毛皮のヴィーナス [DVD]

監督 : ロマン・ポランスキー 
出演 : エマニュエル・セニエ  マチュー・アマルリック 
  • ポニーキャニオン
3.69
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感想 : 16
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988013285583

感想・レビュー・書評

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  • まるでアクションを観ているよう。
    次々に変わるふたりの立場に付いていけずやや混乱気味。
    あと自分の教養がないのも改めて分かって悔しかったなあ。
    役者さんふたりの演技には観入った。
    ソファを上手く使っていた。
    情欲を誘うものになったり、カウンセリングの椅子になったり。
    でもエマニュエル・セニエ、たまに平野ノラちゃんに見える。
    日本人役者でやるなら荻野目慶子さんと生瀬勝久さんとかがいいかなあ。

    演劇が観たくなりますね。

    • GMNTさん
      こんにちは。
      僕の知り合いでもそう仰る方いるんですが、「教養がない」って気になりますか?僕の目から見て5552さんが教養ないとかは思えない...
      こんにちは。
      僕の知り合いでもそう仰る方いるんですが、「教養がない」って気になりますか?僕の目から見て5552さんが教養ないとかは思えないんですけどね。
      教養のない人なんてほんとにいっぱいいますよ。最悪なのは、教養があっても感性がない(趣味が悪い)人だと思います。ほんっとに極まれですけど、読書家でいっぱい本読んでたり、映画をいっぱい観てる人でそういう人がいてびっくりします。大概そういう人は偉そうなんで、「お前は何のために本を読んだり映画観たりしとるんや!」って腹立たしくてしょうがなくなります。
      2018/07/22
    • 5552さん
      GMNTさん、ありがとうございます。
      『教養がない』ってやっぱり気になるものですよ。映画や本って『教養』がなければ理解するのも難しいものも...
      GMNTさん、ありがとうございます。
      『教養がない』ってやっぱり気になるものですよ。映画や本って『教養』がなければ理解するのも難しいものもたくさんあると思いますし。

      『感性』の方は本や映画の知識を得るだけじゃ育たない気もしますね~。(←偉そうですね(^-^;)
      バランス良く、どちらも磨きたいですね。
      道は遠い...。
      2018/07/23
  • まるで谷崎潤一郎の小説世界を映像化したような、戯曲的SM映画。ドイツの小説をモチーフにしたフランス映画なのに。「変態」(というか、「サディズム」と「マゾヒズム」の構造)って、実は世界共通の概念があるのかも。

    舞台演出家の男性トマは、自身が脚本・演出する次回作「毛皮を着たヴィーナス」のためのオーディションをしたのに、理想の主演女優が見つからずに苛立っていた。一人きりとなったオーディション会場の劇場から帰宅しようとするトマ。
    そこに突如現れる、売れない女優のワンダ(不思議にも、その名前は、彼の舞台のヒロインと同じ名前である。)。
    オーディションに遅刻したという彼女は、トマを説き伏せ、無理やりオーディションを始めてしまう。
    下品で知性を感じさせないワンダに、自身が望む気高き貴族の淑女「ワンダ」役が出来るわけはないと思っていたのに、演じ始めたワンダの姿は、彼が追い求めていた美しき「ワンダ」そのもの。

    決定権を持つ支配者であるはずの演出家と、彼に選ばれなければ意味のない弱者であるはずの女優。

    しかし、密室において、オーディションのためであったはずの演技と、そこに挟まれる二人の応酬が進むにつれて、その関係性は、徐々に逆転していく。
    奇しくも、トマが作ろうとしている劇中のヒーロー「クシェムスキー」とヒロイン「ワンダ」のように。

    そして、不可思議なワンダに支配される喜びにいつのまにかどっぷり絡め取られた時、秘めていた欲望を丸裸にされたトマに降りかかった悲劇とは…。

    サドとマゾって、当事者以外から見たら、サドのほうが支配者で、マゾのほうが被支配者なように見えて、実は、マゾ側がサド側に強いた「遊戯」であるという、力関係が逆転した関係であることもあること。
    と思えば、サド側がマゾ側をなぶる時には、現実的に(特に身体的な接触においては)、サド側が優位な地位にあったり。

