コンテンツの秘密 ぼくがジブリで考えたこと (NHK出版新書) [Kindle]
- NHK出版 (2015年4月11日発売)
- Amazon.co.jp ・電子書籍 (187ページ)
感想・レビュー・書評
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文章を読むとある程度書いた人の頭の中がどうなっているか分かる気がする。
この筆者は普段からめちゃくちゃロジカルに世界を捉えてると思う。
川上さんが宮崎駿監督のもとで何を考えながら働いていたのか、その思考のプロセスをまとめた一冊。独自の定義の言葉や考えを述べる部分もあるがどれもスッと納得できるように書かれてるからすごい。
ジブリ作品を鑑賞する前にもう一度読みたい。
ストーリーに対して感じていたモヤモヤ、なぜ何度見ても飽きないのか、という疑問に対する答えが書かれていた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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コンテンツとクリエイターについての解釈。
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コンテンツとは何か?
ワンパターンになってしまう理由は?
クリエイターとは誰を指すか?
好まれるようなコンテンツを生み出すとき、過去摂取したコンテンツを(意図的でなくても)組み込む。
違いがなければただの劣化版だ。 -
コンテンツのお勉強。
商業主義と結びついた現代のコンテンツ産業においては、消費者が認識するコンテンツとはやはりコンテンツの周辺にあるものすべてをひっくるめたものであって、つくり手側にとってもそれらすべてがコンテンツに含まれていると考えるほうが合理的だと思います。
実際、ジブリに見習いプロデューサーとして入社して最初に驚いたのが、そういうパッケージのデザインやポスターなど、映画の映像そのものとは違う素材をどうつくるかのミーティングが非常に多かったことなのです。コンテンツをつくる仕事というのはそういうものなのです。
クリエイターとはそもそもなにをする人のことでしょうか?
ぼくが考えた結論を紹介すると、クリエイターとは「ある制限のもとでなにかを表現する人」のことです。「ある制限」というのがメディアと紐付いたコンテンツフォーマットであり、表現したものがコンテンツになるのです。
人間が成長していく過程で、現実社会を学ぶための教材がコンテンツであると言っているわけです。
人間を含む生物が現実世界の模倣を楽しいと思い、それによって現実世界を学習することで生存を有利にすること。これがコンテンツの起源であるという解釈はかなり正しいのではないかと思います。
…人間の脳はコンテンツの情報をそのまま理解しているわけではなく、脳に理解しやすい形に変換して理解しているということが分かります。コンテンツとしての情報量と、脳が認識するときの情報量は、やっぱり、そもそも違うのです。この脳が認識する情報量こそが主観的情報量です。
むしろ人間が現実を学ぶ教材として、現実の 代替 を務めるのがコンテンツであると考えるなら、少ない客観的情報で多くの主観的情報を提供するのがコンテンツであるということになるのではないでしょうか。
人間は現実世界のイメージを脳のなかに持っています。それは現実世界の情報をそのままコピーしているのではなく、特徴だけを抽出して組み合わせてイメージをつくっているのです。
コンテンツのクリエイターとは、脳のなかにある「世界の特徴」を見つけ出して再現する人なのです。
ぼくが思うに、クリエイターが創作で苦しむ原因は、生活苦とか世間の無理解とかは別にすると、次の三つだけです。
・脳のなかのイメージを再現する技術的な難しさ
・脳のなかのイメージを見つける難しさ
・自分の脳にはないイメージをつくる難しさ
プロであればあるほど、とかく「本物」を届けることにこだわりがちです。しかし、長戸大幸さんがボーカルの声の聴き取りやすさを重視した例や、ぼくらの着メロサイトが音圧を上げることで支持された例のように、一般の消費者のなかでも感度の高い人たちこそ、プロやマニアが軽視しがちなコンテンツの原初的な特徴の「分かりやすさ」を求める傾向があるというのは、真面目に受け止めるべき事実であるようにぼくは思います。
パターンに飽きるという現象を、「コンテンツとはクリエイターの脳のイメージを観客の脳のなかに再現するための媒介物である」というモデルから解釈すると、飽きられたパターンのコンテンツを消費しても、観客の脳のなかに新しいイメージはもはやコピーされない状況だと解釈できるでしょう。
さて、コンテンツとはなにか。クリエイターとはなにをする人たちなのか。いろいろな説明をこれまでしてきました。
ひとつは、脳のなかのイメージをコンテンツとして再現するのがクリエイターであるということ。
そして、クリエイターとはオリジナリティを期待されているにもかかわらず、脳のなかのイメージとは、答えがひとつに収束する傾向があること。
答えがひとつであるコンテンツの世界で、違う答えを出さなければいけないのがクリエイターの苦しみであること。
高畑勲監督が言う、アーカイズム→クラシック→マニエリスム→バロックという美術史のサイクルは、コンテンツにおいて脳のなかのイメージがオリジナルを求めて、再現が比較的容易なものから作品となっていくプロセスであると理解できるのではないかということ。
コンテンツの要素である「対象」と「手法」では、「手法」のほうが多様性があるので、クリエイターは最終的には「手法」にこだわること。
コンテンツをユーザー側から見た場合には、コンテンツを媒介にユーザーの脳のなかに再現されるイメージが、人間の情動と結びついていることが重要であること。
コンテンツがユーザーの心とシンクロするためには、クリエイターがユーザーの心を理解している必要があること。
天才とは自分のヴィジョンを表現してコンテンツをつくるときに、どんなものができるのかをシミュレーションする能力を持っている人である。
コンテンツとは”双方向性のない遊び”をメディアに焼き付けたものである。
そしてコンピューターの登場により、ゲームやウェブサービスのようにコンテンツに双方向性を付け加えることができるようになった現状では、右の定義はもっとシンプルに言い換えられるでしょう。
コンテンツとは”遊び”をメディアに焼き付けたものである。 -
『コンテンツの秘密 ぼくがジブリで考えたこと』(川上量生著/NHK出版)vol.417
http://shirayu.com/blog/topstory/idea/4672.html -
コンテンツとは何か、クリエイターは何をやっているか?
