【カラー版】アヘン王国潜入記 (集英社文庫) [Kindle]

著者 :
  • 集英社
4.20
  • (31)
  • (20)
  • (12)
  • (0)
  • (2)
本棚登録 : 319
感想 : 22
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・電子書籍 (383ページ)

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 『まさか著者が…』

    潜入記なのでスパイ物のようなスリリングな展開を予想していたが、かなり端折っていたと思うがあっさりと入国、反政府軍の最高司令官と食事をしてたりするし、すぐ潜入したなぁと思ったりした。
     肝心のトライアングル内部の村に住まわしてもらっても、草刈りなどの農作業しかすることが無く、ブラブラしている始末。ここが本当に世界で恐れられている黄金のトライアングルなんだろうか?しかも著者の文化人類学的?な観察により、ワ人の習慣や習性が描写されると全然怖い感じがしない。
     要するに世界中で問題になっているコカインの原料であるアヘンといえども、そこで住んでいる彼らにとっては、人参や大根と同じ農作物なのだ。ただし、村人の中にも数人アヘン依存症の人がおり、著者も体調が悪くなった事から村唯一の「薬」であるアヘンを処方されたことから、依存症になってしまう。ヤクを求めて東南アジアを旅してますみたいなバックパッカーではない著者みたいな人でも、アヘンにふれると依存症になってしまうのだなぁと妙な感心を覚えたのと、ゴールデントライアングルの潜入よりも、アヘン依存症体験記ということに衝撃を受けました。(ちなみに3週間ほどて依存症は抜けたそうです。)とても面白いので、オススメです。

  • 著者自身が、アヘン中毒になってしまったという話も含めて、面白く、刺激的な本だった。この本、もう20年くらいか、もっと前の話なんだよね。怒涛というか、パワフルというか、なんかすごいなぁと圧倒される展開だった。笑えるような、でも笑っていいのかな、というアジアの独裁政権下の話とかね。案外、日本も変わんないかも知んないんだけど。楽しい本だった。ワ州の、著者が訪れた村はもうないんだろうか。なんか、その辺りの結末は、ちょっと物寂しい。

  • 他の方の感想を読んで面白そうだと思って購入。
    予想以上に面白かった。あとがきではないですが、今のワ州がどうなっているんだろうかと思いました。

    本にするまでの苦労を書かれていましたが、英語の本の方が人気が出たというのが残念だなぁ。好きそうな友人にプレゼントしました。

  • (後で書きます。大変に面白く示唆に富む。参考文献リストあり)

  • すごみある、有難いですね… 

  • 「私の好奇心は必然的にジャーナリズム的な関心と重なってくるところがあり、一時はかなりそちらに傾倒した。だが、ジャーナリストと呼ばれる人たちと話をしたり、新聞、雑誌、関連書などを読みあさるうちに、何かちがうなという異物感が腹にたまってきた。そこでは、《麻薬》のルートがどうであるとか、あそこを牛耳っているボスが誰それで、CIAと極秘の結びつきがあるとか、国連やアメリカがどう動いているとか、そういうことばかりに執着していたのである。その気持ちはわかる。私だってそういうことを知りたいと思うが、しかし、やはり何かがちがう。
     その異物感を一言でいうなら、多くのジャーナリズムというのは上空から見下ろした俯瞰図だということだ。べつな言葉に置き換えると、客観的な「情報」である。「木を見て森を見ず」という戒めに忠実に従っているのだろうが、悪くすれば「森を見て木を見ず」の姿勢ともなる。それは不特定多数の人に伝わりやすいが、手で触ることができない。
     おそらく、私と彼らとの方法論のちがい、もしくは性分のちがいなのだろう。あるいは単に私がジャーナリストの能力に欠けているだけかもしれない。が、とにかく私としては、一本一本の木に触って樹皮の手ざわりを感じ、花の匂いや枝葉がつくる日陰の心地よさを知りたかった。それから森全体を眺めてもいいのではないかと思った。
     そうした経験ののちに私が思いついたのは、かなり突飛なことだった。ゴールデン・トライアングル内の村に滞在し、村人と一緒にケシを栽培し、アヘンを収穫してみよう、そのうちにそこに住む人びとの暮らしぶりや考えていることが自然にわかるにちがいない、というものである」

