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感想・レビュー・書評
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塩野さんのローマ物語。
いつかは読もうと思っていたらKindle Unlimitedに届いたので読んでみた。
ギリシアとの対比を重ねながら、なぜローマが成長できたのか、丁寧に語っている。
時代は紀元前まで主に扱う。
スパルタの語源や、「ローマは1日して成らず」となぜ敢えて伝えられているのか、その言葉の意味を理解でき、ちょっとうれしくなった。
開放性、今ならば、オープンであること、多様性であること。それがローマの成長の根底であった。いまでも通じる根底である。
歴史を学ぶことで、わたしたちはどこからきて、どこにいて、どこに向かうのかを考えることができる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1. <ローマ人の物語>とは?
<ローマ人の物語>は、1992年から毎年1冊づつ刊行され、15年かけ、2006年で完結したシリーズだ。
単行本で全15巻、文庫本にして43巻の大著。
塩野七生 55才から70歳までの畢生の力業だ。
彼女は、自分の作り出したこのジャンルを<歴史エッセイ>と呼んでいる。
(1)<寛容さ>をめぐるドラマ
この著作のテーマは、<ローマはなぜ普遍帝国を実現出来たか>にある。
ローマを普遍ならしめたのは、カエサルの打ち立てた<寛容さによる統治>だった。
したがって、全巻を通じて通奏低音のように流れるのが、この<寛容さ>を巡るローマ人の格闘とそのドラマだと言える。
この著作が<ローマ人>の物語であって、<ローマ>の物語でも、<ローマ帝国>の物語でもないことがそのことを物語っている。
何故なら、<寛容さ>を貫くかどうかを決めるのは<人>だからだ。
何故、人はその時、その状況で、<寛容さ>に対して、そのような行動を取ったのか?
この<歴史エッセイ>は、史実に基づいて、その人の内面にまで肉薄して行動の原理を探るため、どの巻を開いても、リアルで迫真力に富み、途轍もなく面白い。
自分がその時の政権担当者であったらどういう判断を下したかを想像しながら読み進めると、史実と人間心理がより切実に感じられる筈だ。
そして、その時の当事者(カエサル、オクタヴィアヌス、ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロ等々)は<寛容さ>に対してどのような判断を下して、それによって歴史はどう動いたのか、を我が事のように感じられる筈だ。
(2)<歴史エッセイ>
塩野七生は歴史学会から全く無視されている。
<あれは歴史書ではなく、小説だ>というのが歴史学者が異口同音に語る塩野評だ。
これに対して、塩野七生は、わたしが書くのは<歴史エッセイ>だと、胸を張って答えている。
塩野の言う<歴史エッセイ>とは何なのか?
歴史学術書や小説と何が違うのか?
同じローマ時代を取り上げた三冊を比較して、塩野の意図を探ってみよう。
歴史小説 <背教者ユリアヌス> 辻邦生
歴史学術書 <ローマはなぜ滅んだか>弓削逹
歴史エッセイ <ローマ人の物語> 塩野七生
小説の魅力は、何と言っても作家の豊かな想像力によって、情景、色彩、香りまでも再現してしまうリアルな描写力にある。
特に辻邦夫の描写力は天下一品で、読む者をして、自分がコンスタンティヌス大帝の治めるコンスタンティノープルにいるかのように思わせてくれる。
それは小説の想像力のみが可能とするものだ。
そして、架空の人物を登場させてでも、ストーリーを際立たせる創作テクニック。
<背教者ユリアヌス>に登場する踊り子は、後代のユスティニアヌスが踊り子テオドラを妃とした史実を脚色して、ユリアヌスの人生を際立たせるために投入された架空の人物だ。
キリスト教との対決に苦しむユリアヌスの息吹まで感じることが出来る。
一方、学術書が持つのは、切れ切れの歴史的断片を、学者の想像力がリンクしていく、スリリングな論理展開にある。
