- Amazon.co.jp ・電子書籍 (238ページ)
感想・レビュー・書評
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嬉しい時はうれぱみん、悲しい時はかなぱみん、苦しい時はくるぱみんという脳内伝達物質が生成されるんだって。
平松洋子さんの「野蛮な読書」で出てきた本で、ずっとほしい物リストに入れていた一冊。
読み始めてみると、勝手になんとなく思っていたような物語では全然なくて、ヘヴンでもなんでもない、むしろ陰湿な地獄絵図が連綿と続く、あまりにも凄惨な学校生活の描写。
さすがのワタシも気持ちが暗くなってしまった。
ラストで激しい雨の公園で裸のコジマが笑う声が、あまりにも哀しくて、どうしようもないくらいやるせない気持ちになる。
善悪とか強弱とかいう価値観を根底から覆しにかかるという評判はさもありなん。
倫理てなんだろう、と百瀬の語る言葉を読みながら思うわけです。
なんというか、パワーのある小説だよなぁ、と。 -
乳と卵を以前読んで、好きな作家さんだと思い読んでみた。
いじめのシーンは思わず飛ばし読みしてしまう程、痛い痛しかった。
乳と卵とはまた違った作風で、この作家さんは色んな面をうまく使いこなせる方だと思った。
それにしても、痛い痛いしい場面を、隠さずそのままストレートに描ききる度胸のようなものには、たじろいでしまった。
何かとてもふつふつとした揺るぎない感情を持ってきたタイプの作家さんだと思う。 -
苦しい。
小説の中は自由だから、なるべく誰も傷付かなかったり、少しくらい傷付いたとしても、その先にもっとステキなことがあってほしい。
そういうわけで、低めの評価。
川上さんの作品は、大好きだけど、なんでこの作品を書こうと思ったのか。
きっと書いてて苦しくなっただろうに。
コジマの登場で光は差す。
ラストもほんの少しだけ光が見える。
だけど、どんなにたくさん光が注いでも傷付いた心は決して元には戻らないし、あの時たくさん苦労して良かったなんて、ならないと思う。綺麗事にも程があると思う。
くしゃくしゃになった紙は、どんなに元に戻そうと思ってもピンとした元の紙には戻らない。
残るのは、世の中に対する憎悪と歪んだ気持ち、不信感。
わかってんのかな、と思っちゃう。
私が未熟なのかもしれない。
そうでないかもしれない。
でも今は、読んでそう思った。
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主人公たちが受けるいじめの描写がかなり凄惨で、加害者への怒りが湧いてきます。
途中、いくつか伏線?とも思われる内容が出てくるのですが、わりと回答されないまま、謎を残したまま終わる展開が珍しいと思いました。
最後、加害者への報い方が良くある展開ではなく、この作者ならではの斬新さを感じました。
大人になると、子供の頃は楽しかったな、とか子供の頃に戻りたい。とか思うこともあるけど、子供には子供なりの残酷な世界があったことを、本作を読んで思い出しました。 -
読み終えたいま呆然としている。圧倒的な文学の力。僕なんかが感想を書けるものではない。とにかく読んでいるあいだ、辛く苦しくそれでいてページをめくる手が止まらなかった。自分がちゃんと読めたのかどうかも分からない。「僕」にはラストで光明が見えたのだと思う(たぶん)が、「コジマ」のその後は……。 川上未映子すごいわ。としか今は言えない。
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徹底的にシンプルなのに、読む者のリズムを知り尽くした文章と言葉選び、表現力に脱帽。
淡々とした表現と空気感の中に、著者の川上さんの心の温かみが確実に伝わってきて。
いじめのシーンではフィクションと分かっていても、腹が立つ腹が立つ。
イジメのシーン、コジマの耐えながらなぜ自分はそうするのか、何が正しいのかの言い分、僕の家庭環境、何もかも読んでいて辛すぎたけれど、読む側にめちゃくちゃ考えさせてくる(しかも多角的に!)。
さすがです。
自分とは何か、どう生きていくかの前にはどう生きてきたかがあり、何を想い行動するのが正しいと思っているのか。
相手の立場になって考えよう、というスローガンは果たして機能してゆけるものなのか。
人の数だけ物の見方はある。 -
私を私たらしめているものはなにか。差別やいじめの対象となりうるものが実は、アイデンティティのよりどころになっているということは多い。例えば、身体障害、人種、出自、性別、年齢…。もし、それを取り除くことができても、あなたはあなたか?最後に残るものはなんだ。
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なかなかエグい内容だったので聞きながらウワァって顔をしかめちゃったりもしたけどそこまでの描写ってすごいなぁ。かなりリアル何だと思う。中学生っていうのは狭い中学生だけの世界で生きているんだなぁという感想もあった。