    「おやっさんのもう一つの口癖に「ワ人には『文化』はない。しかし……」というのもあった。日本語で聞くと奇妙だ。コンゴのジャングルに住む者も、アンデスの山奥に暮らす先住民も、人間は誰しも文化を持つ。文化のない民族など存在しない。だが、中国語の「文化」はその意味ではない。それは「教養」のことである。たとえば、学歴のことを「文化程度」という。さらにいえば中国の教養とは書物を読むことである。だから、固有の文字を持たないワ人には「文化」がないことになる。
     つまり「『文化』はない、しかし『歴史』はある」、くだけていえば「教養はなくとも、おれたちは先祖代々ちゃんと土地に根ざして生きてきたんだ、信じてくれよ!」というのが、おやっさんらの主張の骨子であり、そこには無文字社会の悲哀が色濃く感じられる。
     それほど言うなら歴史の話を拝聴しようかと思ったら、あとで部下の若い者に口述筆記させるつもりであることが、繰り返しのやりとりでわかった。しかし、このとき、このタン・クン・パオこそ、例の「サロウィン川東部はすべてワの領土」説を唱えている張本人だと知り、話を聞く気がしなくなった。公認印がついたワの歴史を知っておくのは悪いことではないが、彼は国家とはいわないまでも組織を背負っている。組織を背負った歴史家が信用ならないことはほかならぬ歴史が証明ずみだ」

    「本来、革命とは政権をひっくり返す作業のことで、一度ひっくり返してしまったら、もう革命は終わりのはずである。中国の「革命」とは、現政権を保守することでしかない。革命の保守。言葉の矛盾だ。それをいちばんよく知っていたのはおろらく毛沢東だったろう。だから、彼は永遠に革命をつづけようとして、文化大革命という破壊行為を推進したのだと私は思う。その文革がワに共産主義をもたらした……と話は一周してしまう」

    「村では中国語が通じそうもなかった。それでも私が片言のワ語で、「この村で嫁をもらう」と言うと、大いに受けた。こういうとき、通訳を介していては感じられない、何か心の奥深くで通じ合うものがある。「共感」と言い換えてもいいかもしれない。言語によるコミュニケーションと共感。どちらを取ったらいいのだろう」

    「もう一つ忘れてならないのは、このころからパイプによるアヘンの吸飲がおこなわれるようになったことだ。薬草に直接火をつけ、煙を吸うという方法はアメリカ大陸の先住民による発明である。コロンブスらがタバコとともにその吸飲法を持ち帰ったわけだが、どういうわけか、ヨーロッパではアヘンの煙をタバコのように吸うという発想が生まれなかった。初めてこの方法が編み出されたのは、オランダ領の台湾もしくはインドネシアだといわれている。
     いずれにしても、吸飲というのは画期的な方法だった。口から服用すると胃から消化吸収されるまでに最低30分はかかるし、効き方がマイルドなのでなかなか多幸感が得られない。ところが、煙だと肺から血管に瞬時に吸収される。効き方も強い。手に入りやすいことと効き目があらわれやすいことは、嗜好品として、あるいは《麻薬》として必須の条件である。今まであまり注目されてこなかったが、このアメリカ先住民式の吸飲法が発明されなければ、アジアでアヘンがこれほど広まることはなかったのではないかと、私は思うのである」

