宇宙生物学のいま
生命は、地球の外にも存在するのか? はるか昔から人類が抱き続けてきた大きな疑問が、私たちの世代で解決されるかもしれない。
文=マイケル・D・レモニック/写真=マーク・ティッセン
地球外生命の探査チームは、なぜか地球上の、意外なところで研究に取り組んでいた。
凍てつく北極圏の湖と、毒ガスが満ちた熱帯の洞窟。一見したところ対照的な二つの場所は、ともに「地球の外に生命はいるのか」という、大昔から人々の興味をかき立ててやまない謎に迫るための手がかりを秘めている。
太陽系の内外を問わず、もし別の星に生命がいるとすれば、それらは木星の衛星エウロパにあるような氷結した海や、火星にあるようなガスの充満した洞窟で生きている可能性が高い。つまり、地球上のそうした過酷な環境で生きる生物を発見し、その形質を特定できれば、地球外生命の探査は一歩前進することになるのだ。
地球外生命の探査がいつ頃から、空想科学ではなく科学の領域に加わったのかははっきりしない。だが1961年に開かれた、ある天文学の会議が重要な役割を果たしたことは確実だ。主宰したのは米国の若き電波天文学者フランク・ドレイク。彼は異星から送信される電波の探索に深く興味を抱いていた。
会議の席上、ドレイクは一つの計算式を黒板に書きつけた。その意味するところは明快だった。合理的に考えて、宇宙にはどれほどの数の文明が存在するのだろうか?
太陽系外惑星の発見ラッシュ
それから約30年を経て、ようやくドレイクが提案した方程式の各項の大まかな推定値がぽつぽつと出始めた。1995年にスイス・ジュネーブ大学のミシェル・マイヨールとディディエ・ケロが、太陽以外の恒星を周回する惑星を初めて発見したのだ。
地球から50光年ほど離れたその「ペガスス座51番星b」は巨大なガス惑星だった。大きさは木星の約半分、公転軌道が小さいため“1年”はわずか4日で、表面温度は約1000℃もある。
この地獄のような環境に生命が存在するとは誰も思わなかったが、たとえ一つでも惑星が見つかったことは大きな突破口となった。1996年には米国のジェフリー・マーシーが第2、第3の太陽系外惑星(単に「系外惑星」ともいう)を発見し、その後はせきを切ったように見つかり始めた。今では地球より小さなものから木星より大きなものまで、2000個近い系外惑星が確認され、さらに数千個が確認を待っている。
発見済みの系外惑星に地球とそっくり同じ条件のものはないが、それも遠からず見つかるだろうと科学者たちは確信している。これまでに発見された比較的大きな惑星を基準に、天文学者が最近計算したところでは、太陽に似た恒星のうち、生命を宿しうる地球型惑星をもつものは2割を超すという。
さらに、惑星ハンターたちは近年では、太陽に似た恒星だけに的を絞る必要はないと考えている。
「私が高校生の頃は、地球は平均的な恒星である太陽を周回していると教わりました。でもそれは嘘でした」と、米国ハーバード大学の天文学者デビッド・シャルボノーは言う。実際、銀河系の恒星の約80%は、太陽よりも低温で暗く小さなM型の赤色矮星だ。地球型の惑星が赤色矮星から適度な距離をおいて周回すれば(その距離は地球と太陽の距離よりも近くなるだろう)、太陽に似た恒星を周回する場合と同様、生命の足がかりとなりうるのだ。
※ナショナル ジオグラフィック2014年7月号から一部抜粋したものです。
編集者から
アストロバイオロジーの最先端をレポートした今回の特集からは、この、いささか“浮世離れ”したテーマに夢中になって取り組む研究者たちの熱気が伝わってきて、編集しながらも胸が熱くなりました。
文系の家庭に育ち、家にある本はミステリや小説ばかり、宇宙との接点といえば小学校で連れて行かれたプラネタリウムが関の山……そんな子ども時代を過ごした自分が、「宇宙」にある種のロマンと憧れを感じるようになったのは、思えばカール・セーガンの『コスモス』がきっかけでした。抄訳版の新聞連載がとても楽しみで、切り抜きまでして何度も読み返していたのを、ふと懐かしく思い出しました。(編集H.I)
シリーズ 90億人の食 アフリカの農業開発
アフリカの肥沃な大地で進む、大規模な農業開発。食料増産や雇用拡大への期待が高まる一方で、地元の農家が土地を追われる問題も起きている。
文=ジョエル・K・ボーン Jr./写真=ロビン・ハモンド
アフリカの農業生産は、1960年代からほとんど増えていない。
