ヘヴン (講談社文庫) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • いじめの話。

    いじめについて考える。

    いじめを防止するための教育は大事。
    ほんとに。
    だけれど。

    小学校や中学校のいじめは『その学校の、そのクラスの、いじめる人格をもった人がいる場所に行くことを強制される仕組み』を変えないとなくならない。

    いじめは、ダメですよー
    傍観は、ダメですよー

    って、大人が言えばなんとかなる、わけない。

    いじめが発生すると、ただ平穏に過ごしている子どもまで、傍観者もいじめだと大人に強い言い方をされて非難される。やばい人格の人が同じクラスにいるだけで、そのクラスに配属された子どもたちは、後々まで自分を責めたり、何もできなかった自分に苦しんだりしないといけない。

    そもそも、いじめを見たことも聞いたこともない人なんて赤ちゃんくらいだろう。

    時には、遺伝レベルで人を傷つけたくてたまらない人格の人がいる。その人格を何とかしようなんて、担任でも校長でも教育委員会でも無理。

    いじめ主犯格は、自分の手をくださないパターンは多い。
    弱い者をいじめているグループの、グループ内でのいじめ、これも多い。
    いじめが発生する場所では、対象は1人じゃない。対象は、ループする。
    単純じゃない。

    いじめられたら逃げろ、とかじゃなくて。
    いじめが発生する場所に行かなくても、勉強やスポーツができて、友達ができて、「自分っていいな」と思える場所を選べるように、大人たちがしないといけない。

    高校だって、大学だって、中退という選択肢以外をたくさん作ればいい。

    そんな環境って今の日本にあるのかな?

    せめて私の近くにいる人くらいには、ここは安心と思える環境を作れたらいいと思うけれど。
    世の中、いい人ぶってるやつが嫌いという理由で、いじめが発生するから、やっぱりいじめはなくならないと思う。

  • ⚫︎受け取ったメッセージ
    世界の見方は、人間の数だけ存在する

    ⚫︎あらすじ(本概要より転載)
    2022年「ブッカー国際賞」最終候補作!

    かつて見たことのない世界が待ち受ける。

    芸術選奨文部科学大臣新人賞・紫式部文学賞 ダブル受賞

    <わたしたちは仲間です>――十四歳のある日、同級生からの苛めに耐える<僕>は、差出人不明の手紙を受け取る。苛められる者同士が育んだ密やかで無垢な関係はしかし、奇妙に変容していく。葛藤の末に選んだ世界で、僕が見たものとは。善悪や強弱といった価値観の根源を問い、圧倒的な反響を得た著者の新境地。


    ⚫︎感想
    対比と比喩がとても巧みな小説。
    斜視である主人公は、酷いいじめにあっている。
    同じくいじめに遭っている女子のコジマは、主人公の僕が斜視であること、そこ苦しみを乗り越えることに意味があると言う。「僕」も斜視であるが故にいじめられているのだと思っていたら、百瀬にそうではなく、偶然だと言われる。いじめられる対象が主人公であることに意味などないと。百瀬は強者に寄り添った世界の見方をし、コジマは弱者の立場から世界を見ている。
    「僕」はその狭間で揺れる。

    斜視で視野が狭いことは、二重の意味がある。斜視の手術をして視野が開けることと、世界を見る視野が開けることが重なり合い、希望を感じさせるラスト。

    なぜ、反撃できないのか。
    反撃する自由もあるはずなのに。
    それは、そうしたくないからだ。
    逆に言うと、そうできる人もいるし、実際聞いたこともある。
    他人のやりたいことというのは、
    千差万別であり、到底受け入れられないものもまた
    存在するのである。
    その存在自体を否定することはできない。
    見方によっては、コジマは自分の思想や理想と違うからと言って「僕」を拒否してしまったし、百瀬は新しい視点を与えたと言える。
    またラストシーンでは、弱者と見えたコジマは
    非常に強い。