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百瀬が自分と重なった。とても冷めている。ただ、イジメはやはり無意味だ。若い時に知りたかった。虐められている少年と少女の話。虐めの描写エグいけど実際もこんなんだろうなと自分の子供時代も思い出す。虐められても虐めてもいないけど。虐めはダメだけど絶対なくならないならこれをどう理解し処理していくのか。子供は自分の狭い世界に生きているからやっぱ大人だな
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苦しいのに読み進める手が止まらなかった
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著者の圧倒的な文章力もあって陰湿かつ暴力的ないじめシーンの連続に途中何度も頁をめくるのを躊躇。それどころか魔法でも何でもいいから二人を本の世界から救い出してあげたい気持ちに。自らの経験からもこれだけは伝えたい。世の中は決して一つじゃない。だから、逃げて。
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黄色い家を読んでから、川上作品を遡っています。
この作品を好きな作品と挙げる人が多い気がしたので、読んでみた。
とあるレビューで、プチサルトルと、プチボーヴォワールである、というものがあり、主人公が斜視という点で、なるほどサルトルかと思ったが、読み進めていくうちに、主人公である「僕」はサルトルではなく、どこにでもいる私達と同じ弱い人間であり、コジマはガンディーでありシモーヌ・ヴェイユであると思った。
感じたことはいくつかある。
いじめの描写がつらい。Audibleで聞いたが、過去最速の2倍速まで早めてしまった。書籍ながら細目で読み飛ばしていただろう。人間サッカーなんかは、怒りで震えた。いじめが苦手な人は要注意である。
次に、コジマについて。彼女については、賛否両論あるだろう。
コジマが「僕」のことを理解していると思っているのが、初めから間違いのような気がする。コジマは「僕」のことを理解してなどいない。本当は、彼女の母親と同じで、「僕」のことを「かわいそう」と思っていたのではないか。
いらいらした。自分の理想を押し付けるコジマ。自らいじめを受ける要因を作り、そして抵抗しないことを正当化するコジマ。(抵抗することでいじめっ子はますます喜ぶので、ある意味正解ではあるのだけれど、逃げることは決して間違いではない)
コジマがいじめを我慢することで、誰かが救われるわけではない。
コジマの父親は、コジマが「しるし」などというものを作って皆にいじめられることよりも、コジマが幸せに暮らすことを望んでいるはずだ。
と、思って読み進めていたが、クライマックスではコジマに圧倒的な強さを見せつけられ、そのような私の思考は、吹き飛んでしまった。コジマは「ほんもの」であった。
そして、百瀬。この人に関しては、単なる思考停止であり、論理も哲学も正義もない。
「自分にはそれができる」と思っている、という点に疑念を抱かないという点で、思考停止している。
根深い差別は、差別する側が差別される相手を憎んでいるのではなく、「自分たちには当然その権利がある」と思い込んでいて、なぜそう思っているのかに疑念を抱かないものだからだ。
百瀬が「僕」になんの興味もないのも、そのような理由であると思う。まだ、二ノ宮のほうがマシなのかもしれない。相手を憎んだり、笑ったりすることは、相手を同じ人間だと認めているといえることだからだ。
クライマックスの百瀬とコジマが交互に現れるような描写は見事で、「僕」の混乱が追体験できた。何度も聴いてしまった。
伏線の回収不足、という声もあるが、川上さんは純文学志向なのではないだろうか。文章が平易なので、純文学らしくはないが。
最近のエンターテイメント性の高いミステリー小説などは見事に伏線を回収するものばかりだが、純文学であれば、書いたら書きっぱなし(言い方)なのは当然ではあるまいか。私は嫌いじゃない。むしろ好き。
ただ、色々なことを考えすぎて、総合的にこの本をどう評価すればいいのか、わからなくなってしまった。レビューを書くのにも、何日もかかってしまった。好きか嫌いかでいうと、「好き」である。
思考の深みにハマりたい人にオススメしたい。 -
何とか最後まで読んだが展開のあっかについていけなかった。よく最後まで読んだと我ながら感心。
作家さんには相性があることを実感した。 -
Audible
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読んでる人 よもぎ
描写が辛くて最初からつまづいてる。。 -
中学校で強烈なイジメを受けている斜視の男子と身なりが汚い女子の日々を描く川上未映子さんの小説。
イジメの内容がエグく読んでいて可哀想になるが、同じような境遇である二人が次第に共感し、恋愛感情を抱き、仲間意識を共有していき、二人だけの世界で生きている意味を確認し合う展開でホッとする。
終盤にかけて、いじめている加害者側の心理描写、女子が考え方をどんどん突き詰め始めると同時に、身なりも更に汚くなっていくなど、胸が詰まる感じが続き、最後は大きな事件が起きて、サッと終わってしまう。
読後は置いてけぼり感を感じ、頭が整理できず、もう一度読み直したいようなしたくないような、という感じでした笑