飛び飛びの史実を想像力が上手くリンク出来、論理的に破綻が無いか、が問われる。
しかし、ここからは人の息吹までは伝わってこない。
それは、学者が<価値自由>(ヴェルト•フライハイト)という名目で自己抑制をかけているという事情はあるものの、結局は想像力に限界がある(貧弱である)からと、と言わざるを得ないだろう。
小説の持つ際立った想像力と学術書の持つ強靭な論理展開の両方を併せ持つのが、塩野七生の生み出した<歴史エッセイ>と言える。
塩野は、切れ切れの史実からは決して離れない。
その意味で、学術書の原則を踏まえている。
しかし、豊かな想像力を駆使して、歴史上の人物の精神構造にまで入り込んで、歴史的決断を理解可能なものとする。
それによって、切れ切れの史実を貫く論理的構造を明らかにしてみせる。
しかし、架空の人物を登場させてまで、論理構造を補強、照射することまではやらない。
ひとことで言えば、塩野七生は、全く新しい歴史叙述、<語り>を創出したのだ。
これは、彼女が登場するまで存在しなかった独創的な<語り>だ。
彼女はその<語り>に絶大な自信を持っている。
彼女の<語り>に一番近いのが、梅原猛の<語り>だろう。
彼もやはり歴史学会から完全に無視されている。
梅原猛、塩野七生の想像力は学者のそれを圧倒的に凌駕し、小説家のそれに迫っている。
そこには確かに、史実としては断定出来ない飛躍もある。しかし、史実を踏まえた飛躍が、歴史的決断を生き生きと蘇らせることに成功しているのであれば、歴史学会は、その飛躍を切り捨てるのではなく、その実証性を確認してみたらどうなのか、と思う。
<歴史エッセイ>と<歴史学術書>の相乗効果を期待し得るのではないか。
そして、その成果は、歴史小説の更なる飛躍をもたらす筈だ。
小説、歴史エッセイ、学術書が、相俟って歴史を深掘りすることを望みたい。
2. <ローマ人の物語>の構成
(1)3区分
この後大著を区分すると、前•中•後編の三つに区分することが出来る。
前編は<ローマの興隆期>でIからV巻まで。
中編は<ローマの安定期>で、V IからX巻まで。
後編は<ローマの崩壊期>で、X IからXV巻まで。
一番人気があるのが、共和制から帝政に移行するまでの<ローマの興隆期>だ。ハンニバルも、スキピオも、カエサルもここに登場する。正に血湧き肉躍るワクワクする時代だ。
これは王制が共和制となり、それが発展して民主制に至る(べき)という政治的イデオロギーに支えられたものだ。
そして、良く論じられるのは、ギボンの<ローマ帝国衰亡史>を筆頭とした<ローマの崩壊期>だ。
全く人気がないのが、その中間に位置する<ローマの安定期>つまりローマ帝政の盤石期だ。
王制が共和制となり、それが発展して民主制に至る(べき)という政治的イデオロギーを信奉する歴史学者にとって、王制が共和制になったにも関わらず、それが民主制にではなく帝政に移行するとはどういうことか、時代に対する逆行ではないか、という訳だ。
(2)新しい価値尺度の提示
塩野七生の真骨頂は、歴史学者の多くが信奉する政治的イデオロギーなど歯牙にもかけない所にある。
塩野七生が持ち込んだ尺度は政治イデオロギーなど関係なく、<国民をどれだけ幸福に出来たか>というプログマティックな尺度だけだ。
このわかりやすい尺度を当てはめると、俄然、貶められていた帝政による<ローマの安定期>に注目が集まるのだ。
600人の幸福しか保証しない共和制体を、万人の幸福を保障する帝政に、強引に転轍しようとしたカエサルと、その帝政を音もなく、抵抗も反対もなく出現させてしまったオクタヴィアヌスに注目が集まるというものだ。
ローマ帝国の時代、<ローマの安定期>に語られるのは、軍事力を巨大帝国のメンテナンスだけに活用する<侵略戦争無き時代>なのだ。
帝国は侵略して領土を拡大するものだ、という固定概念は簡単に覆される。
ローマにとって<侵略戦争の時代>は、歴史家の称賛する<ローマ共和制の時代>つまり<ローマの興隆期>であったのだ。
(3)ローマ軍団の仕事
帝政時代のローマ軍団は侵略行動を行なっていなかったとしたら、何をしていたのか?