    善悪、強弱の反転がこの小説の鍵である。

    そして、その受け入れ難い見方に対して
    どう対処するのかはまた千差万別である。

  • 嬉しい時はうれぱみん、悲しい時はかなぱみん、苦しい時はくるぱみんという脳内伝達物質が生成されるんだって。

    平松洋子さんの「野蛮な読書」で出てきた本で、ずっとほしい物リストに入れていた一冊。

    読み始めてみると、勝手になんとなく思っていたような物語では全然なくて、ヘヴンでもなんでもない、むしろ陰湿な地獄絵図が連綿と続く、あまりにも凄惨な学校生活の描写。
    さすがのワタシも気持ちが暗くなってしまった。

    ラストで激しい雨の公園で裸のコジマが笑う声が、あまりにも哀しくて、どうしようもないくらいやるせない気持ちになる。
    善悪とか強弱とかいう価値観を根底から覆しにかかるという評判はさもありなん。
    倫理てなんだろう、と百瀬の語る言葉を読みながら思うわけです。
    なんというか、パワーのある小説だよなぁ、と。

  • 乳と卵を以前読んで、好きな作家さんだと思い読んでみた。
    いじめのシーンは思わず飛ばし読みしてしまう程、痛い痛しかった。
    乳と卵とはまた違った作風で、この作家さんは色んな面をうまく使いこなせる方だと思った。
    それにしても、痛い痛いしい場面を、隠さずそのままストレートに描ききる度胸のようなものには、たじろいでしまった。
    何かとてもふつふつとした揺るぎない感情を持ってきたタイプの作家さんだと思う。


  • 苦しい。
    小説の中は自由だから、なるべく誰も傷付かなかったり、少しくらい傷付いたとしても、その先にもっとステキなことがあってほしい。

    そういうわけで、低めの評価。

    川上さんの作品は、大好きだけど、なんでこの作品を書こうと思ったのか。
    きっと書いてて苦しくなっただろうに。

    コジマの登場で光は差す。
    ラストもほんの少しだけ光が見える。

    だけど、どんなにたくさん光が注いでも傷付いた心は決して元には戻らないし、あの時たくさん苦労して良かったなんて、ならないと思う。綺麗事にも程があると思う。
    くしゃくしゃになった紙は、どんなに元に戻そうと思ってもピンとした元の紙には戻らない。
    残るのは、世の中に対する憎悪と歪んだ気持ち、不信感。

    わかってんのかな、と思っちゃう。
    私が未熟なのかもしれない。
    そうでないかもしれない。

    でも今は、読んでそう思った。

  • 主人公たちが受けるいじめの描写がかなり凄惨で、加害者への怒りが湧いてきます。

    途中、いくつか伏線?とも思われる内容が出てくるのですが、わりと回答されないまま、謎を残したまま終わる展開が珍しいと思いました。

    最後、加害者への報い方が良くある展開ではなく、この作者ならではの斬新さを感じました。

    大人になると、子供の頃は楽しかったな、とか子供の頃に戻りたい。とか思うこともあるけど、子供には子供なりの残酷な世界があったことを、本作を読んで思い出しました。

  • 読み終えたいま呆然としている。圧倒的な文学の力。僕なんかが感想を書けるものではない。とにかく読んでいるあいだ、辛く苦しくそれでいてページをめくる手が止まらなかった。自分がちゃんと読めたのかどうかも分からない。「僕」にはラストで光明が見えたのだと思う(たぶん)が、「コジマ」のその後は……。 川上未映子すごいわ。としか今は言えない。

  • 徹底的にシンプルなのに、読む者のリズムを知り尽くした文章と言葉選び、表現力に脱帽。
    淡々とした表現と空気感の中に、著者の川上さんの心の温かみが確実に伝わってきて。
    いじめのシーンではフィクションと分かっていても、腹が立つ腹が立つ。
    イジメのシーン、コジマの耐えながらなぜ自分はそうするのか、何が正しいのかの言い分、僕の家庭環境、何もかも読んでいて辛すぎたけれど、読む側にめちゃくちゃ考えさせてくる(しかも多角的に!)。
    さすがです。
    自分とは何か、どう生きていくかの前にはどう生きてきたかがあり、何を想い行動するのが正しいと思っているのか。
    相手の立場になって考えよう、というスローガンは果たして機能してゆけるものなのか。
    人の数だけ物の見方はある。

