- Amazon.co.jp ・電子書籍 (379ページ)
感想・レビュー・書評
-
ピュリッツァー賞受賞作、インタビューに基づくノンフィクション▲太平洋戦争とはいかなる戦いだったのか?二・二六事件、満州事変、日中戦争、日独伊三国同盟、日米の諜報戦と交渉決裂、真珠湾奇襲前夜まで▼奥さまが日本人だけあり、日本理解が深い。「政策」は立てるが「原則」は作らないなど、なるほどと思う。世界の警察官になる前の米国、第一次世界大戦に未介入だった日本、ともに苛烈な競争に晒された欧州各国と違い、他国との協調力が未熟であった故の開戦と見る。国際組織での苦労や共同軍事活動でもあれば違ったのであろう(1970年)
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
大竹紳士交遊録 2015.8.11深澤真紀 紹介
-
2015/7/10読了。
「日米どちらの側にも、英雄も悪漢もいなかった。」
というスタンスで書かれる太平洋戦争のドキュメンタリー(誰にも責任がなかった、と解釈するのは誤読だろう。悪漢でないことは責任がないこととイコールではない)。英雄でも悪漢でもない人々が数百万の死者を出し国を滅ぼす大惨事をどのように引き起こして遂行したか。本書はその様々な要因やプロセスの詳細な記録のうち、二・二六事件から開戦前夜までが収められている。
著者は米国人である。本書の内容が太平洋戦争についての貴重な史料であると同時に、本書自体が1970年代冷戦下の米国における対日本言論を考える上での一次史料でもある、との留意は必要かもしれない。
さて、2015年の現在が次の戦争への戦前期だと短絡的に言うつもりはないし言いたくもないが、本書には次のような言葉が出てきた。
「日本の存立が脅やかされたのだから」
「自存自衛を全うするため」
「説明が十分に意を尽くさなかったのは遺憾に思います」
これらは当時の政府・軍部が開戦にいたる過程の中で言ったり書いたりした言葉である。ほとんど同じ言葉が今朝の新聞にも載っている。
それから本書の中には、難航する日米交渉が悪化していく様子を述べるくだりで、次のような一節が出てくる。
「ただ問題は、(中略)むしろ日本の国民大衆だった。政府の言論指導を受けた新聞を読んでいる国民は、アングロ・サクソンが日本を世界の三流国に陥れようとしていると信じ、そのために国家指導者の決断を促す決起集会が各地で開かれていた」
こういうのが一番怖いし危ない。