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感想・レビュー・書評
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野麦峠の信州側の麓にある奈川の渋沢温泉の宿で、『あゝ野麦峠』を読んだ。いままでしっかり読んだことがないまま、なんとなく、フィクションの純粋な小説だと思っていたんだけど、それは間違いで、300人以上への聞き取りにもとづいたノンフィクションの大作であった。大竹しのぶ主演の有名な映画では中心的なストーリーになっていた「百円工女」政井みねらをめぐる「女工哀史」的な話は、この本でももちろん重要なテーマなんだけど、その後の労働運動である「山一争議」のことも大きく取り上げられていたり、当時の製糸業が「生死業」というほどビジネスとしては市場動向に左右される過酷なものであったという「資本家」側から見た側面が紹介されていたり、思っていたより多面的な内容だった。政井みねが野麦峠の頂上で兄の背中に背負われたまま亡くなったのが1909年(明治42年)、岡谷で「山一争議」が起きたのが1927年(昭和2年)。大正デモクラシーをはさんだ日本の労働環境の変化も学ぶことができて、なかなか深い内容だ。
峠の麓の宿で温泉に入りながらこの本を読んでいると、少しだけ当時の工女たちの姿がイメージしやすくなる。いまからせいぜい100年前には、飛騨の少女たちは冬にこんな道を越えて仕事をしに行ったのだ。
翌日、途中の地名などを確認しながら、車で野麦峠を越えた。政井みねは峠で兄の背中で「ああ飛騨が見える」とつぶやいて亡くなったそうだが、車道の峠からは、残念ながら飛騨のほうはあまり見えないし、雲があって乗鞍岳もよく見えなかった。「飛騨が見える」というと、峠から遠目に飛騨の里が見えることをイメージしていたのだけど、そもそも峠からは人家は見えなかったのかもしれない。彼女が「飛騨が見える」といったのは、僕には信州側と同じようにしか見えなかった飛騨側の山々のことだったのだろうか。
政井みねが亡くなったのは21才のとき。野麦峠にある兄に背負われた彼女の像は、もうちょっと若い女性らしくしてあげればよかったのに、と思うような表情をしている。それがリアルな表現だったのかもしれないけど、彼女の写真を見てみるとなおさらそう思わざるをえない。今度はDVDを買って映画を見てみようか。詳細をみるコメント0件をすべて表示