  • 私を私たらしめているものはなにか。差別やいじめの対象となりうるものが実は、アイデンティティのよりどころになっているということは多い。例えば、身体障害、人種、出自、性別、年齢…。もし、それを取り除くことができても、あなたはあなたか?最後に残るものはなんだ。

  • なかなかエグい内容だったので聞きながらウワァって顔をしかめちゃったりもしたけどそこまでの描写ってすごいなぁ。かなりリアル何だと思う。中学生っていうのは狭い中学生だけの世界で生きているんだなぁという感想もあった。

  • 百瀬が自分と重なった。とても冷めている。ただ、イジメはやはり無意味だ。若い時に知りたかった。虐められている少年と少女の話。虐めの描写エグいけど実際もこんなんだろうなと自分の子供時代も思い出す。虐められても虐めてもいないけど。虐めはダメだけど絶対なくならないならこれをどう理解し処理していくのか。子供は自分の狭い世界に生きているからやっぱ大人だな

  • 苦しいのに読み進める手が止まらなかった

  • 著者の圧倒的な文章力もあって陰湿かつ暴力的ないじめシーンの連続に途中何度も頁をめくるのを躊躇。それどころか魔法でも何でもいいから二人を本の世界から救い出してあげたい気持ちに。自らの経験からもこれだけは伝えたい。世の中は決して一つじゃない。だから、逃げて。

  • 黄色い家を読んでから、川上作品を遡っています。
    この作品を好きな作品と挙げる人が多い気がしたので、読んでみた。
    とあるレビューで、プチサルトルと、プチボーヴォワールである、というものがあり、主人公が斜視という点で、なるほどサルトルかと思ったが、読み進めていくうちに、主人公である「僕」はサルトルではなく、どこにでもいる私達と同じ弱い人間であり、コジマはガンディーでありシモーヌ・ヴェイユであると思った。

    感じたことはいくつかある。
    いじめの描写がつらい。Audibleで聞いたが、過去最速の2倍速まで早めてしまった。書籍ながら細目で読み飛ばしていただろう。人間サッカーなんかは、怒りで震えた。いじめが苦手な人は要注意である。

    次に、コジマについて。彼女については、賛否両論あるだろう。
    コジマが「僕」のことを理解していると思っているのが、初めから間違いのような気がする。コジマは「僕」のことを理解してなどいない。本当は、彼女の母親と同じで、「僕」のことを「かわいそう」と思っていたのではないか。
    いらいらした。自分の理想を押し付けるコジマ。自らいじめを受ける要因を作り、そして抵抗しないことを正当化するコジマ。(抵抗することでいじめっ子はますます喜ぶので、ある意味正解ではあるのだけれど、逃げることは決して間違いではない)
    コジマがいじめを我慢することで、誰かが救われるわけではない。
    コジマの父親は、コジマが「しるし」などというものを作って皆にいじめられることよりも、コジマが幸せに暮らすことを望んでいるはずだ。
    と、思って読み進めていたが、クライマックスではコジマに圧倒的な強さを見せつけられ、そのような私の思考は、吹き飛んでしまった。コジマは「ほんもの」であった。

    そして、百瀬。この人に関しては、単なる思考停止であり、論理も哲学も正義もない。
    「自分にはそれができる」と思っている、という点に疑念を抱かないという点で、思考停止している。
    根深い差別は、差別する側が差別される相手を憎んでいるのではなく、「自分たちには当然その権利がある」と思い込んでいて、なぜそう思っているのかに疑念を抱かないものだからだ。
    百瀬が「僕」になんの興味もないのも、そのような理由であると思う。まだ、二ノ宮のほうがマシなのかもしれない。相手を憎んだり、笑ったりすることは、相手を同じ人間だと認めているといえることだからだ。

