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- / ISBN・EAN: 4988104095640
感想・レビュー・書評
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「めぐり逢わせのお弁当」インド映画というと「ムトゥ 踊るマハラジャ」しか知らず、ああいうものだと思っていた(あ、インド版時代劇というか、これも凄く楽しめる娯楽映画ですよ!)が、裏切られた。嬉しい悲鳴。夫の愛を取り戻したいと願う妻イラ(娘一人)が心を込めてお弁当を作る。→
ここで特筆①インドでは家庭で作ったできたてお弁当を職場の夫に届けるサービスがある。気温など衛生面故のビジネスだろうか?日本にはない文化である。で、前述妻の弁当が間違って見ず知らずの男サージャンに届く。男は気付かずに弁当を食べ舌鼓。そこから広がる物語。
特筆②イラのおば(血縁かは不明。おばさんと呼ばれる)。イラのアパートの上階に住む。イラは台所の窓からおばと話す。おばは声だけの出演である。このおばの存在がコミカルでイイのだ!イラはおばの助言で誤配送の男と弁当箱に入れた手紙を交わすようになる。ある日の手紙でおばの事が書かれる。→
おばはずっと寝たきりの夫と暮らしている。その夫はベッドからただ天上のファンを見ている。ある時停電でそのファンが止まったら夫の様態が急変した。停電が復旧しファンが回り、夫は持ち直したが、おばは夫のために自家発電機を買う。→
その手紙を読んで、職場食堂の天井のファンを見上げるサージャン。なんというか、もうこれだけでノックアウトである。惚れました。脚本に。サージャンは妻に先立たれた男。近々退職予定。その後任として孤児の男シャイクが雇われる。偏屈なサージャンはイラやシャイクとの交流を通して変わっていく。→
イラ自身。おばさん。イラの母。そしてある日ニュースになる子供と投身自殺をした女。これは「女=妻」の物語である。音楽も途中で子供が歌ったりと、映画ならではの演出があり、インドという遠い国にも悩める女と男達の物語が確かに現実に存在するのだと教えてくれる。”間違えた電車でも正しい場所に着く”→
補足引用。
>>インドの大都会ムンバイでは、家庭でつくったできたてのお弁当をオフィスに届ける配達サービスが充実していて、1日20万個のお弁当箱がダッバーワーラーと呼ばれる配達人5千人によって家庭とオフィスを正確に往き来しているという。
いい映画だった。
あ、インド映画は「スラムドックミリオネア」も観てたわ。
気になってる「みんなで選ぶオールタイム外国映画ベスト100」。TLで追いきれないんだが、まぁ絶対に入らないだろうインド映画の「めぐり逢わせのお弁当」は私的には100位に入るので、誰か観るように。インド映画は突然群衆で踊り出す勧善懲悪だ、と認識してたらバカを見るよ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
よくあるインド映画ではなくこうしたインドの日常を感じられるものが観たかった‼ 内容もジーンと考えさせられるものがあって、意外性に富んだ映画でした
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サージャンの気持ちが痛いほどにわかる。このエンディングは?と思いつつもこの作品はこれでいいのだと思った。老いに負けてしまう気持ちはわかるが、やはり老いというものは心の変化から始まるものだと思う。しかし、一度は身を引いたサージャンがイラを探し始める。僕の頭の中では美しいハッピーエンドで締めくくられていた!
「めぐり逢わせのお弁当」
https://www.youtube.com/watch?v=d3Nnwi18ZiA
最近の僕の中にはインド映画が到来している!女優さんはきれいだし、男優さんの科目差が本当に渋い!この作品も登場人物は5,6人程度しかいない状態でサージャンとイラの圧倒的な存在感と演技力で物語が作られている。インド・フランス・ドイツ合作作品ではあるが、心の底から温まることのできるそんな作品でした。 -
彼の食事の仕草にうっとりする。
きらきらする瞳。
香りと味にゆるむ顔。
ドギマギする間、間、間。 -
心が前向きになる素敵な映画だった。女性が弁当を通して一喜一憂するのが可愛い。男性もクソ真面目だけど可愛いさがあり憎めない。弁当配達人という職業があったり、通勤事情を知れてインドに興味を持った。やはりカレー食べたくなりました。
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美しい
「あなたと一緒にブータンに行けたらいいな」
「夢を見させてくれてありがとう」 -
最近のインド映画の快進撃にはほんとに目をみはるものがありますね。多くの秀作が公開された2014年の締めに観たこの映画も、しみじみとした味わい深い佳品でした。
妻を亡くした後、他人と関わらず、感情も失ってしまったかのように会社と家を往復するだけの毎日を過ごしてきた初老の男サージャン。手違いで彼のもとに届けられるようになったイラのお弁当を、最初のうちは礼もなく批評していた気難しい顔のサージャンが、しだいしだいに心を奪われ、昼食時間を待ち切れずにそわそわと手紙を開くさまが微笑みを誘います。
イラとのささやかな文通と並行して、後任として配属されたシャイクも、早期退職を決めたサージャンの平穏すぎる日常をかき乱し始めます。押しが強すぎて気に入らない、しかし、いかにも若者らしい向こう見ずな希望に満ちたこの男もまた、サージャンの生活に精気を吹き込むと同時に、自分の若さが終わってしまったことをサージャンに深く知らしめることになるのです。
いつまでも恋愛とセックスを楽しみ、若々しくあってこそ人生なのだと主張するようなハリウッド映画を観すぎた観客にとっては肩透かしのようなサージャンの決断。元いた場所へと戻っていく彼の表情に諦念はあっても、それは決して苦く辛いだけのものではなく、ゆったりとした深さとほの甘さを伴っている。独りの家で隣の家族が食卓を囲むさまを見守るサージャンの表情には、実に実に繊細で奥ゆかしい味わいがたゆたっています。
そして、なおも心からさまよいだすあくがれを追いかけるようなラストシーンの、イラのたたずまい。ほんとうに、間違った電車に乗っても、正しい場所にたどりつけるのでしょうか。大都市を血球のようにかけまわるダッバーワーラーたちの歌声には、たしかに小さき人から神への切実な問いかけがこめられているように聞こえてくるのです。