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- / ISBN・EAN: 4988021143516
感想・レビュー・書評
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『複製された男』というタイトルと、監督がドゥニヴィルヌーヴだったからてっきりSF映画かと思っていたら違って、カフカや安部公房、ボルヘス的な作品だったなあ……と思いつつ、エンドクレジットに原作がジョゼサラマーゴと出て、ああなるほど!と納得しました。
奥さんが妊娠してセックスできなくて浮気したいという潜在的な願望やら、子供が生まれて父親になること、またそれから逃げられないことに対する恐怖を描いたような、なんだかよくわからないけどそんなような内容。
『複製された男』というのは原作の原題そのまま。英題は『ザ・ダブル』なのに、映画の原題は『エネミー』って!
文芸作品は映画化に向かないと思うし、この作品もやはりそうだったけど、1時間半と短かったので集中力を切らさずに観ることができました。
SFではないけど、逆に言うとこういう作品を撮っていたから、ドゥニヴィルヌーヴがこのあとに『メッセージ』や『ブレードランナー2049』の監督をしたのも納得です。
ジョゼサラマーゴは読んだことないけど、南米の人ではなくてポルトガル人なんですね。映像がセピア色で中南米っぽいけど、カナダのトロント。
ボルヘスが頭に浮かんだのは、先日たまたま『暗殺のオペラ』を観ていたからで、それの原題が『蜘蛛のたくらみ』だったから。この作品も蜘蛛がモチーフになっている。ボルヘスは円環や無限後退がよく出てくると思うから、そこはちと違うけど。
イザベラロッセリーニがお母さん役なのは、やはりリンチの『ブルーベルベット』に対する含みなのかなと。妊婦の方のサラガドンさんもトロント出身で、同じくトロント出身のクローネンバーグ作品の常連。それで、クローネンバーグの双子ものといえば『戦慄の絆』。
メラニーロランはフランス人で、ドゥニヴィルヌーヴもケベック州出身のフランス系。(だから私は勝手にヌーヴェル・ヌーヴェルヴァーグと呼んでいる)
そう考えると、ドゥニヴィルヌーヴがどういう流れの監督なのかがなんとなくわかる気がする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
これは作者の頭の中で組み立てられた世界(だからセピア色) です。人間の二面性を表すため外見は瓜二つ、性格は真反対の男がいます。蜘蛛は盛んに登場しますが、事故車の窓のヒビやラストのシャワー室の泡が蜘蛛の巣状で象徴的です。蜘蛛は母性や男の邪心を連想しましたが、作者の言うカオスなのでしょう。母からの電話は冒頭とラストにあり、これがループとなり、作者の未解決な思考を暗示していると思います。作品としては美人2人のヌードシーンが見れて眼福でした。
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最後にクモが出てきたときに思ったのは、この作品はカフカの「変身」なのではないか、ということ。なぜ自分の分身(?)が現れたのかを説明せず、ただ不条理な状況に放り込まれた男の極限の心理状態を描いた作品なのではないか、と。
でも、ネタばれ解説によれば「ファイトクラブ」や「シークレット・ウィンドウ」なんかと同じネタであったようで。「なるほど」という感じですが、もやもや感は残ります。 -
third personとかinceptionとかcrashとか、観た後に考えさせる映画は好きだけど。でもこれはちょっと雑すぎというか投げっぱ感が目立つ映画だなと思った。
もうちょっと伏線回収したり、もうちょっとオチのヒントだすだけで、凄くいい映画になるのにもったいない。こういうのもバランスって大事だなと思った。
だってこのままだと答えない問題だして、解けないだろーってにやにやしてるだけみたいな。どうにも納得いかない感しかない。 -
文学映画は難しい。瓜二つ(複製された?)男たちが抱えている虚しさと、相手の存在を認識した場面での緊張感、いずれも何故かが分からず置いていかれてしまった。原作読まないとわからない映画なのか、読んでもわからないのか。
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ジョゼ・サラマーゴの同名小説の映画化。
いわゆる分身もの。
歴史学の教師をしているアダム(ジェイク・ギレンホール)がある日、知り合いからすすめられた映画を自宅で観ていると、自分とそっくりな男アンソニーが出演しているのを発見する。
アダムは誘惑にあらがえずアンソニーを一目見ようと出かけていく。アンソニーは結婚していて出産を控えたヘレンという妻がいる。一方でアダムにはメアリという恋人がいる。
2人は誕生日も身体的特徴もみな同じだが、性格はちがう。アダムは知的で穏やか。アンソニーは暴力的でどこか邪悪ささえ漂わせている。
これでふと思い出したのは山本文緒の小説「ブルーもしくはブルー」だ。こちらは女性の分身が登場する。この2人の女性にも夫がいる。同じく1人はあまり感情的でない夫、1人は暴力をふるう夫。
そしてなんと、お互いに生活を交換するところまでが同じ。
これと本作を比べてみて面白いのは、「ブルー」のほうでは妻が入れ替わっても夫は気がつかないのに対して、「複製された男」では、女性たちはアダムとアンソニーが入れ替わったことをいとも簡単に見抜くところ。その結果彼女たちがとった行動も果敢。
それはさておき、原作を読んでいないから全貌がつかめていないのだけれど、映画版では事実が氷山のほんの一角だけをつなぐようにして提示されるため、「ない」ところを想像で埋めるしかない。
にもかかわらず、あまりに気になる断片がときどき挿入されるので何がなんだかわからず、また不穏すぎるのだ。
1つは、アンソニーが何やらおそろしそうなイベントに参加していること。
2つめは、アンソニーの母親があまりに怪しいこと。なにか秘密を抱えているに違いない。宇宙人かもしれない、とさえ思った。でも最後までわからない。
そして3つめ。これがいちばんぞっとするのだが、黒いクモのお化けみたいなのが、覚えている限りで2回だけちらと映る。
いずれこれらが1つに統合されるのだと信じて観ていたら、まったく。ちょっと可笑しくさえなった。だって、分身という設定だけでも十分その背後にある情報量が膨大なのに、クモのお化けってまた。
でも観終わってみて、こういう律儀な回収のないカオスな物語って嫌いじゃないなと思った。そしてこう思いなおすことにした。
幻ではない、まぎれもない分身が存在するんだから、クモのお化けだっていてもおかしくないな、と。お母さんが宇宙人だって仕方がないな、と。 -
邦題からするとクローンだけど、これ二重生活みたいな感じなのかな…。
それとも、以前観た「二重螺旋の恋人」的なあれかな。
教授は温和な良い人っぽいけど、三文役者は好色なクズなのも二面性なのかも。
ジェイク・ギレンホールさんは謎の色気がありました。素敵なおじさま。
スモッグに烟るトロントの街並みと、団地みたいな高層住宅群、そこに佇む蜘蛛…と景色が好きでした。
でも考察読みたい。ぼんやりとした認識だけれど合ってない気がしますし、ラストシーンがわからないので。。 -
普通に分かりませんでした。