サハラ砂漠より南の地域で、灌漑されて実際に農業が行われている土地は、耕作可能な土地のわずか5%弱に過ぎない。食料は不足しているにもかかわらず、都市への人口集中は急速に進み、食料の消費者が急増する一方で、農業に従事する人の数は減る見込みだ。
だがアフリカは、実は肥沃な大陸だ。近代的な農法が導入され、融資など農家への支援が進めば、食料不足を解消できるばかりか、余剰分を輸出できる可能性すら秘めている。
農業開発ブームの中心地モザンビーク
そんなアフリカの農業開発ブームの中心地となっているのが、土地が肥沃で、政府が大型の土地契約に積極的なモザンビークだ。
2013年の統計によると、この国は世界第3位の貧困国で、5歳未満の子どものほぼ半数が栄養失調という。それでも近年、炭田や天然ガス田が発見され、鉱業や森林資源の開発も始まり、2013年には推定7%の成長を達成した。
日本やポルトガル、中国といった資源開発の権益を狙う国々が、モザンビーク政府と親密な関係を築き、融資を進めている。だが、潤沢な資金が流入しても、2400万人の国民にはほとんど何の恩恵もない。今も人口の半数以上が、1日1.25ドルの貧困ライン以下で暮らしている。2010年には食料価格をめぐって首都マプトで暴動が頻発し、農業大臣が更迭された。
モザンビークには、日本の国土面積にほぼ匹敵する3600万ヘクタールの耕作可能な土地があるが、政府はその85%を「未利用」とみなしている。2004年以降、およそ250万ヘクタールの土地が林業やバイオ燃料開発、サトウキビ生産などの用地として、外国と国内の企業に貸し出された。
モザンビーク南部のリンポポ川河口域一帯で、中国企業の万宝糧油が設立した農業開発会社が、2万ヘクタールの大農園を造成し始めた。
「そんな話はまったく聞いていませんでした」と話すのは、この畑で細々と農業を営んできた45歳のフローラ・チリメだ。5人の子どもを育てる母親である。
「ある日突然トラクターが来て、何もかもつぶしてしまったんです。畑を奪われても、誰にも何の補償もありません」
チリメの身に起きた出来事は、アフリカの農家にとって人ごとではない。彼らの背後では、世界の農業地図が刻々と塗り替えられつつある。
※ナショナル ジオグラフィック2014年7月号から一部抜粋したものです。
編集者から
今回の特集には、アフリカで農業を営んでいる人たちのポートレートを掲載しています。外国の大企業に畑を奪われた女性、洪水と闘いながら大家族を養う男性、NPOの支援を受けて収量を増やした女性。写真を見ながら、彼らが日々どんな思いで作物を育てているのか、遠く離れた大陸での暮らしを少しでも頭に思い描いてもらえると嬉しいです。モザンビークで日本とブラジルが共同で進める農業開発事業「プロサバンナ」には、現地の農民団体などから即時停止を求める声が上がっているようですが、すべての住民にとって最善の形で問題が解決されることを願っています。
来月号のシリーズ「90億人の食」では、米国で新たな形の「飢餓」が広がっている問題の深層に迫ります。(編集T.F)
人類の旅路 アラビア半島を歩く
人類の拡散ルートを踏破する旅の第2回は、アラビア半島へ。サウジアラビア北西部のヒジャーズ地方で、かつて巡礼者や隊商が往来した砂漠の道をたどる。
文=ポール・サロペック/写真=ジョン・スタンマイヤー
アラビア半島では、隊商路に点在する井戸をたどって旅をした。
サウジアラビア北西部の港町ジッダでは、ある邸宅に招かれた。磨き込まれた木のテーブル上の白い陶器のカップは、まるで小さな“底なし井戸”だ。ひっきりなしにコーヒーのお代わりを注ぐ3人の女たちが、代わる代わる口を開き、サウジアラビアへの誤解を解こうと話しかけてくる。厳格なイスラム教義により多様性を失い、オイルマネーを浪費する国というイメージは間違っているというのだ。
閉鎖性と開放性、ヒジャーズ地方の二つの顔
サウジアラビアはモザイクのような国だと、彼女たちは言う。東部にはシーア派、南部にはイエメン系、北部にはレバント系と、さまざまな文化が存在している。
そして中央部の高原地帯ではベドウィンが遊牧生活を営む。ナジドと呼ばれるこの地域はワッハーブ派などのイスラム原理主義の牙城でもあり、首都リヤドにはこの国の統治者であるサウード家がいる。
なかでも10世紀以降、イスラム教の二大聖地であるメッカとメディナを守ってきた、ここヒジャーズ地方ほど誇り高く、独立心の強い地域はないと、邸宅の女たちは力説する。
