目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書) [Kindle]

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  • 本書では全体を通じて"相手の靴を履くこと"を述べている。身体機能を失ったことに対しての同情ではなく、相手の立場に立って考えること。本質的に同じ視点に立つことはできないが、言葉を通じて対等な立場になることはできるというのが5章のソーシャルビューの話だと感じた。
    なんにせよ"障害がある"という言葉に内包される意味が多すぎることが、世の中の障害者に対しての認知を歪めさせている気がする。
    言葉によって分断を行うことでわれわれ健常者(健常者として診断されたことはない)が安心をしているが、実際にはグラデーションである。

    先日、現金を使えないセルフレジで右往左往するお婆さんを見かけた。彼女も省人化とIT化に取り残されお会計の出来ない障害者と定義することができる。たまたま今の自分が現代社会において生活をするのに向いていた方だったというだけで、社会の変革が来た時に我々は障害者たりえるということを自覚させてくれる一冊であった。

  • オーディブルで聴了

  • 可哀想だとか冗談を言ってはいけないとか、壁を作るのはいつだって健常者。目の見えない人が普段どんな感覚で生活を送っているかを理解することが大切なんだってわかった。聴覚や触覚など、健常者でも応用できる体の使い方も学べる。

  • これまで想像しなかったことが分かりやすく書かれていて、世界が広がった

  • おもしろがる、じぶんにできるかなぁ。

  • 福祉的な視点ではなく、対等な関係で相手と向き合う。
    新たな視点を与えてくれるだけでなく、筆者の真摯な取り組みから、いろいろ学ばさせてもらいました。

  • 障害を受け止めて、「パスタソースは運試し」とユーモアにしてしまう生き方。健常者でも自分の欠点が気になって仕方がない生き方とは真逆だ。障害者、健常者という垣根を超えていく話はとてもパワーを貰えた。

  • 筆者が視覚障碍者及びその関係者に行ったインタビューにをもとに、「目が見えない人の世界」について筆者の視点からまとめられた著書である。


    「空間」「感覚」「運動」「言葉」「ユーモア」というテーマごとに章立てられている。

    中でも「見えないということ」を視覚の欠如、標準から欠けている状態としてとらえるのではなく、視覚抜きで成立している状態と捉えるという筆者の視点は自分には全くなかった感覚で印象に残った。
    本著を読んだあとに、街を視覚に頼らず音に耳を澄ますと、聞こえてくるのはほとんど車の音ばかりで同じ街でも違ったものに感じられ、新鮮な感覚であった。

    本著でも述べられている通り、これから未曽有の超高齢化社会を迎える日本では、視力や脚力などどこか弱いところを抱える人が大量に発生するのは必至であり、そのようないわゆる健常者とは異なる体のありようについての想像力を持っていることは大切だと感じた。

  • うーむ、なるほど~空間(見える人は二次元、見えない人は三次元):感覚(読む手、眺める耳):運動(見えない人の体の使い方):言葉(他人の目で見る):ユーモア(生き抜くための武器)~「しょうがいしゃ」を支援者の言うように「障がい者」とか「障碍者」と書かずに、「障害者」と書いたのは、「障害」と書いて、そのネガティブさを社会が自覚する方が大切だからだ・と。従来、障害は個人に属していたが、新しい考えで障害の原因は社会の側にあり、見えないことが障害なのではなく、見えないから何かができなくなることが障害だというわけだ。「足が不自由である」ことが障害なのではなく、「足が不自由だから一人で旅行に行けないこと」「望んだ職に就けず経済的に余裕がないこと」ことが障害なのだ。・・・げげ、書いていてよく理解できない。さすが東大で文転して美学を生業にしている人だ! 情報と意味! ヨシタケシンスケさんの「みえるとか、みえないとか」のネタ本だけど、カバーにヨシタケさんの絵が使えるとネタ本の方も売れるよね、というか、絵本は立ち読みできちゃうから買われていかないけど、この本は立ち読みではすまないから、こっちのほうが売れる!

  • タイトルにある通り、本書は目の見えない人たちとの対話から、彼らが世界をどう「見て」いるのかを記録した本。であると同時に、目の見えている人たちがいかに見えていないかの記録でもある。

    正直、あまりに目からウロコな話ばかりで、目が見える/見えない世界というのがそれぞれ別の世界であるとはわかっていながら、自分がそれほどの想像力もなかったのかと呆れもした。

    けれど、そんなことで、自分の至らなさをことさら書く必要はないのかもしれない。例えばこの見えなさを笑い飛ばすだけの寛容さを相手が持っていないと、どうして想定してはいけないのか。

    ひとつだけ本書に対する不満。それは、見えないことと性別の関係がまったく描かれていなかった点。つまり、女性のケースがまったく紹介されていなかった点。著者は女性だから男性のほうが相性がよかったのかもしれないけれど、これってけっこう本質的な問題だと思うのだけれどいかに!?

著者プロフィール

東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長、リベラルアーツ研究教育院教授。マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員。専門は美学、現代アート。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。主な著作に『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』『目の見えない人は世界をどう見ているのか』『どもる体』『記憶する体』『手の倫理』など多数。

「2022年 『ぼけと利他』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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