    サディズムとマゾヒズムが持つ、そんな力関係の曖昧さと危うさ、そして緊張感が、密室におけるたった二人の俳優の演技と、舞台的な小道具によって見事に表現されおり、魅入ってしまいました。

    敢えて人におすすめする映画でもないですが、実験的でありながら、とてもよくできた作品だと思います。なかなか怪しい中毒性を持った作品です。

    取り敢えず、今、無性に谷崎潤一郎の小説が読みたい…。

  • すごく面白かったです。ジャンルはコメディ。『赤い航路』と『おとなのけんか』を足した感じなので、このふたつを先に観ておくのも良いかも。あと『テナント』がちょっとだけ入ってる気がする。
    良くない点を先に言えば、『おとなのけんか』同様、舞台が原作なので映画的ではないし、セリフ劇なところ。映画が面白いと言うより、原作の劇が面白いんだろうなあと思う。

    まず驚いたのは、主演のマチューアマルリックが昔のポランスキー本人にそっくりだったこと。髪型一緒で、顔をよく見たら違うんだけど一瞬本人かと思った。たぶん本人に寄せてるんだと思う。
    二人芝居の相手、もうひとりの主演はポランスキーの奥さん、エマニュエルセニエ。ポランスキー作品にずっと出てる。なのでポランスキー夫婦の投影のように見せかけた、メタ的な面白さがある。

    原作はマゾヒズムの語源として有名なザッハー=マゾッホの『毛皮のヴィーナス』。それをブラックコメディとして翻案した作品が原作の劇。そして主人公は『毛皮のヴィーナス』を翻案して劇にしようとしている脚本家兼演出家…という、3重にも4重にも入れ子構造になっている。

    話もどってアマルリックがポランスキーそっくりなのは、彼のお母さんがポーランド系だからかも。そしてザッハーマゾッホも、国籍としてはオーストリアだけど、出身地のガリツィアはポーランドだったりウクライナだったりとほんとに複雑。ポーランドはそもそも国が消滅したりしてるし。
    だからたぶん、ポランスキーが映画化した理由のひとつは、ザッハーマゾッホがポーランドや東欧に関係しているからかもしれない。

    原作小説は未読だけど以前から読みたかった。というのは、カフカの『変身』って『毛皮のヴィーナス』に影響を受けてる…という説があって、けっこう有名らしくて。グレゴールとかオマージュしてるような部分がけっこうある。
    そして、ザッハーマゾッホの原作にわりと忠実に作ってあるように思います。その上で変えてるから面白い。知らなかったけど、叩いたり緊縛だけじゃなくて、NTRや放置プレイまでしてるんですね、いやすごいですねー、びっくりしました。

    SMの面白いところは…って書くとしてるように誤解されそうだけど笑、SMものの面白いところは、個人的には「SとMが逆転する」点だと谷崎潤一郎なんかを読むとものすごく感じます。『刺青』『痴人の愛』、あと『春琴抄』もそうかな。先日観たみうらじゅん原作の『変態だ』にもちょっとあった。
    Mって「されている」んじゃなくて「させている」とか、SはサービスのSとかよく言いますね。Sの方が奉仕してんじゃねえの?って。

    舞台演出家や映画監督は役者を支配してる、主導権を握って演者を動かす、これはまさにSMの関係で、重層構造になってる点。で、それが逆転したり元に戻ったりするのがこの映画の魅力でした。
    だから観ながら「あっ、今こっちが支配してる。あっ今切り替わった!」なんて考えながら観ると楽しいと思う。ただ、忙しくて大変だった笑。
    入れ子になってたり相手に同化するというのは、『テナント』もそうでしたね。入れ子、無限後退の世界って、虚構なのか現実なのかよくわからなくなってくる…という。

    またエマニュエルセニエがこういうSM女王様みたいな役が似合いすぎなんだよなー。顔からしてヤバい笑。
    ルーリードネタがちらっとあるけど、セニエさん、ルーリードの映画に出てるじゃんねえ笑。