    「茶は16世紀、船乗りや宣教師らによってヨーロッパに伝わり、初めは薬屋で貴重薬として販売された。ヨーロッパ人にとって、お茶という飲料はよほど強烈なものだったらしく、初期の飲用者には病が癒えるのみならず、幻覚症状を起こした者もいたというくらいだ。今ではお茶を一服して病気が治ったとか幻覚を見たなどという話は信じがたいが、日本の茶道を「薬物を利用して仲間意識を高めるための儀式」として位置づけている欧米の民族学者の記述を読んだりすると、彼らにとって茶は特別な飲料であったことが理解できる。
     19世紀に入ると、イギリスでは「ティー・タイム」が一般化し、茶は生活に欠かせないものとなった。どんなに中国との貿易赤字に苦しみ、銀が流出してもイギリス国民は喫茶の習慣をやめられなかった。もし、中国に戦争をしかけるだけの軍事力がなければ、茶の輸入や飲用を禁止しなければならなかったろう。こうなると、もはや《麻薬》以外のなにものでもない。
     茶に対抗してアヘンを売り込めというのはなるほど悪辣な手段だが、戦略的に考えるなら、教訓を生かしたひじょうに有効な作戦だったといわなければならない。私がアヘン戦争を「薬物戦争」と呼ぶ所以である」

    「アヘン戦争後、当然のことながら中国ではアヘンの輸入量がふえ、中毒者も増加の一途をたどった。しかし、中国人も手をこまねいていたわけではない。中毒者がふえるのはやむを得ないとしても、イギリスからわざわざ高い値でアヘンを買い求める理由があるのか。まったくない。アヘン戦争に買ったイギリスが中国のアヘンの輸入高を定めたわけではない。
     そもそも、この戦争の不思議なところは、「アヘン」という言葉の使用をイギリス人が徹頭徹尾、避けていたことにある。イギリス人はアヘンの有害性についてよく知っており、有害性のある物質を他国に売りつける非人道性も知っていた。つまり、確信犯である。したがって、イギリスにとって、この戦争は、建前ではアヘンとは何の関係もない、単なる二国間の国益や国策の食いちがいによる「ふつうの戦争」なのであり、中国はイギリスにアヘンの購買を強要されてはいない。
     輸入アヘンの高値に対抗するため、中国は実に単純な措置をとった。自国でケシを栽培し、アヘンを作り始めたのである。ケシの栽培に向いている土地はいくらでもあったが、なかでも、熱帯に属するが標高が高く、冷涼な貴州省、雲南省がうってつけであった。だが、ケシの作り手はいわゆる中国人である漢族ではなかった。ケシが作られるのはもっぱら山岳地帯であり、一般にそのような土地に住むのは漢族に平地を奪われた少数民族である。もともと雲南省とその周辺は「民族の十字路」と呼ばれるほど多種多様な民族が共存している地域である。そのなかにワ人もいた」

    「子どもたちは日中は外で働いているので復習するとしたら夜しかない。勉強するには明りがいる。海のものとも山のものともつかないワ語の読み書き能力向上のために、安くはない灯油を消費するのは贅沢以外の何ものでもない。そこで息子や娘のために灯油ランプを使うことができるかどうかが、勉強の出来不出来においては境目になる。私はある晩、遊びに行った家のランプの明りの下で子どもが復習をやっている姿を見て、「あ、この家はけっこう余裕があるんだな」と理解したこともある。
     というわけで、学校とははなっから無慈悲な代物なのである。幸いなことに、このサム先生の主宰する仮設学校は試験もなければ成績表もない。ましてや、勉強ができなくても、それが将来の何にもつながらないので、落ちこぼれても問題はない。
     ところが、いわゆるABCが終わり、単語の綴りに入ると、学校のべつの管理システムが姿をあらわした。それまでのは同じ管理でも、村のなかの管理であったが、今度は国の管理である。
     ムイレ村は首府パンサンのはるか北東にあり、言葉が東京弁と大阪弁ほどもちがう。私は先に「標準ワ語」と言ったが、それは首府パンサンおよびそれに隣接する中国のワ人居住域の言葉である。現にワ州政府がそう決めているし、文字もその音に従っているので、これは間違いではないが、村人がそう思っているかというと、まったく別問題である。村人は中国やパンサンのワ語は単に中国やパンサン地方の言葉であり、自分たちがしゃべっているのは、この地方の言葉だと思っている。つまり、対等である。とりわけ、このムイレ村は由緒が古く、村の古老には「中国に住んでいるワ人の多くはこの村の出身だ」とまで言う者がいる。実際。この村の「伝統度」はかなり高い。つまり、ムイレ村はワの伝統文化の中心地だということだ。
     それが文字を習うとどうなるか。「わたし」は村言葉の「ウー」ではなく標準語の「アウ」となり、同様に「あなた」は「ミ」ではなく「マイ」と読まされる。綴りがそうなっているのだから、ほかの読み方はできない。ウーやミと読めば、先生に怒られる。無条件降伏だ。ここにおいて、少し前まで「パンサンや中国の言葉」だったものが「標準語」にのしあがり、「おらが村の言葉」は「方言」に零落してしまう。このとき国家の中央集権化は確実に大きな一歩を進める。
     どこの国の歴史でもあったことだろうし、政治や文化に多少関心がある人なら常識レベルの話である。が、誰かが言ったように、地面に落ちた果実を見るのはたやすいが、枝から果実がちぎれ落ちる瞬間はなかなか見られない。ましてや、地元の住民以外は誰も「国家」と認めていないワ州で、「標準語」と「方言」が誕生する場面に立ち会うのはなかなか感慨深かった」

