チョコレートドーナツ [DVD]

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監督 : トラヴィス・ファイン 
出演 : アラン・カミング  ギャレット・ディラハント  アイザック・レイヴァ  フランシス・フィッシャー  ジェイミー・アン・オールマン 
  • ポニーキャニオン (2014年12月2日発売)
  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988013103085

チョコレートドーナツ [DVD]の感想・レビュー・書評

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  • 開始30分もしないうちから泣き、ラストの不条理で救いのない結末に打ちのめされそうになりながらも、色々なことを考えた映画です。

    1979年のアメリカ、カリフォルニア。ゲイバーでショーダンサーをしているルディは、客として知り合った検察官で恋人のポールとともに、母親が麻薬中毒で捕まって独りになったダウン症の少年マルコを、引き取り養育し始めます。
    それまで育児放棄状態にあったマルコは、二人からの愛情や適切な教育環境を初めて手に入れたのです。
    三人は家族としてとても幸せな時間を過ごしますが、ゲイに偏見を持つ人々が、二人からマルコを奪ってしまい…。

    マルコとの生活を取り戻すための裁判で、私生活を暴かれ、差別や偏見に晒されるルディとポール。
    二人のマルコへの愛情と親としての真摯な姿をこの目で見、理解し、彼らのために拙いながらも証言をする人々。
    誰も引き受けなかった二人の依頼を引き受けた黒人弁護士のロニー。
    三人の生活を一度も見たことがないのに、社会規範と法を盾に、ゲイは悪だし当然子供の環境には不適切という前提で裁判をすすめ、二人からマルコを奪った法律家たち。

    結局、物語は、二人が、そして、二人からマルコを奪った面々も望まなかったはずの悲しい結末を迎えます。

    悲しみと怒りを自らが唄う歌に激しくぶつけるルディと、同じ悲しみと怒りを、事実を報告する静かな手紙としてマルコを奪った人々に送ったポールの対照的な姿は、陰影に富んだ映像の効果と相まって、胸に迫ります。

    ポールから手紙を受け取った法律家たちは、自分たちの偏見と振りかざした権威が招いた最悪の結末に何を思ったのか…それは描かれないままで、それがかえって、鑑賞者に色々なことを突きつけ、考えさせます。

    とても辛い映画のなのですが、LGBTの人々が直面している課題というだけでなく、幸せや家族のあり方の多様性、「押し付け」の危険性など、多くのことを問いかける見事な作品です。

  • ゲイバーで出会い恋に落ちたゲイのカップルと
    母親がいなくなり行き場をなくなったダウン症
    の少年と3人で暮らし始めます。
    だが法はその関係を許さず、彼らは3人での生
    活を取り戻すため長く辛い裁判に挑みます。
    同性愛や人種への差別が横行する70年代のア
    メリカで3人はともに暮らしささやかな幸せを
    共有していきます。理不尽な偏見によって引き
    離されてもなお懸命に愛する人を守ろうとする
    彼らの無償の愛や絆は本当の家族のあり方を問
    いかけていました。
    ゲイカップルと孤独な少年、ニセモノ家族が築
    いた真実の絆の物語です。
    最後は感動した映画です。

  • 悲しい作品だった。
    ノンフィクションとのこと。現実と同じ、正義が報われない。

    一緒に見た母親は、後味が悪いと言った。私もハッピーエンドが好きだ。でも、これを作った監督は、きっと、もう二度とこんなことを起こしてはいけないというメッセージを込めたんだと思う。

    人は悲しくなるほど弱い。
    でも、救いがないわけじゃない。映画の中にいた数名の人たちと同様、正しいことを貫けて、曇りのない眼を持って正義の味方をしてくれる人たちがいることを願う。

  • 70年代のアメリカのお話。
    歌手を夢見るショーダンサーのルディと検事局に勤めるポールは、ゲイカップル。
    薬物所持で母親が逮捕され、一人になったダウン症の少年マルコを引き取り、3人で一緒に暮らし始めます。
    結婚も出来ないし、本当の親子でもないけれど、この疑似家族は愛情が溢れ、お互いの孤独を埋めるように幸せそうでした。
    でも、社会から認められないこの関係は、儚く壊れそうにも見え、切なかったです。
    みんなでずっと暮らしていくためには、「差別」「偏見」そして「法の壁」と戦っていかなければなりません。
    彼らの前に立ちはだかるのは、社会的な地位と信用のある人たち。
    その人たちは、自分の考えが絶対に正しいと疑わず、自信を持っています。
    これまで社会が築いてきた秩序を守ろうとし、ルディやポールのような人たちは子どもに悪影響を与えると決めつけ、保護者とは認めません。