  • 遅れてきた来訪者は只の邪魔者でしかなかった。
    煩く喚き散らす彼女に嫌気しながらも次第に流れを掴まれていく彼。ペースに乗せられ始めたオーディション。まるで期待などしていなかったはずなのに第一声で渇望にあえぐ心を掴み捕られてしまった。
    嗚呼、彼女こそが探し求めた理想の女。
    読み合わせが進行する程に魅了され、次第に己が内なる切望の波がさざ波から大波へとうねりを大きくしていく。
    遂に出会ったご主人様。形振り構わず快楽に耽溺したい。しかし、一線を踏み越えてしまいそうなところで、何故か現実に引き戻されてしまう…
    それこそが戦略。それこそが仕掛けられた罠。
    演劇と現実との狭間で気が付けば、彼女の為すがままに振舞い始める我が身に恍惚を感じてしまっていた。
    もう逃れられない。私をあなた様の奴隷にしてくださいませ…
    とっても面白かったです。ロマンポランスキー監督さすがに素晴らしいです。

  • たった2人の人物が演劇台本を読み合わせるだけのシンプルな設定ながら、マチュー・アルマリックとエマニュエル・セニュエの刻々と変化する力関係と駆け引きに幻惑され魅了される、極上の2時間です。
    がさつでおバカな女優が台本を読み始めた瞬間にヴィーナスに変貌し、その魅力に一瞬で魔法にかけられたかと思えば次の瞬間には突き飛ばされる。翻弄されつつ、しだいに囚われて自身の欲望を開示していく脚本家。ユーモアを交えた二人の駆け引きは、やがて力関係が逆転するにおよんでクライマックスを迎えます。SMのもたらす快楽の神髄はパワーの交換にあることを息詰まるやりとりで明らかにしていくこの脚色が見事。ユーモラスなやりとりをくすくす笑いながら見ているうちに、いつのまにか観客もひきこまれ虜にされてしまう。ポランスキー監督のみごとな手腕に脱帽、です。

  • オーディションが不作で、苛立ちをあらわにする脚本家の元に、大幅に遅刻した1人の女優が登場。40半ばだろうか、何で生計を立てているのか荒んだ風態だ。脚本家に泣きつき、とりあえずオーディションが始まる。ここからの2人の舞台劇が凄い!虚実・役割が目まぐるしく入れ替わり、観客は終始緊張を強いられる。物語の好悪はさておき、次々と変わる人格を演じ分ける気迫に、役者というのは誰もがなれるものではないなぁと今更ながら感心しました。

  • ともかく二人の役者の演技が素晴らしい。地味な映画だけれど、改めて思い返してみるたびにじわじわと良さがわかってくる。原作を読んでいなくても楽しめる。なんだったんだあれは、という奇妙な印象が残っていて、忘れたくても忘れられない。

  • ”マゾ”という言葉の由来となったレオポルド・フォン・ザッヘル=マゾッホ作『毛皮を着たヴィーナス』の舞台をモチーフにしたロマン・ポランスキー監督のコメディ。
    始めは現実と芝居が入り交じり、最後は役が入り交じる。ポランスキー監督らしい不可思議な空間づくりが素晴らしい。映画というよりは舞台の芝居を観ている気持ちにさせられる。

  • 役者は二人しか出てこないのに最後まで飽きずに観れました。
    この二人すごい。

  • ちょーやばい。ロマン・ボランスキー監督すげーなぁ。

    女と男
    女優と演出家
    選ばれる側の選ぶ側
    ワンダと博士

    2人しかでていないのに、いや2人だからこそ、集中して一人の人にくっついている役割や立場の多さに気づき、今この人はどのレベルで喋っているんだと推測する。

    演じるということと、『毛皮のヴィーナス』を結びつけ、入れ子構造にしている点はセンスの良さに脱帽せざるおえない。
    映画からもう一度舞台に戻してやってみても欲しいなぁ。と思い妄想するが、俳優さんの負担が半端なく、かつ演出の仕方もかなり難しい。

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