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感想・レビュー・書評
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国家とはなにか。
日本は島で、大陸ではなく、そのおかげでひとつの国という存在の仕方が当たり前に培われた。民族、言葉、文化、歴史がはじまりから今に至るまで連なっているという意識を日本の人たちはとてもふつうに共有することができている。それはほんとうに掛け替えのないことで、だからこそ守りたい、守るべきものになるのだということ。
しかし、国家とは本来、守ることが容易ではないものだ。概念としても、形態としても、認識するための縁がぼくたちが思っているほどはっきりとはしていない。日本ほど説明のし易い今と私たちであってくれることのほうが珍しく、同じような国であることがほかには中々見当たらない。この地球という唯一の舞台上で、そこに生まれてくる人たちはどうしたって混ざり合っていくしかないからだ。その生きる場所は繋がっているのだから、隣り合っているのだから、その関係に従って取り囲まれることでしか、人という文明は出来上がっていくことができないからだ。存在しようとすることが、どんどんと重なり合って、生きることが次々に干渉していく。一緒くたになりながら、反応しながら反発しながら、その混合の仕方を紡いでいくということが、世界を作り、歴史を残してきた。
線を引きたくなる。区切りたくなる。こちら側とそちら側。この感覚は、国という括りを取り上げるまでもなく、日常にだって、僕たちのふつうの特性として、日常に立ち表れてくる。線を引くことで、あちらとこちらが出来上がることで、区別という認識がはじめて表れる。その認識の積み上げがもっとも大きく開いたものとして、国家というひとまずの結果ができあがり、いま僕たちはそれを当たり前に手にしている。もしかしたら、最善ではないのかもしれない。もっとよい姿がどこかにきっとあるのかもしれない。それでも、人たちが辿りついたこのシステムは、発展途上のまぎれもない到達点なんだと僕は理解する。
だから決して、アナキズムにはなれないし、イデオロギーに飲み込まれることも、きっとないだろう。それぞれのイデオロギーの理念を否定したいわけではない。本来もっているだろうそれらの精神に、共感できることは実はたくさんある。むしろ、多くを教えられ考えさせられる。でも、それらは、いまの国という在り方と僕たちの社会の漸進に対して、役立てるための部分にはなるということであって、良い方に進んでいくための、自分を更新していくための材料でしかない。日本という国に生まれたことをとても有り難いと思うし、これを守りたいと心から思う。日本というものをいまの目の前にあるものだけではなく、ここに辿りついてきた足跡を振り返って追って、それをちゃんとこの自分の中に取り込めば取り込むほど、その思いは確かなものになっていくばかりだ。めちゃくちゃ駄目なところもある。禄でもないところもたくさんある。それらはいまも昔も同じように持ち続けているものばかりだ。でも、そういう欠点たちをひっくるめて、日本はどこにもない日本で、掛け替えがないと思う。
その日本という国を守るために、目的と手段と、それを現実に表すための行為が必要で、その行為を促すための取り組みが必要になるんだ。
DIMEは国家の基本となる戦略を示す。外交Diplomacy、インテリジェンスIntelligence、Military軍事、Economy経済という項目とその総体として表れる国家というものを、守り発展させていくための国家の戦略という概念が必要になってくる。しばらく失われていたこの認識の仕方を実体として備えさせるために、2013年に立ち上がったのが、国家安全保障会議National Security Councilと国家安全保障局National Security Secretariatだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示