    歌手志望のルディが歌うシーンが何度かあります。
    時に優しく、時に悲しく、時には怒りも感じる歌でした。
    一番大切なのは、マルコの本当の気持ちと幸せを考えることだと思います。
    常識や、これまでの慣例にだけとらわれず、お互いがそれぞれの人の立場になって、どうするのが幸せなのか考えられる社会になっていけばいいと願います。

  • ゲイカップルが引き取ろうとする、知的障碍ダウン症を抱えるマルコを中心とした係争を描く映画。友人に勧められ、さらには父が上手くNETFLIXに入会してくれたので視聴できた。

    始まりはドラァグクイーンのルディと客として訪れたポールが一目惚れすることから物語が始まる。一瞬のうちに強く惹かれ合うふたりだったが、貧相なアパートで暮らすルディの隣人は、麻薬所持の容疑でダウン症の子供を残して逮捕されてしまう。
    それを見つけたルディがマルコと二言三言交わし、その瞬間ポールと同様通い合ったように彼を気に入り家庭局(=つまり施設)に送り込まれないようにポールと協力して裁判で争うことになっていく。

    出会ったばかりの二人が惹かれ合い、支え合うなかで、ポールの不器用な誘い方がくすぐったい。マルコをだしにして(この言い方は語弊を生むかもしれないが)部屋もあり法的要件が整っている、と言うポールに、ルディが確信をついてつまり同居しようってこと?と嬉しそうに答えると、しどろもどろになって答えるポールの優しさが愛らしい。
    引き取った後、ルディと話をするマルコがニッと満面の笑みを返す様子は一緒になってほっと温かい気持ちになる。ルディはマルコにルディ流の約束ごとや習慣を教えたりしながら、一緒に朝食を食べて、眠るときには物語を聞かせる。たったそれだけのこと、その日常の限りを愛情いっぱいに与えていた。
    特に、ポールの部屋に引っ越したとき、マルコ自身の部屋を与えられ、ポールはなんとかロボットとかブタさんとかマルコが喜びそうなものを揃えてあるのもいじましいが、嬉しさに泣いてしまうマルコも胸を打つ。これまでの生活に比べたらとても満ち足りており、そんなマルコをルディは母親のように優しく抱きしめるのだった。ダウン症のマルコに合わせた穏やかな口ぶりがルディの話し方が温かくて涙が出そうになる。

    そして何より、ルディがいい声のおかげで歌声が沁みるし、どうしてこう映画の挿入歌って聞き入ってしまうものが多いのか不思議だ。8ミリフィルムに記録された荒い色彩の画像が。記録の幸福な色彩を際立たせる。

    布団に隠れていた針のように密やかに、忍び寄るゲイ差別に怯えながら暮らすしかないルディとポールは葛藤する。ルディは「打ち明けよう、これは差別だ」と言い、ポールは「それは無理だ、これが現実だ」と反論する。それは差別と闘う人であれば一生付き纏う難題だ。
    そんなふたりの関係が原因で、とうとう家庭局に通報されマルコはふたりと離れ離れになってしまう。

    それに対して裁判を起こそうとするふたりを阻むのは、温かみも何もない冷徹な差別が阻む現実だった。裁判では温かい味方は穏やかに見守る証言をし、愛情は証言されるものの、それでもなお冷徹な差別主義者は、ゲイや人形だの本題には触れられない係争に怒りとも悲しともつかない感情へ訴える。
    ただ誰も引き取らたがらない背が小さく太った知的障害の子供を引き取りたいのは、私たちだけだと断言し、愛していると証言するポール。
    彼らはただ幸せに幸せに暮らしたいという望みは「過ぎた望みでしょうか」と裁判官に問う。
    たったそれだけの望みは、偏見と差別というものの前では、廃棄物のように脆く汚いものにしか見えないのかもしれない。失笑する弁護人、マルコのことではなくゲイカップルという世間からは異常とされてしまう関係をクローズアップしてくる抜け目のなさに、苛立ちが募る。

    裁判が終わった後、ルディはマルコに電話口で必ず迎えにいく約束をして準備しておいてね、と言う。
    かつてボロアパートから家庭局に引き取られるとき服もよく分からず頷くしかできなかった、あのマルコが、ルディの言葉を真摯に受け止めて、自分で鞄に洋服を丁寧にたたんで詰めて、人形を抱えて扉の前でじっと待っていた。目覚ましい成長を遂げたマルコを裏切るように、過ぎた望みは冷酷な現実には許されざるものであるかのように、ルディとポールとマルコの望みは棄却されてしまった。