    「アイ・スン、ちょっと聞くけど、戦争で死ぬのは怖くないの?」
    「アン・ラット(怖くない)」
     彼はきっぱり答えた。これは予想どおりの答だ。私はそれまで、ことあるごとに、ワの男たちに同じことを聞いたが、全員がこう答えているのである。しかも、そこにはハッタリや気負いのようなものはほとんど感じられない。アイ・スンのように胸を張って答える者もいるが、どちらかというと、ニコニコとシャイな笑顔を浮かべて「怖くない」と首を振る人のほうが多い。これだから、他の民族はワの兵隊を恐れるんだなと心底実感する。
     ワ人はふだんはけっして勇ましくないし、気性も激しくない。どちらかといえば温和で、ひじょうに礼儀正しい。そして、何より従順だ。こういう人たちが戦争になると、死を恐れず敵に向かって突っ込んでいくのだ。
     しかし、この夜、「どうして怖くないの?」と重ねて聞いたときのアイ・スンの答には、ほんとうに驚いた。「おれが死んでもアイ・レー(長男)がいる。アイ・レーが死んでもニー・カー(次男)がいる。ニー・カーが死んでもサム・シヤン(三男)がいる。サム・シヤンが死んでもアイ・ルン(四男)がいる」
     こう平然と言ってのけたのだ。ふつうなら「おれが死んでも子どもたちがいる」くらいで止まるだろう。仮にも「長男が死んだら」などと口には出さないものだろう。それを息子三人までは死んでもかまわないと明言するのだ。ひどいことを言うものだと思った。末っ子のアイ・ルンは彼が毎朝あやしている赤ん坊でまだ生後三カ月である。それさえ生き残ればいいと言うのだ」

    「民族ゲリラの数もいったいいくつあるのやら、見当がつかない。人が百人集まり、銃が数十挺あれば、「ーー民族独立軍」とか名乗ってしまうからだ。「民族民主戦線」という主要な民族ゲリラの連合体がある。本来は各ゲリラが協力しあって、いっせいにビルマ政府と戦うことを趣旨として形成されたのだが、それぞれ規模もちがえば、目的や主張も異なるので、情報交換を主とする「連絡会」程度におさまっている。それに名を連ねているものは、いわばメジャー団体だが、それでも1996年の時点で15もあった。まさに、東南アジアのユーゴスラビアである」

    「ビルマの少数民族は多かれ少なかれビルマ人が好きではない。「ずるい」「平気で人を騙す」「差別する」と彼らは言う。また、外国のビルマ・ウォッチャーはジャーナリストにしても、アムネスティー・インターナショナルのようなNGO団体にしても、大半がラングーン中心主義である。民主化の問題さえ論じれば事足りると信じている人びとも多く、少数民族の独立や自治については、アウン・サン・スー・チーらビルマ民主化勢力も、軍事政権と同じくらい否定的であるという事実を無視しており、少数民族側からビルマを見ている私はしばしば反発を覚える。つまり、ビルマの国のなかでも外でも少数民族差別もしくは軽視が改まる様子はないのだ」

