苦海浄土 わが水俣病 (講談社文庫) [Kindle]

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    ドキュメントとも物語ともつかない独自な文学。読みにくくさえある聞き書きの方言と報告書の冷たい文体と著者の内省が唯一無二のリズムを生んでいる。文学全集に収録されているのも納得。

  • 高校のころ読みかけて時間がないまま返却してしまった本のうちの一つなんだが、ちゃんと最後まで読み終わってたら私の大学生活はもうちょっと質が高まっていたのではないかと思う。読んでおけばよかった本、読むべき本って沢山あるよな…としみじみ思った。

  • 石牟礼道子は、「この作品は、誰よりも自分自身に語り聞かせる浄瑠璃のごときものである」と言っている。浄瑠璃ときたか。私はどうもそれが苦手だな。確かにこの本の文体は転がるようなリズムがある。浄瑠璃の持つ連綿と続く日本の伝統芸能に託して、海と空の間に起こっている悲しみ、怒り、痛み、言葉にならない感情を、語り部となろうとする石牟礼道子。人間によって作られた水俣病。生まれて言葉を発することさえできない子や自然の声を、石牟礼道子の自らの中に立ち上ってくる言葉で綴る。それは、人だけでなく、海の中にいる生物や、海と空という自然の語り部たろうとする。
    言葉が、絞り出される。言霊。それは言葉ではない。詩のような、唄のような、突き刺すように心の中に迫ってくる声なのだ。語り部が編集し物語を紡ぐ。水俣弁で語られているので、それがうまく飲み込めない。時折違う文体が引用される。なぜか、それが戸惑うのだ。浄瑠璃の中に「水俣病」が溺れているような錯覚させおきる。違和感と戸惑いが生まれて、なかなか読み進まない。日本文学の傑作と言われるが、そうとは思えない。
    椿の海は「繋がぬ沖の捨て舟 生死の苦海果てもなし」で始まる。
    椿が咲いて満開なのに、海には繋がれない舟が、生と死の間をさまよっている。
    子供達が、水俣で死のうとしている。匠の漁師の祖父の持つ無形の遺産である技や秘志が、受け継がれないという現実に突き当たっている。子供達は、自分たちが生まれたことも、胎児性水俣病であることも、全く自覚できないのだ。眼差しは鋭く透視的で、孤独と孤絶が宿っている。
    薬も注射も効かない。世界になかった病気。それを治す医師もいない。死を待つだけなのだ。そして、少年はたった一人取り残されている。なぜ、豊かな不知火の海を前にして、子供達は死を待つだけなのか?
    私の故郷にいまだに立ち迷っている死霊や生霊の言葉の言語を、近代の呪術師として語るのだ。
    死者になれば、粛然たる親愛と敬意を持って葬送の礼で送られた。ところが、古代中国の呂太后が威夫人に尽くした所業、人間豚の葬儀と同じような非業の死を遂げて送られるとはなんということだ。
    「水俣病の、そげん見苦しか病気に、なんで俺がかかるか」
    その病気は、中風、ヨイヨイ病、ハイカラ病、気違い、ツッコケ病と言われた。猫たちはきてれつな踊り舞い、飛び上がったりして、壁にぶつかり、海に身投げして死ぬのだった。
    水俣の中年の主婦は「子供を水俣病でなくし、夫は魚をとることもできず、獲っても買ってくださる方もおらず、泥棒をするわけにもいかず、身の不運とあきらめ、我慢してきましたが、私たちの生活は、もうこれ以上こらえられないところに来ました。私どもは、もう誰も信頼することはできません」という。
    ミルク人形と名付けられたゆりちゃんは、「植物的な生き方」と報道される。ゆりちゃんの母親は、「ゆりは、トカゲの子のごたる手つきしとるばい。死んで干上がった、トカゲのごたる。そして鳥のごたるよ。目を開けて首のだらりとするけん」「なして、この手がだんだん干こけて、曲がるかねぇ。悪かことをしたもんのように、曲がるかねぇ」「なして目を開けたまんまで眠っとるかい。まばたきもしきらんかねぇ。眸に蠅のきてとまっても」「生きとるうちに魂ののうなって、木か草のごつなるちゅうとは、どういうことか」「ゆりはもうぬけがらじゃと。魂はもう残っとらん人間じゃと」「魂のなかごつなった子なれば、ゆりはなんしに、この世に生まれてきた子じゃいよ」「うちが産んだ人間の子じゃ」「ゆりが草木ならば、うちは草木の親じゃ。ゆりがとかげの子ならば、とかげの親。めめずの子ならめめずの親」「ゆりがこぼす涙は、なんの涙じゃろか」と母親は語りけるのである。ゆりは「あーあ」としか言わない。
    漁師たちは、「俺たちの海を返せ」「工場排水を即時停止せよ」とのぼり旗をあげる。そして、こんちきしょうと、漁師たちは工場に突入し事務所を破壊した。それを見ながら、ある女は「ああ、とうちゃんのボーナスの減る。やめてくれい」と叫ぶのだった。
    そして、会社は見舞金を出す。おとなのいのち10万円。こどものいのち3万円。死者のいのちは30万。いのちは金に換算できないが、あまりにも安い。今後「工場の排水が水俣病に関係があったことがわかっても一切の追加の補償要求はしない」という公序良俗に違反するものだった。
    新聞では「貧困のどん底で主食がわりに毒魚をむさぼり食う漁民たち」と報道される。
    農林水産委員会では、「水俣病と言われる病気は、水俣市を中心とした地域に発生する奇病であって、中枢神経疾患を主兆とする脳病であります。気違いと中風が併発した病状と言われる」と報告される。
    そして、着々とチッソの会社を追い詰めていく。水俣病の原因は工場の排水に含まれるメチル水銀だと確定する。裁判で勝利する。しかし、元の身体に戻るものではない。死んだ人が蘇るわけではない。それが、この世の出来事なのか?石牟礼道子の浄瑠璃はさらに長く続いて行くのである。
    会社が発展して大きくなる。日本の経済の伸長、国の豊かさが経済の面で評価され、国も会社を後押しする。しかし、人間の命が蝕まれ、人間を壊して行く。経済か、人間の命か。高度経済成長のさなかに起こった公害について、生きながら死んでいる胎児性水俣病の子供の感じたことを言葉にして綴る。苦海浄土。苦しい海の中にも、浄土があるという切なさ。石牟礼道子の浄瑠璃の悲しみに満ちた愛おしさ。少なくとも、神は死んだのだ。人間は、神を殺した。浄土なき世界に生きる。

