セッション コレクターズ・エディション [Blu-ray]

監督 : デイミアン・チャゼル 
出演 : マイルズ・テラー  J・K・シモンズ 
  • ギャガ
3.94
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  • (19)
  • (7)
本棚登録 : 861
感想 : 185
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4589921401586

感想・レビュー・書評

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  • なんだか凄い気迫の映画を観たなぁ…
    ラストは息が止まるくらいに釘付けになった
    音楽の世界ってのは厳しくて難しい世界なんだなぁ〜と思った反面、音を楽しむと書いて音楽なのに 楽しむまでが難しいのかね〜?どんな世界でも一流になるのにはそれこそ血の滲むような努力が必要なんだろうけど、観ていて胸が苦しくなる

    ドラムの音は元々好きだから、演奏部分はすごく良かったなと思う ただ、教授の罵倒があまりに酷くて観ていてストレスがかかるな…
    夢中になるにはなったんだけど、あまり好きなタイプの映画ではなかった でも評価が高いのはよくわかるし、心には残る映画だな〜

  • 一流のドラマーを目指す音学生のアンドリューの前に現れた教授、フレッチャー。二人の強烈なレッスンとそれぞれの思惑を描いたドラマです。この作品の魅力のは何と言ってもジャズ・バンドの迫力有る演奏とJ・K ・シモンズの激しい学生に浴びせる罵声に有ると思います。ですから、正しい音響の字幕観賞を薦めます。

    私がこの作品に期待していたのは今まで、脇役としての演技しか見ていなかったJ・K・シモンズの魅力を再確認する事が楽しみだったのです。期待していた事には十分応えてくれたと思います

    本当にあのドラム音には痺れました。特にラスト・シーンの“キャラバン”には酔いしれました。深夜鑑賞でしたので7.1CHのヘッドホンで迫力ある演奏を満喫しました。

    • sasaiyoshikiさん
      J・K・シモンズすごかったですね!
      ヘッドフォンでの視聴迫力ありそうだw
      J・K・シモンズすごかったですね!
      ヘッドフォンでの視聴迫力ありそうだw
      2016/06/28
  • スポ根劇画ノリの音楽映画。
    ありそうでなかった映画。その目の付け所が良いですね。

    全米一の音楽大学に入った主人公は、家族の中では過少評価されていて忸怩たる思いがある。そんな中、学校では鬼教官に気に入られ、しごかれていくが。。。

    映画の内容は泥臭く、脂っこいが、映像がスタイリッシュなので、作品自体がクールになっている。

    この映画を観て思い出したのはブラックスワン。
    ・芸術をストイックに究める中で、狂気の世界へ突入する。
    ・熾烈なライバル争いの中で、人間性が損なわれていく。
    が共通点だろう。

    ブラックスワンは女の世界だし、もう少し性的な部分も強かったが、こちらの映画は男臭い。
    この映画の持ち味は、純粋にアスリート的な部分(手から血がしたたり落ちまくる)と、教官のサディスティックな不条理さ、じめっとした狂気がうまくブレンドされている事。

    そして、ドラムのリズム自体が主役になり、物語を駆り立てる。

    教官は、実際に演奏となると我を忘れて、メンバーをこき下ろしてしまう。本来場をコントロールすべき指揮者が、感情的になってしまうのは、音楽芸術において有効なのだろうか?
    音楽はどこかで自分を客観的に観れるようなクールさと熱情を同時にもっていないとプロフェッショナルに表現できないのではないだろうか。
    と一方で違和感を感じた。

    お話しを面白くするためには有効な演出(ホラーの効果)だと思うのだが、やはり音楽指導者としては、圧倒的に欠けてしまっている何か、が際立った上で、終了する部分がなんだか引っかかる部分だった。