    「ニーたちは市場で銀貨を買いあさっていた。イギリス植民地時代のインドのルピー銀貨である。1907年とか1913年の刻印が押してあり、裏にはジョージ7世とかエドワード5世など聞いたこともない英国国王の横顔が描かれている。ニーたちによれば、ムンマオ県のいくつかの地域では、村の人たちがビルマの紙幣はもちろん、ワ州の公用通貨である中国の人民元ですら信用せず、銀貨しか受け取らないという。おやっさんはあちこち歩いて回るため、そういうところへ行ったときに必要とするらしいが、そんな辺鄙な場所があるのかと驚いた。100年前の古銭を使っているのだ。辺鄙さはうちの村の比ではない。ワ州はほんとうに奥が深い」

    「発端は、ニー・サンの喪のとき、暴れん坊のサイ・ナップが私の小型テープレコーダーを「アヘン6両で買いたい」と申し込んだことにある。アヘンは1両=100元と聞いていたので、私は、600元すなわち約7200円になると素早く計算し、二つ返事でOKした。支払いは収穫後でテレコはその場で彼に渡した。そのときは、さすがワ州の村、アヘンでものを売り買いするのかと感心しただけであった。それがいざ収穫期になると、「やっぱり6両分を現金で支払う」と彼が言い出した。私はどちらでもいいと思ったので承諾したのだが、そのことをアイ・スンに話すと、彼は額にしわを寄せ、「サイ・ナップの野郎、騙したな!」と舌打ちした。
    「べつに現金だっていいじゃないか。1両は100元だろ」と私が不思議そうな顔をすると、アイ・スンは、「それはもっと先の話だ。今は1両は50元から60元だ」と言って私をびっくりさせた。私はワ州に長くいながら知らなかったのだが、2月から4月にかけてはアヘンが市場にあふれているので値段が安い。それが5月、6月になると80元から90元になり、8月から10月には100元を大きく上回るという。かつて1ジョイ=3000〜5000元と聞き、どうしてそんなに開きがあるのだろうと訝しく思ったことがあるが、アヘンの価格が変動相場制とは露知らなかった。1両=50元なら300元にしかならない。つまり、私はテレコを半額に値切られたのだ。
     もう1つわかったことは、この時期は、現金よりアヘンを貯めこんでいたほうが有利だということだ。村人はケシ畑の分配やアヘンの趣味的吸飲にはおおらかな一方で、まったく矛盾するような話だが、アヘンの売り買いでは駆引の火花をちらしているのだった。
     私が目撃した最初の例は、ある朝、私の家の前で酔いどれ司祭のサム・タオじいさんが何人かの男と地面にしゃがみこんで、天秤ばかりでアヘンを量っている現場だった。どうやら「仏のイ・ナップ」の長男にアヘンを売っているらしい。じいさんの家は酒代で困窮している。値が安いとわかっていても、手持ちのアヘンを放出せざるをえないらしい。相手は金に余裕があるから、じいさんのアヘンを買い叩いて、あとで高く売るつもりなのだ。どこが準原始共産制だ。金持ちはどんどん豊かになり、貧乏人はどんどん貧しくなっていく。それも投機で。資本主義の最先端のやり方ではないか。
     これが特殊な例ではなく、村の人間みんながやっているということが、そのうち明らかになった。日ごろほとんど交流のない近隣の村からアヘンを買いに来たり、あるいは逆にムイレ村の人間がよその村へアヘンを買いにいくことも知った。子どもですら、親から小遣いがわりにもらった少量のアヘンを換金する機会を窺っている者がいた」