  • 石牟礼道子さんはもともと運動家だと思っていました。地元の人だったのですね!彼女の視点が患者をとっても尊重しているのに心打たれました!

  •  当時の漁業を生業として生活する人々がどんな信仰のもとに、日々の生活を営んでいたかを窺い知ることができる、貴重な本。
    石牟礼さんの手書き原稿が保存されている相思社センターから見た水俣の海は、夕陽に照らされて神々しく輝いて、そしてまた非常に静かにそこにあった。その海を汚され、苦しみを伴う病で家族を奪った責任は、チッソの職員や社長だけでなく、現代の液晶を見たり、プラスチック製品を使い捨てする私たちにもあることを、水俣まで行ってようやく知ったのだった。

  • きっかけは新聞で著者の訃報を知り、一度は読んでおきたいと思った。

    てっきり、聞き書きの記録なのだと思っていたが、違うらしい。

    でも、文中からは生々しいくらいに、患者の苦痛が伝わる。方言が一読しただけでは理解できず、読むのが大変だった。

    公害についての知識は、小中学校の時の社会科で習ったが、いつどこで何があったか程度。
    資料集に掲載されていた患者の写真のページを開くのが怖かったのを覚えている。

    手先のしびれから徐々に全体に広がり、歩けなくなり、話せなくなり、動けなくなる。

    自身がなる人。
    身内がなった人。
    それを差別する人。
    ことを起こした会社側の人。
    それぞれの思いが、見える。

    こんな恐ろしいことが身近に起こったのかと、ゾッとした。

    おとなのいのち十万円
    こどものいのち三万円
    死者のいのちは三十万

    会社側から水俣病における死者に対する弔慰金だ。

    人の命は 何にも変えられない。
    ただいつも通りに暮らしてた 幸せな日々が
    突然 反転したことに 呆然とし、嘆き、怒り、受け止め、立ち向かった人々がいたということを、忘れてはいけないと思った。

  • 水俣病患者とその家族の肉声を綴ったルポタージュ…と思っていたら、聞き書きではないことをあとがきで知って愕然とした。坂上ゆき女をはじめ、剥き出しの人間性、凄惨で地獄のような現実、やり場のない哀しさ、切なさ、美しさの織り成す独特の世界でした。

  • 圧倒的だった。

    「文学」にしかできないものがあることを知った。詩的な表現で描かれる近代以前の暮らしと自然。そして、牙を剥いて襲いかかってくる化け物のような近代。

    世界中の人々に薦めたい。

  • 方言が多く、イマイチ理解し辛かったです。

  • 済的には裕福でなくても、新鮮な魚を豊富に食べ、近隣の人たちともつながって、豊かでそれなりに楽しく暮らしていた人びとを、突如として不可解で残酷な病いが襲う。しかも公害という人災だ。メルトダウン後のフクシマも同じではないか。

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著者プロフィール

1927年、熊本県天草郡(現天草市)生まれ。
1969年、『苦海浄土―わが水俣病』(講談社)の刊行により注目される。
1973年、季刊誌「暗河」を渡辺京二、松浦豊敏らと創刊。マグサイサイ賞受賞。
1993年、『十六夜橋』(径書房)で紫式部賞受賞。
1996年、第一回水俣・東京展で、緒方正人が回航した打瀬船日月丸を舞台とした「出魂儀」が感動を呼んだ。
2001年、朝日賞受賞。2003年、『はにかみの国 石牟礼道子全詩集』(石風社)で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2014年、『石牟礼道子全集』全十七巻・別巻一(藤原書店)が完結。2018年二月、死去。

「2023年 『新装版 ヤポネシアの海辺から』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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