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- / ISBN・EAN: 4988104086884
感想・レビュー・書評
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\★\ 蔑視することの愚行 /★/
つい先日も報じられていた黒人の男性に対する白人警官による過剰な越権行為。 死亡させてしまうまでに至らぬケースを含めれば、こうした越権行為の発生件数は私ども日本人が想像を絶するほど本国アメリカでは多いのかもしれない。
本作は2009年元旦、フルートベール駅構内で起きてしまった同様の行為に因って未だ22歳という若さで亡くなられたオスカー・グラントさんの事件が描かれている。
彼がマーケットの店長から冷淡な口調で解雇を言い渡されるのだが、その理由が2度の遅刻。
麻薬の売人に手を染めていた彼が、「やり直すんだ!」そう改心した矢先で心折れそうになりながらも、恋人との間に生まれた娘を心から愛している事実を誇りに、《母親の誕生日を家族間で慎ましくシチューと蟹で祝った大晦日…》その後にこんな悲劇が起ろうとは・・・
また作品では《Family(家族)の素晴らしさ》が根底に脈々と感じられるのも良い。
母親役を演じたオクタヴィア・スペンサーの演技が実に良い味を添えていると言えるだろう。 刑務所に面会に行ったおり、別れ際のハグを敢えてせず毅然と背中を向けて立ち去っていくシーン。
オスカーが大声でハグを求め母親に接近しようとすると刑務官はそれを阻止。
心を鬼にし息子の改心を促さんとする彼女の目は気丈な慈悲に満ち溢れ… 母親の目線から胸が熱くなった。
「(新年のカウントダウンを祝う花火を見に行くのは道路は渋滞するから)電車でって… 電車を勧めたの。 それで死ぬなんて… 」
マーケットで魚のフライのレシピで戸惑っていたケイティーという白人女性。その彼女にオスカーはお婆ちゃんに携帯から電話し、レシピ伝授のため携帯を彼女へ渡した。
あの電車の中で、もしもこのケイティーに「オスカー!」と声を掛けられなかったなら…
刑務所で一緒だった敵対する輩に絡まれ、警官に通報されることもなかったのだろう。
車両が違っていただけでも遭(会)わずに済んだのかもしれない・・・
まさに運命の歯車の悪戯というものを感じずにはいられない。
医師の懸命の救命処置の甲斐もなくオスカーは22年という短い命を閉じた。
娘のタチアナと一緒にソフィーナが自宅に戻り、シャワーを浴びるシーン。 あまりに突然の出来事で愕然とし憔悴、放心しているママを見上げながらタチアナが、「パパはどこ?」と。。。
しかしそれ以上のことをタチアナはママに聞こうとはしなかった。 何が起こったのかを無言のまま読み取ろうとする姿があまりにいじらしく可哀想でならない。 とめどなく母娘の身体を濡らすシャワー水は、まるで《オスカーの流している無念の涙》のようだ・・・
ラストにこの発砲事件の法的措置がテロップで表示される。
*事件後、警察と鉄道幹部が辞職。
**だが、テーザーガンと間違えたと主張。
***懲役2年の求刑に対し陪審員達によって過失致死罪とされ、発砲した警官は11ヶ月で釈放されてしまったとのこと。
// エンドクレジットに実際の映像(2013年元旦のフルートベール駅に於けるオスカー・グラントを追悼する集会)が組み入れられている。
実際のタチアナちゃんが写しだされた瞬間、オスカーの無念さを再び想う。 タチアナちゃん(いや、もう「さん付け」としたい年齢)の美しさにそれは相俟って、映画化されたこの事件の目撃者として私なりの抗議心が疼いた。
(※先にレビューさせていただいた「ハンナ・アーレント」彼女が哲学的見解から「悪を行なう者」を説いた「それ」と重なり、本作は重厚に胸に共鳴した)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
島国で生きている僕には、アメリカの闇や深部には触れられないけど、差別や偏見が少しでも正される日々になるといいですね。
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映画のもとになったのは、2009年の元旦にカリフォルニア州オークランドで、丸腰の黒人青年が警官に抵抗したとして射殺された実際の事件。大きな抗議を引き起こした警察の過剰な暴力を、正攻法で告発するのでなく、あえて、青年が生きた最後の一日を淡々と描く手法をとったところが、この映画の最大のポイントだ。
監獄にいたこともある麻薬の売人で、スーパーの仕事もクビになったばかりというオスカーの状況は、まんま犯罪者予備軍扱いされかねない感じだが、映画は、将来に希望がもてずにもがきながら、それでも家族を愛していた、わずか22歳の青年のナイーブな表情や身体を映して、プロフィール情報があたえる偏見をとりさっていく。最後の時間が迫るなかでオスカーを包む弱々しい陽光、この先待っている暴力をしらずにはしゃぐ人々を積んで闇の中を走る電車、空ろになったホームなど、映像で見せる演出もいい。
1点、ケチをつけるとすれば、オスカーが車のガソリンを入れているときに犬が引き殺されてしまうエピソードは、よけいだった。彼自身の運命を予言する演出は過剰にすぎる。それがなくても、観客は十分に、オスカーを襲う運命の不条理さを感じ取り、作り手のメッセージを受け取っているのだから。 -
制作年:2013年
監 督:ライアン・クーグラー
主 演:マイケル・B・ジョーダン、オクタヴィア・スペンサー、メロニー・ディアス、ケヴィン・デュランド