    「こんがらがっていた糸がすーっとほぐれてきた。それはアヘン=ヘロインとルビーの関係である。意外と知られていないことだが、シャン州は世界最大のアヘンの産地のみならず、世界最大のルビー(もしくはサファイヤ。両者は同一の結晶体の色ちがい)の産地でもあるのだ。
     主要な鉱山は2つある。1つはモゴック。巻頭の地図を見ていただきたい。シャン州はその西側のビルマ直轄地とは、ほぼまっすぐな線で州境を接しているが、モゴックのところだけ不自然にえぐられている。ルビーの鉱山が欲しいばかりにビルマ政府が州境を書き換え、もともとシャン州にあったモゴックを直轄地(管区)に組み込んでしまったためだ。地図のその部分を見ただけでも、ビルマ軍事政権の強引さとそれに対するシャン州の非ビルマ系住民の恨みが想像できる。
     さて、一方のムンスーはわりと最近になって発見された鉱山である。生産量が落ちているモゴックより埋蔵量は多く、ルビーの質も高いと言われており、現地はゴールドラッシュの様相を呈しているとも聞く。そこにワ軍が割って入っているというわけだ。宝石が集まるところには金が集まる。そして、金の集まるところにはアヘンも集まる。
     歴史家タ・クン・パオのおやっさんも、ムンスーにアヘンを持って行って一儲けするとサムが言っていた。村長アイ・ムンから、村から外に出たアヘンの半分はムンスーへ送られると聞いたこともある。ビルマ・シャン州では事実上、ワ軍の駐屯地は治外法権で、ワ・ナンバーの車は外交官専用車並みのノー・チェックである。堂々とブツを運べるにちがいない。忙しく行き来しても、「ルビーの仕事だ」と言えばすんでしまう。実に便利だ。
     ところで、私はこのとき、もう1つ奇妙な符号に思い当たった。話が飛躍するようだが、南米コロンビアとの類似である。コロンビアは言わずと知れた世界最大のコカイン生産地だが、エメラルドの世界最大の生産地でもある。これは偶然の一致だろうか。必ずしもそうとはいえないのではないかと私は思うのである。というのは、私は以前コロンビアへ行ったとき、ある日本料理店のオーナーから面白い話を聞いたことがあるのだ。
     かつてエメラルドの売買をしていたというその人物によれば、「エメラルドとコカインのビジネスはひじょうに似ている」という。エメラルドは扱う量が少なくても莫大な利益を得ることができる商品である。税関に申告せずに闇で簡単に流すことができるし、税金のごまかしもきく。それはコカインの商売と容易に重なる。受け渡しや決算のやり方まで瓜二つだという。
     かくして、初めはエメラルドを扱っていた宝石商がコカインに手を出すことがひじょうに多い。逆もまた可である。特別な倉庫や大がかりな輸送システムがなくても、ちっぽけなオフィスを構えるだけで、ことは足りる。「宝石屋」が格好の隠れみのになる。たとえば、以前、「エメラルド王」と称され、マスコミにももてはやされた日本人は、誘惑に耐え切れずにコカイン・ビジネスに手を出し、結局、密輸先のアメリカで捕まり、終身刑になったそうだ。
     ワ州を含め、シャン州でも似たようなことが起きているという疑いは拭えない。もちろん、純粋な宝石商人もいるはずだから十把ひとからげにしてはまずいが、私の知っている人間にも、ワ人、シャン人、タイ人、中国人を問わず、何をしているのかわからない人間が少なからずいる。聞いても「宝石の商売」と答えるから、それ以上突っ込めない。とにかく、宝石と非合法薬物の奇妙な関係というのは、一度誰かが真剣に考えてみるべき問題だと思う」

