ここは退屈迎えに来て [Kindle]

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著者 : 山内マリコ
  • 幻冬舎 (2014年4月25日発売)
  • Amazon.co.jp ・電子書籍 (76ページ)

ここは退屈迎えに来ての感想・レビュー・書評

  •  テンポが良くて面白いです。地方都市の閉塞感をてんこもりにした8編の短編はすべて「女性」が主人公。特に最初の2編と文学賞受賞作の「十六歳はセックスの齢」の女性2人のコンビが楽しいです。
     僕のイチオシは「君がどこにも行けないのは車持ってないから」。連作の中では珍しく、「女性の自立」を暗示した終わり方なんですが、やっぱりアメリカ在住の僕はこういう展開が好きなんだよね、と思ってしまう。
     連作集の「たて糸」である椎名くんのいかにもありがちな変貌ぶりは男から見ても哀しい。これに限らず、地方出身/在住者には身に沁みる話が多いけど、それだけならばこの本を知るきっかけとなったブクログ友の「ひきこもり女子」や「残念店長」のブログの方が、実話である分、重い。
     地方と都会、女性と男性、リア充とそれ以外、など、いろんな読み方ができる本です。キンドル版は特に安価なのでw、お薦め。
     ところで、どうしてこれ映画化されないんだろ。オムニバスみたいにすれば簡単なのに。あるいは、1つか2つの話を軸にして編集するか...。

  • 地方出身じゃないのだけど、地方出身者が東京に憧れる気持ちはなんとなくわかるつもりだったのだけど、想像以上の違いがあっておもしろかった。こういう価値観に生きたことがないと、ホント想像もつかない生活だと思う

  • 地方都市の主に少女達の群像短編集。就職して地方に移住したので、この感覚よく分かります。
    余韻という意味では構成をもうちょっと考えても良かったんではないかな?とは思うけど、珠玉と言っていい連作短編集だと思います。

  • 確か、佐々木俊尚氏が自分のメルマガで紹介していたと記憶。他のところでも紹介されていて、気になって購入していたが、半年くらい放ってたんじゃないかな。そんなのばっかりやな、相変わらず。

    田舎に暮らす人々の抱える鬱屈した感情を描いた一冊、だと思うんだが、どうなんでしょう。最初の方はそうだったんだが、後のほうではどうも微妙な感じになってきている。

    一応連作短編集、ということになるかな。1人の登場人物(主人公ではない)を中心として、30歳から高校生に向かって時間を遡っていく。その時々での様子を描いている。

    1話目、2話目は非常に面白かった。4話目、6話目も良い。が、それ以外は田舎とかあんまり関係のない話に感じられるものもあり、少々残念。特に終わりの方なんか、田舎とかあんまり関係ないんちゃうかな、と思ったりする。

    1話目は特に面白かった。と言うか、少し痛かった。夢と希望を抱いて東京に出て、いろいろあって地元に帰り、そこにどんどん同化していく。その中で覚える違和感。地元に残り続けた友人とのズレと、自分がここに落ち着いてしまったことに対する困惑。そういうのが非常によく描けていた。

    これを読んでいると、地元を出たくて出たくて仕方なかった頃の自分を思い出す。20歳の時、僕は地元を出て、遠方の大学へ進学した。二度と戻らないだろう、と覚悟を決めて。てか、二度と戻りたいと思わなかった。帰省はするが、再び地元で生活するなんてことは、考えもしなかった。その頃の、奇妙な焦燥感と地元に対する諦めと外部への飢餓感と、それに支配されていた自分が、この本の中にはいる。

    そんなノスタルジックな気分にさせられる一冊でした。1話目の『私たちがすごかった栄光の話』は、何だろう、現実を見せられる感じ、6話目の『東京、二十歳』は、当時の自分を思い出させる話。昔を思い出させられた。

  • 田舎に住み、自分の置かれた環境を嘆きながら、「ここではない、どこか」を求める若者たち。一念発起して上京したものの、何も手に出来ずにUターン。初恋の人がさえない既婚者になっていた現実…。彼らの夢と現実の短編集。

    「ファスト風土」の代名詞とも言われる小説だったので、読んでみた。田舎で育った者としては、身につまされるような表現が多くて、いろいろ思い出させられた。

    ここに出てくる人たちは、何か起こった時に「環境のせい」にする人ばかりだ。「こんなはずじゃなかった」「もっとできるはずだった」と。でも、それを自分のせいだとは思わない。だから、地元にいたって東京にいたって、どこにいたって上手くはいかない。彼らが「自分のせい」だと思えるまで。

  •  「ロードサイド」小説と呼ぶのだそうだ。郊外というよりは、田舎の国道沿いに大型商業施設やチェーン展開の店舗などが並ぶ「ファスト風土」が舞台だ。
     主人公たちは、その街で育った若者たちである。視点人物は「女性」。共通して登場する「椎名」は男性。田舎の閉じられた空間で思春期を過ごす「彼女ら」は「椎名」に憧れたり呆れたりしながら街を出たり戻って来たり、街の中にずっと居たり。
     果たしてこれは、最近言われる田舎のロードサイドのつまらなさや味気のなさだけを描いているのだろうか。「ここは退屈」というのは、「ここ」が田舎だからなのだろうか。東京や大阪には退屈はないのだろうか。そう思いながら読みすすめた。
     「退屈」なのは、田舎だからではない気がした。つまり、「思春期」が退屈なのだ。己が何者かわからない。もしかしたら、何かすごいことができるかも知れない。有名になるかも知れない。白馬の王子様が現われるかも知れない。そんな夢物語を描くからこそ平凡な日々が退屈なのだ。
     そしてその退屈さは、男たち、特に「椎名」の見えかたに現われている。ただのおっさんになっていく「椎名」。しかし、その王子様だった頃の記憶だけを、彼女らは反芻する。もはや「椎名」は生身の「椎名」ではない偶像になる。
     「椎名」だけではない、彼女らが関わる男たち、東京から戻ってきた男や中年でありながら10代の女の子と性関係を持ち、うまいこと逃げていく男など。彼らの中に彼女らの求める「何か」はない。それを彼女らも気づいている。
     どういうわけか16歳でセックスを経験しないといけないと思い込み、王子様を探すが、結局王子様なんていないし、王子様だと思い込みきることもできない。結局、女の子どうしでおしゃべりしているほうがずっと楽しいと知る。思春期はやがて過ぎていくが、少女ともだちとの会話は確実に彼女らの「部品」となって、大人になってもその中に持ち続けていく。その「思春期」の葛藤や煩悶を超えたところに現われる「椎名」は、もう、ただの「男」で、あの熱狂はどこに行ったのかわからなくなる。
     「少女どうし」という関係は、「女どうし」とは違う。個別の思いや憧れを共有したくてたまらない情熱や熱狂は、大人になったら薄れてくる。それぞれの暮らしや人間関係の中で、熱は冷め、自分の体温を知る。互いの熱さを感じていた少女たちは、ほどほどの「人肌」を知る。それは「喪失」でも何でもない。「処女」でなくなったら何かを失くすわけではないように。

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