実際、ヒジャーズはかつて独立していた時代があった。第一次世界大戦末期に王国として独立を果たしたのだ。だが1925年には、サウード家の領地に併合された。
以来ここには多くの矛盾がくすぶっている。ヒジャーズはイスラム教徒以外の者を寄せつけない聖地としての顔と、サウジアラビアで最も国際色豊かでリベラルな地という顔を併せもつ。ここはアジアやアフリカ、レバントをはじめ無数の土地の影響が混じり合う文化のるつぼであり、多彩な人々が行き交う中継地なのだ。
彼女たちは3人ともベールをかぶらず、ブラウスとパンツ姿だった。邸宅はしゃれた造りで、内装の地域色は薄く、シンプルながら上品だった。外の通りには遊歩道があり、画廊やカフェ、美術館が並ぶ。ここはサウジアラビアの文化の拠点だと、1人が言う。
「ヒジャーズは1000年もの間、音楽や料理、民話など独自の文化を保ち続けてきました。そんな文化を少しでも残そうと、ようやく動きだしたところです」
彼女たちは、いわば「女の町」の申し子だ。ここジッダは近代化と工業化が進む港湾都市だが、旧約聖書のイブが埋葬されたと言い伝えられている。12世紀のムーア人旅行家イブン・ジュバイルによると、かつてここにはイブの巨大な墓があり、「古めかしいドームがそびえていた」という。偶像崇拝を嫌うワッハーブ派の指導者たちが、1世紀近く前に破壊したらしいが、それすらもはや誰の記憶にもない。
※ナショナル ジオグラフィック2014年7月号から一部抜粋したものです。
編集者から
中学・高校と思春期を過ごしたのがインドネシア。まさにイスラム教の国です。この記事の舞台はサウジアラビアですが、宗教的な儀式の記述を読むたび、当時の思い出がよみがえりました。メッカの方角に向かってささげるお祈りや、礼拝を呼びかける詠唱、ラマダンの断食……。
筆者はイスラム教徒に敬意を払って「1カ月断食を続けてきた」と、さらっと書いていますが、それが本当ならすごいことです。高校が同じだった友達(日本人)もラマダンの時期に断食に挑戦し、激ヤセしました。でもその後、強烈なリバウンドを体験。断食前より肥えてしまったのです。本気でやるとそれだけ体への負担が大きいということでしょう。どこまで飲食を制限するかは人それぞれと言われますが、筆者は断食をしながら砂漠を旅したのですから、大したものだと思います。(編集M.N)
フロリダ沖のでっかい魚
米国フロリダ沖に生息するハタ科のイタヤラは、体重360キロにもなる巨大な魚。生息数が一時より回復しつつあり、漁の再開を求める声が上がり始めた。
文=ジェニファー・S・ホーランド
写真=デビッド・デュビレ、ジェニファー・ヘイズ
ハタ科の魚、イタヤラは沈没船やサンゴ礁に集まって、餌を食べ、ともに過ごす。体重360キロ、全長3メートル近くになることもある大魚で、旧約聖書の巨人にちなんでゴリアテ・グルーパーとも呼ばれる。
イタヤラは、かつて米国南部沖やカリブ海、ブラジル沿岸に数万匹が生息していたが、長年にわたる乱獲の結果、数が激減。一時は1000匹を下回ったのではとの推測もある。
ところが現在、フロリダ沖の海域では生息数が回復しつつある。そこで、漁業者や生物学者、地元当局の間で、法律に基づく保護の対象から外すべきか否か、議論が高まっているのだ。
“出無精”な習性が災いして生息数が激減
フロリダ州立大学のクリス・コーニッグは数十年にわたってイタヤラを捕獲してきた。食べるためでも、釣果を自慢するためでもない。彼は魚を釣り上げると体長や体重を測定し、DNAや年齢を調べるために、ひれの一部を切り取る。さらに胃の内容物を採取したり、産卵の兆候がないか生殖器官を確認したりする。その後、追跡用タグを埋め込んでから海に戻すのだ。
長年の地道な取り組みにより、イタヤラが姿を現す場所や時期、健康状態などの情報が蓄積されてきた。コーニッグは、妻で研究仲間でもあるフェリシア・コールマンとともに、この魚の状況を把握したい考えだ。
イタヤラの習性も数が減った一因だ。「この魚はほとんど動きません」とコーニッグは話す。餌が豊富で、身を隠せる「サンゴ礁にしがみついている」ため、簡単に捕まってしまうのだ。
ある時期まで、イタヤラを食べていたのはフロリダ・キーズなどの限られた地域だけだった。だが、1980年代に入り、ほかの魚が減ると、イタヤラは全米各地のメニューに加わるようになる。また、レジャーの釣り人にも人気で、数千匹が命を落とした。寿命が長く、成熟が遅いイタヤラは、こうして絶滅の危機に追い込まれた。