    クライマックスの百瀬とコジマが交互に現れるような描写は見事で、「僕」の混乱が追体験できた。何度も聴いてしまった。

    伏線の回収不足、という声もあるが、川上さんは純文学志向なのではないだろうか。文章が平易なので、純文学らしくはないが。
    最近のエンターテイメント性の高いミステリー小説などは見事に伏線を回収するものばかりだが、純文学であれば、書いたら書きっぱなし(言い方)なのは当然ではあるまいか。私は嫌いじゃない。むしろ好き。
    ただ、色々なことを考えすぎて、総合的にこの本をどう評価すればいいのか、わからなくなってしまった。レビューを書くのにも、何日もかかってしまった。好きか嫌いかでいうと、「好き」である。
    思考の深みにハマりたい人にオススメしたい。

  • 何とか最後まで読んだが展開のあっかについていけなかった。よく最後まで読んだと我ながら感心。
    作家さんには相性があることを実感した。

  • Audible

  • 読むのが辛かった。
    「斜視」であることは、他の人と比較して、普通のことではない。ただ、他の人から見れば普通ではない状態があったから、主人公はコジマとの接点ができた。もしかしたら、いじめられなくても済んだのかもしれない。人とは違うという一つの事実に対して、弱い側と、強い側に立つ人で、こんなにも解釈が異なるのかと思った。本来であれば、自分の特徴を受け入れていくというのが、綺麗なストーリーではあるが、現実はそうはいかず、周りと違うということが、マイナスに働くなら、周りに合わせることも時には大切なのだろう。

    いじめに対して、主人公はなぜ、他人がそれをするのかが理解できない。百瀬は、「したい側と、される側がいて、たまたまそれが一致した」と言う。コジマは、「意味のあることだから、受け入れている」という。
    ラストで、周りの大人たち、特に母は、優しく寄り添ってくれた。もっと早く、周りに助けを請うていれば、抜け出すことができたのだが、それを主人公は選んでこなかった。
    物語を読み進めていくなかで、映画のように劇的な何かで主人公たちが救われますようにと願うも、結局は、自分で自分の選択をしないといけないのだと、リアルを突きつけられた気がする。

  • 友人に勧められたことをきっかけに5年ぶりに小説を読みました。

    終始暗い感じのストーリーで読むのが辛く、また本を読む習慣が薄れていたこともあり、時間をかけて読むことになりました。
    終盤の病院で百瀬と話をする場面から色々と考えさせられることがあり、面白かったです。

    自分には難しい部分もあったので、他の方の考察を拝見しようと思います。

  • 読んでる人 よもぎ

    描写が辛くて最初からつまづいてる。。

  • 中学校で強烈なイジメを受けている斜視の男子と身なりが汚い女子の日々を描く川上未映子さんの小説。
    イジメの内容がエグく読んでいて可哀想になるが、同じような境遇である二人が次第に共感し、恋愛感情を抱き、仲間意識を共有していき、二人だけの世界で生きている意味を確認し合う展開でホッとする。
    終盤にかけて、いじめている加害者側の心理描写、女子が考え方をどんどん突き詰め始めると同時に、身なりも更に汚くなっていくなど、胸が詰まる感じが続き、最後は大きな事件が起きて、サッと終わってしまう。
    読後は置いてけぼり感を感じ、頭が整理できず、もう一度読み直したいようなしたくないような、という感じでした笑

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著者プロフィール

大阪府生まれ。2007年、デビュー小説『わたくし率イン 歯ー、または世界』で第1回早稲田大学坪内逍遥大賞奨励賞受賞。2008年、『乳と卵』で第138回芥川賞を受賞。2009年、詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で第14回中原中也賞受賞。2010年、『ヘヴン』で平成21年度芸術選奨文部科学大臣新人賞、第20回紫式部文学賞受賞。2013年、詩集『水瓶』で第43回高見順賞受賞。短編集『愛の夢とか』で第49回谷崎潤一郎賞受賞。2016年、『あこがれ』で渡辺淳一文学賞受賞。「マリーの愛の証明」にてGranta Best of Young Japanese Novelists 2016に選出。2019年、長編『夏物語』で第73回毎日出版文化賞受賞。他に『すべて真夜中の恋人たち』や村上春樹との共著『みみずくは黄昏に飛びたつ』など著書多数。その作品は世界40カ国以上で刊行されている。

「2021年 『水瓶』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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