やっていたのは防衛のみ。
常勝ローマ軍団は、侵略戦争は一つもせず、境界線(リメス)の防衛に集中していたのだ。
裕福なローマに侵入して略奪、あわよくば定住を企図した蛮族を境界線の外に押し戻すこと。
これに全勢力を傾けていたのだ。
ローマ軍団が境界線の守りを固め、蛮族の侵入を防ぐことで、帝国内に平和がもたらされた。
平和は農業生産の拡大をもたらし、自由で安全な移動の保証は商業を発展させた。
ローマ領内は益々栄え、蛮族から見ると益々侵入したくなる。
ヨーロッパ、北アフリカ、中近東において、数百年もの長きにわたって、戦争が皆無であった時代など存在したためしはない。
それを実現したのがローマ帝国だった。
<パクス•ロマーナ>ローマによる平和とよばれる所以だ。
以下の巻に感想メモを記した。
I巻 ローマは一日にして成らず
VI巻 パクスロマーナ
24巻 賢帝の世紀(上)
26巻 賢帝の世紀(下)
36巻 最後の努力(中)
40巻 キリストの勝利(下)
42巻 ローマ世界の終焉(中)
43巻 ローマ世界の終焉(下) 総括 まとめ
別巻 ローマ人の物語スペシャルガイドブック
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20210228
なぜ知力でギリシャに劣り、技術力でエトルリアに劣り、経済力でカルタゴに劣り、膂力でケルト人に劣ったローマだけが、世界史に燦然と輝く地中海と西ヨーロッパに広がる1000年帝国を築けたのかという問いに挑戦する大作。鷹揚な宗教、王政・貴族政・民主政を中庸した執政官・元老院・市民集会からなる政治システム、民族に関わらず市民権を与えた開放性が答えであると著者は語る。
☆素早く一貫した意思決定と、貢献に応じた発言権を前提とする合意形成
・民主政を進歩的であるというだけで礼賛することを批判。成文法をいち早く定め、地中海世界をリードしたギリシャは、12表法をはじめローマにも多くの影響を与えた。しかし、市民集会によって選ばれる6人のストラテゴによる合議制と抽選による全ての公務員の任用という史上唯一の大国によるアテネの直接民主政はペリクレスという天才のもとでのみ機能し、その後は衆愚政に堕ちた
・敗者の元老院への取込みと、ラテン同盟・ローマ連合に代表される勝って譲る融合戦略がローマを拡大させた
☆明確なヴィジョン・ミッションに基づくメリトクラシー。方針に賛成するものは、誰であれ参加を認め、貢献に応じて公平に評価される。年数やバックグラウンドには関係ない
・参政権と軍務をともに持つ市民権の考え方が、質実剛健をモットーとし、名誉心を第一の美徳と考えたローマの健全な精神を育てた
☆会社組織でも、株を買わせるという義務(新規投資が必要なときに身銭を出す義務を持つ)と、取締会への参加という権利をセットにして運用すると良いかも -
王政時代の話が意外に面白かった。支那の歴史では6代も続くと大体とんでもない王や皇帝が出てくるのだが、ローマでは出来過ぎのように王政が機能した...と思ったら世襲と選挙の違いだったか。
ところどころに塩野史観が出てくるが、イデオロギーや理想にとらわれない現実主義なので、気持ちよく読める。
「自由・平等・博愛の理念を振りかざせば振りかざすほど、理想から遠ざかる」というコメントには納得。所詮はちっぽけな人間が「頭の中」で考えた理想主義など、百害あって一利なしであることは、歴史を振り返れば一目瞭然である。
「カサンドラ」のたとえは9条信者にぴったりだ。 -
読了日 : 2023年8月31日
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この次の「ハンニバル」が面白かったから読んでみたものの、戦闘の部分は楽しく読めるのに政治の部分は退屈になってしまう。途中で挫折した。
けど、久しぶりに懐かしい名前を見て少し楽しかった。 -
ローマはなぜ発展したのか?
ローマは一日にして成らず。
この言葉が重い。
この本では
紀元前753年の建国から
紀元前270年イタリア半島の統一までを
描いている。
ローマは
紀元前390年に
ケルト族が来襲し
ローマを占領されてから
国を立て直し、
イタリア半島を統一するまで
実に100年以上もかかっている。
ではなぜ
あれほど高度な文化を築いた
ギリシアが衰退し、
ローマは興隆を続けられたのか?
この問いに
ローマ史の一次資料となる
『ローマ史』のリヴィウス(ローマ人)
『歴史』のポリビウス
『列伝』のプルタルコス
『古ローマ史』のディオニッソス
のうち
リヴィウスを除く
3人のギリシア人の考えを
塩野七生は支持する。
⒈ 宗教についてのローマ人の考え方
⒉ ローマ独自の政治システムの確立
⒊ 敗者でさえも自分たちと同化する生き方
この3点すべてを正しいと塩野は語っている。
これらを集約するとすれば、
ローマ人のもつ開放的な性向だと言える。
塩野はこう言う。
「古代ローマ人の真の遺産とは、
宗教が異なろうと
人種や肌の色がちがおうと
同化してしまった、
彼らの開放性ではなかったか」
現代人にとって、耳が痛い指摘である。 -
ローマの建国から共和政ローマ、エピロスの王ピュロスと戦うまで。
B.C.753〜B.C.270 -
文句なしの充実感。学術書と呼ぶべきか、歴史概説書と呼ぶべきか、圧倒的な内容。まだまだ先は長い。
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去年イタリア行った時に久々に読み直した。当然名著である。