    頼みの綱で法の前では何人たりとも平等であり、ゲイであることで不当な扱いを受ける理由にならないこととを示すため、再度裁判を起こそうとするも、仮出所した母親が取引してマルコを引き取りにきてしまった。親権においては誰も母親には勝てない。マルコは再びドラックと爆音の音が響くボロアパートに逆戻りする。連れていくなか「うちじゃないよ」と繰り返すマルコが痛ましい。ドラックをしてセックスしようとする母親に命じられ、廊下に出ていろという言葉に従順に従うマルコだったが、そのままふらふらと暗い夜道を歩きだした。

    ポールがタイプライターで裁判に関わった人々に伝えたのは、新聞の小さな記事に記された「マルコが三日間、家を探し求めた末に橋の下で死んだ」と知らせだった。

    人は誰でも守られるべきだといい
    その一方で打ちのめさろという
    はっきり見えるもう1人の私が
    この壁をこえた遥か向こうに
    私の光がやってくるのが見える
    東から西へ輝きながら

    だから
    もうすぐ
    今日にでも
    私は解き放たれる

    私の光がやってくるのが見える
    東から西へ輝きながら

    約束する
    信じてほしい
    愛する人よ
    私たちは必ず解き放たれる

    最後のシーンはひとり、街頭がまばらにつく暗い夜道に消えてくマルコの後ろ姿だった。


    実話をもとにしたフィクションの映画だが、マルコの最後は衝撃であり悲しみが胸を突いた。これ落ち込んでるときに観ていい映画なのか。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』並みに悲しいぞコレ。ハッピーエンドが好きだったマルコが迎えられたのは紛れもないバッドエンドと言って違わない。
    ルディとポールが抱えることになる同性愛者への差別意識が強烈で遠慮のない卑劣さを突き付ける。LGBT意識が進んでいるアメリカであってもこうなのかと思うと、根深さがうかがいしれる。そもそも日本語字幕にしてたらルディのセリフが女性用になってたところが気になる。こういう題材だから注意して欲しい。英語って女性詞も男性詞もないはずだったのは気のせい?浅学だから判別はできないが、ドラァグクイーンだからといってそこまで協調する必要あるのかな。それとも聴覚障害の人のために必要なのかもしれないが。
    制度の隙間に零れ落ちたひとりの子供が、この世界にどれほどいることだろう。(そんなことを言ったら生命としての尊厳を得られない子供も多いかもしれない、というところは別問題としておいておく)
    先進国ほど阻む問題は複雑さを増し、妨害は強固だ。どこにも正義はなく、あるのは互いの主張と権利と願いだけだ。ひとりでもいい、マルコのような存在が、8ミリフィルムのような思い出が増えて、健やかに生きて欲しいとは願わずにはいられない。

  • あぁ。アメリカなんだね。
    このような物語をつくることが出来ることが。
    不思議な余韻が残った。
    愛情と言う意味が アタマでは理解できないものだ。
    ゲイであること。そして、ダウン症の子供を養育する。
    子供の母親は、薬物依存症で、売春婦。
    母親は実刑判決。刑務所に行く。
    子供は 施設にいれられるのだが、
    ルディ/アランカミングは、育てようとする。
    それを法廷で、争う。
    偏見、フィルター、噂、いろんなものが、
    あっても突き抜けている。
    ルディのもつ愛情の深さに、ただただ驚くばかり。
    その想いを、歌に叩き付けるルディ。
    ハッピイエンドが好きだったマルコ。
    それが、ハッピイエンドで終らなかった。

  • ゲイの男性二人が、たまたま知り合った知的障害のある少年を引き取り、共に過ごし、されどゲイということで引きされ、裁判をするはなし。

    裁判になる前から、じんわりじんわりと肌で感じる同性愛者ということだけである差別の意識。それが、裁判で一気に爆発する。裁判官や弁護士の言葉は、本当に子供のためなのか。弁護士のする質問は、明らかに子供に関することではなく、二人のこと。主人公たちはそれに対して当然怒るんだけど、これが世の中だとおもうと、本当にへどが出る。

    裁判官が、ふたりの深い愛情や子供にとっての環境にとってもいいと感じるが、子供にとって“同性愛がふつうであると認識するのは教育としてよくないのでは”といった意見をするんだけど、なんでそれを“ふつう”にしちゃいけないんだろう。子供の前でキスしたことはあるかって質問があるんだけど、そんなん海外の夫婦感じゃあ普通にすることなんじゃないの、どうして同性ってことだけでタブーになるんだろう。

