクールをきっかけに変わっていく。
っていうと、ああ、あれねと思いますよね。ただ、この作品ちょっと違います。一人の少女の佇まいが、それぞれを刺激して自分を見直すきっかけにします。
瑞々しくて、やさしく、凛としたお話です。そして、無性にカレーうどんが食べたくなります。