の本質に肉薄する一冊。ドワンゴの川上社長がジブリに弟子入りしていた頃から
考え続けてきているこの問に対して様々なクリエイターとの問答と歴史の中から
独自の解釈が紹介されていて、論理的なアプローチで納得感が高い
・クリエイターとはある制約のもとで何かを表現する人
制約とはコンテンツフォーマット
・生物が現実の模倣を楽しみ、模倣から学ぶ習性を持つ
・コンテンツとは現実の模倣
・情報量が多いアニメは面白い、情報量とは線の多さ
・クリエイターとは脳の中にある特徴を表現する人
・客観的情報量が多いだけだと面白くない。主観的情報量が多いこと。
・完全なる再現よりも、特徴のある再現。例えば着メロは音割れしていても主旋律の音圧が高いほうが好まれた
・作品を見る時には、その人がなにを表現したかったかを見れば良い
一つの結論は、良質なコンテンツとは人間の脳が求める主観的要素とどれだけマッチしているか -
「コンテンツ」というものの定義についてまとめれた良書
ただし、「ゲーム」・「ウェブサービス」のような双方向性を持たないものについてのみ なので、是非上述の双方向性要素を含んだ考察を持ったものも読みたい -
エピソード記録。でもこういうのは数値で表すのがなかなか難しい。教育に似ている。
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コンテンツとはなにか。アニメと実写の情報の違いはなにか。そんなことはあまり考えたことがなかったし、文章も分かりやすく進んでいくので手軽に別世界に触れられてよかった。
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コンテンツとは何か、なぜ人はコンテンツを面白いと感じるのかが書かれている。人間の認知の話や、ディープラーニングといったITの話題も出てきてとても面白かった。
構成がとてもわかり易く、難しい言葉を使わずに、かつ論理がしっかりしているのでページを戻らなくてもスラスラ読めた。 -
【アリストテレス『詩学』にみるコンテンツの定義】16%
コンテンツ(再現)について、(1)メディア(2)対象(3)方法のいずれかひとつでも異なれば、別々のコンテンツであると言い切る。
コンテンツとは現実の模倣=シミュレーションである 18%
情報量=線の多さ
(1)主観的情報量(2)客観的情報量
(こうともいえる)
コンテンツ=小さな客観的情報量によって大きな主観的情報量を表現したもの 31%
客観的情報量:現実>コンテンツ
主観的情報量:現実<コンテンツ
コンテンツとは脳のなかのイメージの再現である。39%
コンテンツはクリエーターのヴィジョンを表現したものである。83%
天才とは自分のヴィジョンを表現してコンテンツをつくるときに、どんなものが実際にできるのかをシミュレーションする能力を持っている人である。97%
【オリジナリティが生まれるプロセス】97%
・脳のヴィジョンを再現する能力が技術的に不足しているため、偶然に、なにか違うものができてしまう
・意図的にでたらめな要素を入れてコンテンツをつくる
・パッチワーク的に、自分がつくっていない要素をパーツとして利用する結果、自分がつくっていない要素が原因で”奇跡”が生まれる
・いままでの自分が知っているパターンを切り貼りして、新しい組み合わせのパターンをつくる
(ゲームやウェブサービスとの違いを念頭に)
コンテンツとは、”双方向性のない遊び”をメディアに焼き付けたものである。98%
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コンテンツとは”遊び”をメディアに焼き付けたものである。