  • 熱くなった! それも発散するような熱ではなく、内側に籠ってくるような独特の熱。
    一晩おいて頭を冷やして考えるに。
    ぬるま湯的ストーリーに慣れてきた私たちは、この種のストーリーで自然と予定調和を期待してしまう。
    やれ師弟愛だの。やれバンドメンバーとの絆だの。
    この映画ではこういう調和への道を一本ずつグキグキ曲げて、期待する方向へ進ませない。
    そういう観客対作り手という構図で、やられる。
    そもそもニーマンもフレッチャーも(一般的にいう)人間的な生き方をしていない。
    友達も恋人も切り捨てる。平和な生活も切り捨てる。
    凄まじい演奏をしたミュージシャンのすべてが悲劇的な生き方をしたわけではないのに、悲劇的に死んだミュージシャンはごく一部なのに、そこを顛倒させて最高の音楽のためには人並みの幸せに浸っては駄目なのだと思い込む。
    これはありがちな勘違いだが、ここまで追い込まなければ到達しづらい地点があるというのも確か。
    こうしてアタッチメントを切り捨てデタッチメントの方向に自分を追い込む。
    もはや周囲などどうでもいい境地へ。
    これってバンドメンバーとしてはだめだよね。
    しかし映像はどんどん主観的になっていき、もはや解脱や法悦やドラッグ効果のインナートリップに近いのでは、というところで、落ち着け落ち着け、という仕草をフレッチャーがしているのに気づく。
    あ、もうラストシーンについて書いているけれど。
    太鼓のテンポを抑えて、緩めて、一方フレッチャーはさあ来い来い来いという手つきを見せ、それについていくようにして、ジャン!と。エンドロールへ。
    ここに師弟があるか。ぎりぎりのところであるかもしれないしないかもしれない。
    お互いに憎み合って音楽で殴り合って高みを目指して、ふたりそれぞれが結局は相手を利用して音楽の神あるいは悪魔に触れんとした。
    たぶんこの法悦は一瞬のことで、明日以降は憎しみが蘇るだろう。
    ニーマンは音楽を辞めるかもしれないし、再開するかもしれない。
    しかし明日はまだ見えない、この一瞬だけは。
    いやもう狂気の果ての幸せという感情を体験させてくれただけでも、最高にありがたい作品だ。

  • 汗だく血まみれになりながら打つドラムが心を打つ。
    単なるドラマの鬼教師とその生徒の成長物語と思ってみると、合ってるけど(笑)違う。
    もっとセリフが少なくても伝わるようなところはあるが、音楽のリズムとシーン展開のテンポが相まって見ごたえばっちり。

    最後のステージは必見。
    アートは狂気の先にあるのかも。
    そこまで行くいざこざは色々あるけども、その境地に入れば、全く相反していたものが同じ景色を感じるのかも。

    面白かった。

    長編化を勝ち取った執念の短編ムービー付き(主人公の学生がちゃうやつ)

  • 一流芸術家に一般常識なんて要らない。日常を犠牲にし、恋人も家族も友情も捨て、交通事故に巻き込まれ血を流しても本番を優先する。芸術的才能とは狂気と紙一重だ。

    音楽界での成功を夢見て、鬼コーチの学校に入学したドラマーの青年。コーチの指導は人格否定攻撃の連続。そして、才能なき者を容赦なく切り捨てる。それでも青年は諦めない。コーチに認められ、音楽界で認められる一心で日常のすべてをドラムに打ち込む。

    そんな狂人と狂人の師弟関係はラストの大演奏で完結する。このシーンの音楽的な迫力はもちろん、互いを理解し得た師弟の表情を観るためだけにこの作品はある。

    そして、大演奏は何の余韻も残さず、唐突に終演をむかえる。「え、これで、終わり?」と誰もが思うが、しばらく考えると、これ以外の終わり方はありえないと思う。彼ら2人に観衆の拍手も要らないし、その後の2人の関係がどうなるかなんてこともどうでもいい。芸術という閉ざされた世界で必要なのは才能だけなのだから。