現在、フロリダ沿岸ではイタヤラの捕獲は禁止されている。「行政側は保護へと大きく傾いています」と、キーウェスト市の市会議員トニー・ヤニスは話す。「大量のマリフアナを所持するより、イタヤラを1匹捕まえる方が厳しく処罰されるほどです」
漁業者の多くはイタヤラの数が大幅に回復していると主張し、漁の邪魔をされて困ると不満を漏らす。「イタヤラは、私たちの釣り針にかかったハタやフエダイをたびたび横取りするんです」と、漁師兼ガイドのジム・トマスは話す。「ロブスターもです。実にもったいない」
※ナショナル ジオグラフィック2014年7月号から一部抜粋したものです。
編集者から
海の中で、体長3メートル、体重360キロの巨大な魚に遭遇したら、きっと驚くでしょうね。でも、顔をよくよく見てみると、とても愛嬌がある。少しとぼけた感じで、親近感がぐっと湧きました。このイタヤラ(ゴリアテ・グルーパーなどとも呼ばれます)、研究者の言葉を借りれば、「出無精」なのだとか。同じく出無精の私は、より親しみを感じてしまいます。
特集には1枚の古い写真が掲載されています。イタヤラをたくさん釣り上げてご満悦の家族の写真です。こうしたスポーツ・フィッシングや漁業による乱獲で、イタヤラの数は大幅に減少しました。禁漁になったおかげで、現在は数が回復しつつあると言いますが、まだまだ安心はできないでしょう。漁の再開を求める声があがっているからです。イタヤラが安心して、“出無精な日々”を送れるかどうかは、私たち人間にかかっているのです。(編集S.O)
中国 巨岩の帝国
世界有数の大洞窟の全貌を明かそうと、レーザー・スキャナーを携えて中国にやって来た探検隊。そこには想像を超える世界があった。
文=マッケンジー・ファンク/写真=カーステン・ペーター
中国南東端、広西チワン族自治区。英国人の洞窟探検家アンディ・イービスが初めてこの地にやって来たのは、30年以上前のことだ。
ここは、カルスト地形が世界で最も多く集中する土地だ。石灰岩などの軟らかい岩盤が何世紀にもわたって浸食で削られ、地表がえぐられて穴が開き、岩の塔や剣のようにとがった石が立ち並ぶ林、地下に流れ込む川などを造り出した。そして、緑豊かなこの山並みの地下には、まだ測量されたことのない巨大な洞窟がたくさんあるのだ。
イービスが再び中国を訪れた理由もそこにあった。そして、今回持参したのが三次元(3D)スキャナーだ。1カ月で少なくとも3つの洞窟を探査し、史上初となるレーザー・スキャナーを使った精密な測量を行うのが目的だった。
最新鋭のスキャナーで洞窟を精密測量
最初の測量地であるホンメイグイ洞穴の面積は、サッカー場8面ほどと推定されていた。2012年までの記録で比較すると、マレーシア、スペイン、オマーン、ベリーズ、さらに中国の別の洞窟に次いで8番目だ。だが容積ではどうだろう? 今回3Dスキャナーを使う狙いはそこにあった。
洞窟はいずれも形が不ぞろいなので、どこが境目で、どこから次の洞窟が始まるのかは簡単には決められない。どの穴を洞窟と見なし、どの穴をただの通路と考えるのか? 洞窟の定義については、繰り返し議論されることがよくある。それが定まらない限り、順位をつけることなどできないからだ。
測量点は17カ所。レーザー光を照射して反射光が戻ってくるまでの時間を計り、光の速度を基に距離を割り出す。リーグル社製のこのスキャナー「VZ-400」は、建設工事や土木工事、鉱山採掘に使われるが、洞窟探査では今回が初めてだ。
ホンメイグイ洞穴でスキャナーが動き始めて3分後、画面に測量結果が映し出された。画像はモノクロで解像度も低いが、それでも目を見張るものだった。自分がいる場所を、ようやくこの目で見ることができたのだ。それは魂が体から抜け出たような経験だった。
※ナショナル ジオグラフィック2014年7月号から一部抜粋したものです。
編集者から
本編は洞窟探査のお話がメインですが、電子版では命知らずのロッククライマーたちをフィーチャーした動画が見られます。ナショジオではこれまでも数々の岩登り特集をお送りしてきましたが、今回もすごい! 「そんな岩の先っちょで踊らないで~」「そこで手を放すんかい?」少々高所恐怖症の私には、到底理解できない世界がありました。ぜひご覧あれ。(編集H.O)