    「ある日、年配のラフ人の牧師が英字新聞の切り抜きを手に何かを説明していたとき、「クンサー」「ウ・サイ・リン」という名が聞こえ、ぼんやりベッドに寝そべっていた私の神経を針でつついた。彼らの共通語がビルマ語なのでよくわからなかったが、あとでその記事を見せてもらうと、活字の組み方からタイの英字紙「THE NATION」だとわかった。日付は4月9日。見出しは「ワのゲリラ、アメリカの告発に驚く」。
     それによると、アメリカ政府による最近の発表で、ワ軍の総司令官パオ・ユーチャン(タ・パン)、副司令官リ・ツ・リュウ、南部司令官ウェイ・シュウ・カンの3人が世界のヘロイン・ビジネスにおけるトップ・スリーと決めつけられたという。ほかに名前があがっていたのは、東シャン州軍のウ・サイ・リン(リン・ミン・シャン)、ローカン軍のプン・チャ・シン、カチン防衛軍のウ・マトゥ・ノー。最後の人物を除いて、あとは馴染みの名前ばかりであった。
    「あー、ワ軍は、はめられたな」と私は思った。アメリカ政府は毎年、ヘロインとコカイン部門の密輸業者もしくはマフィアを告発するのを恒例としているが、ヘロインに関してはここ10年来、標的はクンサー一辺倒だった。それがクンサーがビルマ政府に「帰順」してから、突如、ワ軍に矛先が向けられたのである。ワ軍はクンサーの「帰順」を喜んでいる場合ではなかったのだ。
     以下は、のちにチェンマイで、クンサーから放り出された連中に聞いた話だが、クンサーは以前からビルマ政府と深く癒着しており、今回の突然の帰順もシナリオどおりであったという。山のなかの生活に飽きたクンサーは、軍隊の解散と引き換えに、わが身の安全を確保した。そればかりか、政府の資金援助を受けて、宝石会社やバス会社を設立したという。
     もちろんヘロインの商売は継続している。軍隊を維持する金がいらなくなったから規模は縮小しても儲けは増えるだろう。しかも、ビルマ政府黙認(もしくは共同出資)である。公式に政府の庇護下にあるのでアメリカも文句を言えない。さらには、クンサーがシャン州における少数民族問題のコーディネーター役に、クンサーの右腕である帳書全(ジャンシュウチュエン)はビルマ国軍のアドバイザーに、それぞれ任じられたという情報もある。
     パンサンにいたとき、私はこういう細かい事情は知らなかったが、クンサーとビルマ政府の怪しい関係についてはそれまでもよく聞いていたので、この記事を見て、すぐに彼らの思惑がわかった。クンサーは軍を解散することで、かたやビルマ政府はクンサー軍を解散させたことで、アメリカや国連の非難をかわし、代わりに、クンサーにとってはビジネス上のライバルであり、ビルマ政府にとっては国内で最も厄介な存在になっているワ軍を国際的非難の矢面に立たせようという腹なのだ、と。
     実際、ついこのあいだまで、ゴールデン・トライアングルといえば「麻薬王」クンサーであり、よほどビルマ情勢に詳しい者でなければ、ワなんて誰も知らなかった。クンサーが覆いになっていたからであるが、その覆いが取れて、突然、ワが日の下に身をさらされることになったのである。ワ軍の幹部トップ・スリーという軍の序列はそのままドラッグ・ビジネスの序列にも反映されるだろう。すなわち、「新麻薬王タ・パン」の誕生である」

