21世紀の自由論: 「優しいリアリズム」の時代へ (佐々木俊尚) [Kindle]

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著者 : 佐々木俊尚
  • 佐々木俊尚 (2015年6月9日発売)
  • Amazon.co.jp ・電子書籍 (117ページ)

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21世紀の自由論: 「優しいリアリズム」の時代へ (佐々木俊尚)の感想・レビュー・書評

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  • うーん。感想がない。だけど参考になった。たぶんよくわかってないんだと思う。そうなのか。そうだよね。それはちがうかもなーって感じ。
    とにかく参考文献とかに乗ってる本とか読んだことないしついていけてない感はある。読書したくなった。知的好奇心

  •  時代は様々なしがらみから解放される方向に進んできて、女性や奴隷や子供の権利を認めるという足跡をみると、主体的に選択できる権利が拡大されている。今となっては性別さえも自己選択の範疇に入っていて、もっと時代が進むと、オカルトの力を借りてきっと生まれる場所や環境さえも選べるようになると思う。

     そんなふうに「純粋理性に基づく自由意志による自己決定」という自由を掲げてそれを実現しようと邁進してきた私たちの文明だけれど、結構自由になってきた結果、やっぱり自由すぎるのは大変なのではという疑問が21世紀になってでてきた。しがらみから解放された結果、やっぱりしがらみって大事じゃない?という気づきがうまれ、それはISとかドナルド・トランプとかで顕在化している。

     本書はコンテンポラリーな話題を現状追認的に分析しながら、それらのリベラルの限界を探っていて、コミュニタリアニズムの問題を指摘しながらも共同体の必要性を結論としている。けれども、これまでのようなしがらみとしての共同体ではなく、もっと軽く流動的でフワフワした共同体で、それを可能にしているのはやっぱり情報技術の発達だったりする。

     しかし、そんなフワフワした共同体に個としての人間が対応できるのかという疑問を持っている人もいて、それも結構納得できる。それは、所詮人間はリベラルになんてなれないのでは?という疑いで、やはり結構納得できる。

     共同体の感覚が薄い人間からすれば、共同体の不在からくる不安はしょうがないものだと受け入れられるけれど、居心地のいい共同体に居続けるために自分を拘束してる誰かをみると、それはちょっと違う気がして、でもそれはそれで自己選択なのかもしれないなんてふと思ったりする。

  • 前半の状況分析はさすがに鋭く的確。現状に至るまでの歴史的背景の解説も非常に納得。後半の「では今後どうなるか/どうあるべきか」で語られるフラットで多層的なネットワーク社会については正直あまりうまくイメージできない。それでも新鮮な視座を得られたことは間違いない。

  • 第1章は日本の言論の現代史の俯瞰である。「リベラル」も「保守」も「ネット右翼」も、政治哲学がなく「立ち位置」だけがある。「マイノリティー憑依」によって、どこにもいない、幻想でしかない外部に自身を置き、その安全圏から内部を批判するばかりである。だから発言にも行動にも論理的な一貫性がなく、奇妙なねじれとジレンマから逃れることができない。

    しかし、第2章に示されるように、論理的一貫性をもった選択のよりどころとなってきた「普遍」もまた、その擁護者たるヨーロッパの没落とともに失効しているという指摘は明快だ。よりどころはどこにもない、「過酷な移行期(l.1878)」に我々はいるのだという。

    今は過渡期だと誰でも簡単にいうけれども、大抵は、自分の経験とは違うことが起きているという程度のことなのだが、ここでは相当長い歴史的なパースペクティブをもって「移行期」が語られており、その不安感には共感できる。

    筆者が拠って立つべき政治哲学として提示するのは「リーン」で「優しい」「リアリズム」である。

    「リアリズム」だから、中国を牽制するための集団的自衛権は必要であり、政体は民主主義でない可能性がある、という。全体を読めば理解できるのだが、ここらの字面だけに反射的に噛み付く批判は少なくないだろうと想像される。

    「リーン」とは「長期的で巨大な計画ではなく、機動力を生かして軽快に事業を進めていくような考え方(l.1787)」で、「アジャイル」と似ているが、ロケットの発射よりは自動車の運転に似て「目的地はわからないが、交通事故を起こさない」(l.1804)という。

    「優しい」は、理路を突き詰めて付いて来られない者を切り捨てたりはしない、不安な気持ちを包摂する、というような意味である。不確定であることは辛いけれどもそこに踏みとどまって、「ものごとはたいていグレーであり、グレーであることをマネジメントすることが大切である(l.1866)」と考える。「両極端に目を奪われることなく、そのあいだの中間領域のグレーの部分を引き受けて、グレーをマネジメントすること。その際、人々の感情や不安、喜びを決して忘れないこと。これこそが優しいリアリズムである。正義を求めるのではなく、マネジメントによるバランスで情とリアルを求めることが、いま私たちの社会に求められている。(l.1894)」

    リーンで優しいリアリズムという主張には共感するところが多いのだが、硬直した不寛容なファンタジーが支配的な今日の日本においては、道は遠いというのが実感だ。グレーに耐えられないからこそ、コストを度外視して極端なコンプライアンスを要求したりするのであるから。

    それにしても目眩がするほどの離隔の大きさである。私の人生はこの移行期のうちに閉じるであろうが、その先につながる価値をいくらかでも生み出しておきたい。

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