時 間:85分
音 声:オリジナル:ドルビーデジタル5.1ch/ドルビーデジタルステレオ
サンフランシスコのベイエリアに住む22歳のオスカー・グラントは、前科はあるものの、心優しい青年だった。
2008年12月31日。
彼は恋人のソフィーナと、2人の間に生まれた愛娘タチアナと共に目覚める。
いつもと同じようにタチアナを保育園へ連れて行き、ソフィーナを仕事場へ送り届ける。
車での帰り道、今日が誕生日の母親ワンダに電話をかけて“おめでとう”と伝える。
母と会話をしながら、新年を迎えるに当たって彼は、良い息子、良い夫、良い父親として、前向きに人生をやり直そうと考えていた。
その夜。家族や親戚一同が揃って母の誕生日を祝うと、サンフランシスコへ新年の花火を見に行くことにしたオスカーとソフィーナは、タチアナをソフィーナの姉に預けに行く。
オスカーとの別れ際、タチアナは不安を口にする。
“恐いの。
鉄砲の音がする。
”仲間とカウントダウンを祝って花火を見た帰り道、電車内でケンカを売られる。
仲間を巻き込んで乱闘になったところへ鉄道警察が出動。オスカーたちは、フルートベール駅のホームに引きずり出されてしまう。
何もしていないと必死に弁明するオスカーだったが、警官たちは聞く耳を持たず、ついに事件が起きる…。 -
白人の黒人への憎悪と恐怖が招いた惨劇。米国人の中には人種差別主義者が一定数で存在しているので、白人警官の中にそうした性向を持った人物が紛れ込んでいても不思議ではない。実際に映画でこれほど話題になり、反省したかと思われた警官による黒人への暴行はその後も頻繁に起きている。
『フルートベール駅で』(Fruitvale Station)は2013年にアメリカ合衆国で公開されたドラマ映画である。監督はライアン・クーグラー、主演はマイケル・B・ジョーダンが務めた。本作は2009年1月1日にカリフォルニア州で発生したオスカー・グラント三世射殺事件を題材にした作品である。
ストーリー:
2009年1月1日午前2時15分、オスカー・グラント三世とその友人たちはフルートベール駅で警官に取り押さえられていた。本作はその様子を捉えたカメラ映像からスタートする。
その前日、オスカーは恋人に浮気がバレて口論になった上、2週間前にクビになった食料品店への再雇用の嘆願も断られ、八方塞がりだった。グラントは手持ちのマリファナを売って生活費を工面しようとしたが、真っ当な生活に戻りたい思いから、悩んだ末にそれを海に捨てる。その後、オスカーは母親の誕生日パーティーに参加した。それでも気分が晴れないオスカーは、サンフランシスコで開催されるニューイヤーフェスティバルの花火を見に行くことにした。
帰りの電車で、オスカーは食料品店で見知った客のケイティに呼び止められた。オスカーという名前を聞いた途端、ある男がオスカーに襲いかかってきた。彼はオスカーと同じ刑務所に収監されていた男だった。オスカーと男がつかみ合いをしていると、そこにBARTの鉄道警察隊がやって来た。しかし、それが却って現場の混乱を悪化させてしまった。事態の収拾ができなくなった警官たちは、何を思ったのかオスカーを銃撃した。オスカーは直ちに病院へと運び込まれたが、そのまま帰らぬ人となった。
エンディングが流れた後、オスカーの死後に起きた出来事が説明される。オスカーの死は全米に衝撃を与え、オークランド一帯でBARTへの抗議運動が行われるに至った。その中には暴動に発展したものもあった。オスカーが射殺される前後の様子は、偶然騒動を目撃した人々によって撮影されていた。事件に関与した警官たちは解雇され、オスカーを射殺した警官は業務上過失致死罪で有罪判決を受け、11ヶ月の禁固刑に服した。2013年1月1日にはオスカーを追悼するイベントが開催され、その中にはグラントの娘であるタチアナの姿もあった。(ウィキペディア) -
普通の人が普通に差別されるということがいたたまれない
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失われた命には、
一体どのような人生があったのか、
終始冷静な語り口で描かれる。
この作品の後にライアン・クーグラー監督が、
『ブラックパンサー』という象徴を通して、
人々の分断と、攻撃者側に同一化しようとする危険性を、
あれだけ語りきったところが感慨深い。 -
- アメリカにおける警官の黒人差別を題材にした映画。殺される青年の最後の1日を淡々と描いた実話。
- 前科もあるし、見た目もちょっと怖い。それでも細かい仕草や他人に対する言動からは、本当に悪い奴じゃないと思わせてくれる。切り取った1日の映像だけで、白黒じゃないグレーの感じを絶妙に表現している。
- 撃ってしまったのは一番高圧的に偉ぶっていた警官ではなく、どちらかというと弱気な若い警官だったというのも、視聴者の怒りの矛先を複雑にする要素なんだよな。やるせない。
- 母が強い。最後まで取り乱さず、パニクって怒ってる息子の悪友たちを宥めてる、圧倒的な強さがある。それが黒人だろうが、前科者だろうが、喧嘩騒ぎを起こそうが、殺されたのは「可愛い息子の一人」なんだと言うことが思い知らされる。何よりも当初は車で遊びに行こうとした息子に対して、電車を勧めたのは母だったというのもまた悲しい。
- 日々SNSで上がってくるこういう映像を目にすると、銃を持ってる人が興奮して大声あげてるの見るだけで、最悪を想像してしまい怖くなる。お願いだから置いてから怒鳴りあってくれ、と。 -
差別の現実さがとても伝わってくる映画だった