    「今まであえて「ジョイ」というアヘン用特殊単位で話を進めてきたが、ここで国際基準に頭を切り替えよう。1ジョイ=1.65キログラム。23万ジョイは、379,500キロ=379.5トンである。何が驚きかというと、アメリカ政府は「ビルマの年間アヘン生産量は約2000トン」(1990年発表)と推定しており、それが国連および全世界の政府とジャーナリストたちの常識となっているからだ。ビルマといっても、アヘンが穫れるのは9割5部以上がシャン州である。
     約2000トンと約380トンではえらいちがいだ。総量はえらいちがいなのに、「ワ州がそんおうち60〜70パーセントを占めている」という内訳は、「約23万ジョイのうち、ワ州の生産量は約15万ジョイ(約247.5トン=65.2パーセント)という私の調査結果とぴったり一致する。おかしい。おかしすぎる。
     いったいアメリカ政府の誰がどのようにしてその数字をはじき出しているのか。ランドサット(地球探査衛星)で空からケシ畑の面積を算出しているのは知っている。たとえば、1993年のビルマのケシ畑の総面積は165,000ヘクタール(アメリカ国務省による)ということになっている。しかし、一口にケシ畑といっても、アヘンの収穫量は全然ちがう。つまりデータ処理が間違っているのか。だが、そのくせ、ワ州が全ビルマ≒シャン州の60〜79パーセントを占めるということは知っている。ということは、あまり考えたくないのだが、最大の可能性はアメリカ政府が意図的にこの地域のアヘンの生産量を5倍も水増しして報告しているということである。
     もしそうだとすると、その理由は、シャン州が《麻薬地帯》であることを強調し、その対策予算をより多く引き出すこと、あるいは国内の麻薬問題に対する非難の矛先を生産地に向けさせようということかもしれない。誰がやっているのかはわからない。CIAかもしれないし、ビルマ軍事政権との癒着が噂されるDEA(麻薬取締局)かもしれない。
     追及はこのへんにしておく。声を大にして言いたいのは、つねにこの地域には偏見を助長させる靄がかかっているということだ。こんなことは私の柄ではないので、すき好んで調べたわけではないが、わかってしまった以上、口をつぐんでいるわけにはいかない。それが私がワ州へ長期滞在することが可能になった条件であるし、また、さんざん世話になりながら批判を浴びせたタ・パン以下ワ軍の面々に対して不公平である。そして何より、うちの村の人たちに申し訳が立たない」

  • アヘンを基幹産業とし、存在が「善悪の彼岸」にあるビルマ・ワ州。そこへ単身で乗り込みアイ・ラオ(物語る長男)として著者が過ごす約7ヶ月間の記録である。
    特に著者の類稀なる行動力には脱帽する。文化や慣習を理解する上で「情報」は重要だが、自ら経験することでしか得られないものもあることを再認識させられた一冊。


    『上空から見下ろした俯瞰図』となりがちなジャーナリズムの手法ではなく、『手触りを感じ』られるルポ形式を取っているため、予備知識の乏しい私のような読者でもスイスイ読める。

    私の常識や日常とは大きくかけ離れており、ページをめくる手が止まらない。
    著者の尊敬に値するところは、その知識量や才筆もだか、何よりも「自分の目で見て経験する」して本作品を完成させているところだ。

    『多くのジャーナリズムというのは上空から見下ろした俯瞰図だということだ。べつな言葉に置き換えると、客観的な「情報」である。』それと比較して、本著は筆者曰く"手に触れることができる"ことができるため、ミャンマーについて無知な私のような初心者にも入りやすい。

  • 馬鹿馬鹿しくも骨太い男である。好もしからずや。

  • こういうのが読みたかったので、とても楽しく読ませてもらいました。
    冒険と旅・放浪、いろいろありますが、この本では今や貴重な冒険が繰り広げられてます。

    海外旅行でもツアーとか興味がなくていつも一人旅している人にはわかるような、でもそれ以上に更に一歩進んだ体験に興味がある人にオススメです。

  • Kindleで購入。
    筆者は約半年、ミャンマーと中国の国境地域にある実質的な自治区ワ州に住み込んで、現地の生活を調べた。アヘン栽培をし、阿片中毒になりながらも、最終的に一帯におけるアヘン栽培の総量が米国の情報機関の推計よりも大幅に少ない、つまり、黄金の三角地帯という問題設定がそもそも実態とかけ離れている可能性を指摘する。
    月次だが、すごいという感想しか出てこない。アヘン吸引したときや、禁断症状の感覚を未経験ながらも理解した気にさせる。

全22件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1966年、東京都八王子市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学探検部在籍時に書いた『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)をきっかけに文筆活動を開始。「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それを面白おかしく書く」がモットー。アジア、アフリカなどの辺境地をテーマとしたノンフィクションのほか、東京を舞台にしたエッセイや小説も多数発表している。

高野秀行の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×