    結末はあまりにも悲しい。
    世の中の“正しい”ひとたちの下した結果は、“正しかった”のか。
    私は、自身が差別される対象であるとわかった上で、戦い、子供を引き取ろうとした、あの二人の方が”正しく”同時に大きな愛情を感じたのに。

    同性愛者がマイノリティであることは確かだけれど、でもだからといってそれが悪だという意識こそが悪だと、どうして思わないんだろう。人は理解できないことを嫌悪する、みたいなことをなにかで読んだけれど、まさにそれなんだろうなあ。
    私自身が小中学生の頃、いわゆるオカマを名乗るひとたちがテレビに出始め、(ミツコ・マングローブとかね)ずっと苦手だなあって思っていたけれど、でもあのひとたちにとって、それをカミングアウトを世間にして、生きていくことって本当に大変で大きな判断だったんだとおもうと、そういったことを理解し始めてから思えるようになったし、誰よりもずっとたくましく、強いひとたちだなって尊敬する。
    だって、きっとそういう風に声を上げて、この生き方でもいいんだ!って堂々としてくれる先人がいたら、同じことで悩んでいるひとたちはきっと心強いよねって。

    マジョリティが正義でない、ってことを常に念頭においていきていきたい。

    昔無理だなって嫌悪していた自身を反省するとともにすこしだけ視野をひろく持てるようになったことを周りに感謝して。

  • 感動の実話とあったが切ない
    アランカミング歌が上手い
    初めは、エッ?と思うが女らしく見えてくる

    普通って何? 多数を普通って言うだけだよ
    あんな親でも母親という事実には勝てない
    法律の難しさ
    観ていて度々辛い部分があるが、
    それでも「愛」の為に戦った

  •  まともな文章をかけるようになるべく、本や映画のレビューを始めようと思う。正直自分の文章は情けなくなるほど酷いため、これまで何度か挫折したが再挑戦。

     ゲイにもいろいろある…この主人公はドラァグクイーン?とでもいえばいいのだろうか?とにかくはじめは痛々しかった。ケバいかんじなのに髭も体毛も濃い。こんなん弁護士が本気で相手にするわけがない、隣室の騒音薬中女の障害のある子供とかなんで構うの?児相にまかせとけば?としか思わなかった。傍観時の自分は、ドン引きするくらい冷たい人間だ。
     
     しかしダウン症児のマルコが見せた嬉し涙に涙腺が崩壊した。交わされるたくさんの笑顔、愛情溢れるあたたかな眼差し、「幸せ」が確かにここにあると感じた。

     なぜ自分はこの慈愛に満ちたルディを痛々しいと感じてしまったのだろう、なぜマルコがこんなにもかわいいやつだと気づけないのだろう。

     たぶん自分は日常生活でも多くの大事なことに気づかないままで過ごしてしまっているのだろう。気づける人間になりたいと思う。傍観時無意識の自分こそが本質だとは信じたくないものだ。

     ところで、いくらちょっと昔の話だからってアメリカでここまでゲイへの偏見や差別があるものだろうかと違和感を感じたが、あとから1979年の話だとわかって合点がいった。少し前に、映画「フィラデルフィア」をみたときにも同様の違和感を感じたが、自由の国アメリカといえど同性婚が合法化されたのもつい最近のことなのだ。

     主人公演じたアラン・カミング、初見だと思うが気になって調べるとバイセクシュアルとのことで妙にほっとした。本当に、ただのストレートの俳優ではこんな演技できないよね、と思う。

     事前にほとんど調べずhuluで鑑賞したが、この映画、数々の賞を受賞し社会現象にまでなったそうだ。こんないい映画をスルーしなくてよかった。

  • チョコレートドーナツが大好きなダウン症の男の子は、ハッピーエンドで終わる物語をママにお話ししてもらうのが大好き。
    ドーナツは身体に悪いわと、たしなめるママ(男)、ドーナツを与えるパパ(男)。こうやって文字にすれば、例えマイノリティーでも、ハッピーな家族の風景が見えてくる。
    しかしこの映画の舞台は1970年。
    当時のゲイに対する偏見は凄まじく、結果的にその偏見は男の子の命を奪う。
    最初のシーンからアランカミングに魅せられてしまった。最後の切なく唄う姿に号泣してしまったが、スタート30分頃から泣いていた。

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