2つ目の窓 [DVD]

監督 : 河瀨直美 
出演 : 村上虹郎  吉永淳  杉本哲太  松田美由紀  渡辺真起子  村上淳  榊英雄  常田富士男 
  • ポニーキャニオン
3.47
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988013156982

感想・レビュー・書評

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  • 奄美の珊瑚の美しい海や、ユタ神、八月踊りなどの独特な文化の中に描かれながらも、シンプルで純粋な愛がまっすぐと伝わってじわじわと体に染み込んで、じんわりと海のエネルギーを感じながら2人が海中を泳ぐパッケージのシーンと繋がってくる。

    ユタ神の母に生まれ、奄美の自然に抱かれるように育った杏子と、東京から越してきた界人の「海」への想いが全く異なっているように、母親に抱く想いも全く違う。
    海はきっと「母」の存在と似ていて、母への想いも変化させた時に初めて、海が得体の知れない存在から本来あるべき温かい存在と変わっていくのだろう。

    制服のまま珊瑚の海に潜る杏子の姿や、縁側に寝そべって家族でマングローブの木を見つめる杏子の儚いけど深い幸せの形が涙が出るほど好きだった。

    村上虹郎さんのナイーブで純朴な界人と、吉永純さんの芯の強い杏子の2人の交わりが眩しくて、特に2人で自転車乗って海辺を走るシーンは本当に美しい。
    その他杉本哲太さん、松田美由紀さんら大人のベテラン俳優さんたちは勿論いうまでもないけど、釣り老人の仙人みたいな常田富士男さんの存在感やあの独特な語り口のおかげで、私も彼らと一緒にまるで神に守られた奄美の島の一員になったような不思議な感覚を抱いてしまう。
    沖縄とはまた違う、マングローブの木に囲まれた神秘的な奄美の自然と、それらに優しく抱かれた界人と杏子を羨ましく思った。

    冒頭のヤギの屠殺シーンで以前、一度観るのをリタイアしたけれど、今回は何故だかすんなりと観進める事ができた。
    どこか切なくて、人間の生と死の静かな営みをゆっくり噛みしめるようなストーリーなので、観る側のタイミングも選ぶ、非常に繊細な作品だった。

  • 河瀬直美監督、2014年作。吉永淳(現、阿部純子)、村上虹郎、村上淳、渡辺真起子、杉本哲太、常田富士男出演。

    <あらすじ(ネタバレ)>
    奄美大島に暮らす杏子(吉永。父篤(村上)、母イサ(松田))と界人(村上虹郎。母岬(渡辺))は思春期で相思相愛の関係だった。
    ユタ(霊媒師)のイサが余命わずかとなったときに残した言葉が、杏子の「二つ目の窓」を開ける。一方、岬の恋人の溺死体が発見され、界人は男を次々と変える母を嫌悪し始め、東京にいる父に会いに行く。帰宅した嵐の晩、界人になじられた岬は家に帰らなくなるが、界人は勤め先で岬を発見し抱き合う。
    二つ目の窓を開けた2人は浜辺で抱き合い、全裸で静かな海 “Still the Water” を泳ぐという話。

    <コメント>
    •わからないところが多い映画。「わからないからダメだ」と評するのは簡単だが、監督自身が「最高傑作」というほどの映画を、素人が簡単に否定するのは知性に欠けるだろう。そこでなんとかわかろうと努めてはみたが、未だにはっきりしない。こんなモヤモヤした気分はストレスが溜まるので、河瀬の映画を観るのはこれで終わりにする。

    •「二つ目の窓」にいう「窓」とは、見えないものを見ることの象徴である。この映画のメインは、おそらく、相思相愛の関係にある思春期の2人が、ただ寄り添い合う関係を超え、性に目覚め、見えないものが見えるようになっていくこと。

    •杏子の二つ目の窓。イサは死に臨み、お母さんの命は杏子に、子供を産んだらそこにまた繋がる、だから死ぬのは怖くない、と遺した。
    その後、砂浜で話す界人と杏子。海と一体になれるからと、サーフィンを勧める杏子に対して、界人は「海は怖い」と。「海」は異性の置き換えである。サーフィンをセックスみたいと言う杏子は、イサの遺言から、子を持つ使命感とセックスの神々しさを感じとった。杏子にとっての二つ目の窓は開けられたし、水も鎮められた。

    •対して界人の二つ目の窓。これは難儀した。母の岬は、男を転々と変え、海で溺死するような男に抱かれた。父の刺青を溺死した刺青男に重ね、そのフェチシズムから一層、岬を嫌悪する。界人にとってセックスは欲望表現に過ぎないという、いわば「セックス消極主義」に陥っていった。
    そこで嵐の晩、界人はその激情を母にぶつける。セックスを求める女は男に飢えてるだけなのか。そこに割って入った、セックス積極論者の杏子が反論。誰かを大切にしたい、もっとずっといたいだけだと言う。
    •しかし、母が行方をくらますと、界人はあることに気づく。母のセックス依存を否定しても、母との関係そのものは断ち切れないことに。思春期にある少年の母への依存性だけでなく、「母さんを守ってやってくれ」と書かれた父のメッセージが大きかった。

    •それに先立つ父とのエピソード。東京にいる父に会った界人は、岬との出会いと別れについて「どーんと突き上げるような運命」で口説き「もっと長い意味での運命」から別れたと言う。東京にいる意味も「東京にしかないパワー」があるからと言う。どれも聞いてる方が恥ずかしくなるような鼻白む言い訳なのに、素直に聞く界人。どんなつまらない男でも、実の父の存在は大きい。だからこそ、メモ書きに過ぎない母を守ってくれというメッセージでも界人は守ろうとした。この辺は、夫と別れた河瀬監督の実体験が下敷きにあるのか。

    •ヤギを殺すシーンは残酷との評も。
    しかし、ヤギと人との関係は自然の営みに組み込まれてきた。残酷と評されても人は古来から変わらずそうしてきた。それは、人が生まれてセックスして死に、木が成長して葉を茂らせるのと同じ意味の自然のシステム。

    •離婚は、子がいれば2人だけの問題ではない。いや子がいても、現時の判断が正しい保証は何もない。この立場を慮る必要がある。

    •追記。「海は異性の置き換え」と書いたが、「母」ないし「女性」の置き換えといったほうがいいかも。

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