  • 不穏さがずうっと続く。
    一見、カタルシスを迎えているようなラストもなんだかすっきりとしない。

    しかしなぜだかそれがいい。
    その静かな核融合が、いつか爆発することが想像できるから。
    そして生まれるのが音楽なのだ。

  • 師弟愛というよりは師弟憎・・・でも間違いなく師弟。
    最後は鳥肌級にすごかったです。

  • アンドリュー・ニーマンは、19歳のジャズ・ドラマーである。若くして才能に恵まれるニーマンは、バディ・リッチのような「偉大な」ドラマーになることに憧れ、アメリカで最高の音楽学校、シェイファー音楽学校へと進学していた。
    壮大ながらも獏とした夢を抱えながら、日々孤独に練習に打ち込むニーマン。ティーン・エイジャーらしく恋愛にも憧れ、父と「男の争い」を観に行った映画館で働いている大学生のニコルに恋愛感情を抱きながらも声をかけられずにいた。
    そんなある日、シェイファー音楽学校の中でも最高の指揮者として名高いテレンス・フレッチャーが彼の学ぶ初等教室へやってくる。ニーマンの卓越した演奏はフレッチャーの目を引き、彼はシェイファーの最高峰であるフレッチャーのスタジオ・バンドに招かれる事になった。同時に映画館で働いてるニコルとも交際を初め、有頂天になるニーマン。しかし練習初日、スタジオに現れたニーマンは、フレッチャーの登場とともに異様な緊張感に包まれるメンバーたちの様子に違和感を覚える。開始早々、怒声を浴びせられ、泣きながら退場させられるバンドメンバーを目にして度肝を抜かれるニーマン。そんなニーマンをなだめるように、フレッチャーは温かく迎え入れるような態度をとったが、それはフェイクだった。フレッチャーはバンドのセッションに関しては徹底した完璧主義者であり、度を越した苛烈な指導を容赦なくバンドメンバーに対して行っていたのである。初日からニーマンもその対象となった。ハンク・レヴィの『Whiplash』を練習している最中に、テンポがずれているという理由で椅子を投げつけられ、さらには、バンドメンバーの目の前で屈辱的な言葉を浴びせられながら、頬を殴りつけられる。彼は泣きながらうつむくほかになかった。理不尽な暴力を受けながらも、フレッチャーを見返そうと再起するニーマン。しかし、文字通り血の滲むような特訓を繰り返しながらも、ニーマンは補欠としてコアドラマーの楽譜めくりの扱いしか与えられなかった。しかしあるとき、大事な舞台でコア・ドラマーの楽譜をなくしてしまったニーマンは、記憶を便りに自分が「Whiplash」を演奏することとなる。演奏は完璧で、フレッチャーはニーマンをコア・ドラマーに格上げする。これを誇りに思うニーマンをよそに、彼の親戚たちは、俗物的な価値観からニーマンのドラムへの情熱を軽視する。これは、ますますニーマンを世俗的な考えから遠のかせ、ドラムへの病的なまでの執着へと駆り立てていくことになった。 しかしフレッチャーは、明らかにニーマンのほうが優れているにもかかわらず、初等教室でニーマンと一緒に学んでいたドラマー、ライアンを褒める。到底納得出来ず、思わずフレッチャーに食ってかかるニーマン。偉大なドラマーになることへの強い執着と猛特訓によって培われたニーマンの自負心は、かつて彼が震え上がったフレッチャーの逆鱗すら無視できるほどのものになっていたのであった。 利用できる全ての時間を練習に費やし、更には時間の無駄になるという理由でニコルと別れることになった。「どのみちニコルとは別れることになるはずだ。偉大なドラマーになるという夢を叶えようとすることは、恋愛に割ける時間も少なくせざるを得ないからだ。ニコルはそんな僕に愛想をつかすだろう。」と考えたのである。
    来る重要なコンペティションを前に、指導に現れたフレッチャーは昔の教え子だったショーン・ケイシーが自動車事故で亡くなったことをバンドのメンバーに伝える。ショーンを悼んで涙を流すフレッチャーに衝撃を受けるニーマン。しかし、これに続く指導は苛烈なものとなった。ドラマー三名に極端に早いテンポでのドラム演奏を要求するフレッチャー。彼は、自分を納得させることができる演奏が聴けるまで三名に演奏を続けさせることを宣言する。数時間にも及ぶ演奏の末、ドラムセットはドラマー達の手から流れ落ちる血で血まみれになるが、ニーマンただ一人がこれを最後まで演奏してのける。フレッチャーは最終的にニーマンの腕前を認めざるを得なくなる。
    そうして迎えたコンペティション当日。会場へ向かう途中、バスが故障してしまい、レンタカーを借りるが遅刻をしてしまった上にドラムのスティックをレンタカーのお店に忘れたのでもう一度戻ってしまった。しかし会場へ戻る最中にトラックと事故にあい、車が横転し、自身も血まみれになるほどの大事故に巻き込まれる。執念で開演直前に会場に辿り着いたニーマンは、そのまま舞台で演奏することを選ぶ。
    しかし、怪我の影響で満足な演奏は出来ず、ついにはスティックを落としてしまい、演奏は惨憺たる結果に終わる。ニーマンの必死の体を見ながらも、冷酷に「お前は終わりだ」と宣言するフレッチャー。この言葉に激昂したニーマンはフレッチャーに殴りかかり、会場から退去させられる。
    この騒動を受けて、ニーマンはシェイファー音楽学校を退学になる。ニーマンの父親ジムはショーン・ケイシーの代理人を務める弁護士と接触する。弁護士は二人に、ケイシーは事故で死んだのではなく、自殺したのだと明かす。ケイシーはフレッチャーの指導を受けるようになってから、鬱に悩まされるようになったのだという。
    弁護士は、ケイシーの両親はフレッチャーを直接訴えることは出来ないが、ニーマンの協力でフレッチャーを辞めさせる事はできると彼に持ちかける。
    フレッチャーを辞めさせることで、二度と彼の体罰に遭う生徒が現れないようにできるのだ、と。自身の受けていた仕打ちにもかかわらず、フレッチャーの資質を認めていたことから、当初はこれを是としなかったニーマンだが、自身のドラムへの情熱が消えてしまったことで、やがて自暴自棄になり、これを呑むことになる。
    フレッチャーから受けた体罰について匿名で証言し、フレッチャーは音楽学校を辞めさせられる。
    数か月後の夏、ニューヨークでカフェの店員として働きはじめたニーマンは、静かで幸福でありながらもどこか満ち足りない毎日を送っていた。
    そんな中、フレッチャーがあるジャズクラブでピアノの演奏者として出演しているのを偶然見つける。観客の中にニーマンを見つけたフレッチャーは彼を引き止め、酒を飲みながら二人は話をする。
    初めてかつての自分の振舞を弁明するフレッチャー。「自分が学生を殴るのは、彼らにジャズ界の伝説になってほしいと願うからだ。自分の仕事はバンドを前に腕を振ることではない。偉大なミュージシャンを育てることだ。かつて、ヘマをやらかしたチャーリー・パーカーに、ジョー・ジョーンズはシンバルを投げつけた。しかし、それがパーカーの克己心に火をつけ、彼を偉大にした。自分のやったことに後悔はない。」と。「よくやった」と生ぬるく褒めそやすことで、第二のチャーリー・パーカーの才能を殺すことこそが悲劇だ、と。
    やがて、フレッチャーは来るJVC音楽祭でバンドの指揮を執ること、曲目はシェイファー時代のレパートリーと同様であること、現在のバンドのドラマーの質が十分ではないことをニーマンに告げ、彼に代役を務めることを持ちかける。
    初めて見せるフレッチャーの率直さに感銘を受けたこともあり、ニーマンはドラムへの情熱を取り戻し、これを受けることにするのだった。
    ニーマンはニコルをこの音楽祭に招待するが、彼女はすでに他の彼氏を作っていたためそれを断った。そして、JVC音楽祭当日を迎える。
    スカウトマン達が集まる公演でフレッチャーはニーマンにだけ嘘の演目(ウィップラッシュ / Whiplash)を与え彼の知らない曲(アップスウィンギン / Upswingin')を演奏させ、自らの公演を失敗させる事によってニーマンに復讐する。
    ニーマンの匿名での証言により、フレッチャーはシェイファー音楽学校を首にされたのを知っていたのである。
    それに対してニーマンは「次はスローな演目を」という曲紹介を遮りアグレッシブな演奏を始め、キャラバンをフレッチャーを含めた他のバンドマンが演奏させざるを得ない状況を作り出した。
    凄まじいドラムの独奏をするニーマンに対して、フレッチャーの指揮も従わざるを得ないようになる。凄まじいニーマンとフレッチャーの「セッション」の果てに見えたものとは?
    冒頭からニーマンとフレッチャー教授の狂気じみた師弟のぶつかり合いが始まり、限界を越えるための練習の果てに見えるフレッチャー教授はモラハラ教授かそれとも真剣に音楽に向き合う教授なのかが見えるラストのライブは衝撃的。最初のライブの際の楽譜紛失、ドラムの主奏者争い、フレッチャーの教え子が鬱を患っていたこと、ライブに待っていたフレッチャーの罠、そして罠を破るフレッチャーや他のプレイヤーを巻き込むニーマンの壮絶なプレイ、まさに壮絶なセッションそのものの傑作映画。

  • 学生バンドのドラムとして経験者の端くれの端くれとしては
    映画ファンの端くれの端くれとしては
    これは見ないとお話にならないと劇場へ行った。

    シンプルに面白かった。
    カッコ良さ、緊張感、エンディングのインパクトがあって
    評価が高いのも頷けた。

    フレッチャー先生のたたずまいはカッコいいでしょ。
    掛け声と指の動きにしびれた。
    「here we go,3,4」

    学生の萎縮した姿からしてもこれは駆け引きじゃない
    先生という立場でどんどん生徒を追い込む。
    この緊張感は先生による生徒への脅迫だ。

    結末のインパクト。
    是非、何の情報も入れずに見ていただきたい。
    激しく下ってからの昇天度合いがたまらないでしょう。

    私は幸か不幸かドラム経験者なので、リアルじゃない部分も
    見えてしまったのがちょっと雑音になってしまいました。そんなこともなければ普通にスリルあふれる作品だと思います。

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