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感想・レビュー・書評
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コンプライアンスは難しくない。常識的であることだ。
その通り。この言葉の重さを感じます。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
金融業界が大きく動いた1990年代、現在では考えられないような飛ばしなどの不正があった時代。
話には聞いていてもイメージできていなかったことをよく理解できた一冊。
時を置いてまた読み返したい。
実名で当時のことを語っていること、その実在の方々・山一の方々の、社内調査への強い思い、執念を感じ、働くこととは、会社とは、ということも考えさせられた。
どんな仕事にも一生懸命、真っ直ぐに取り組むことで、報われるんだ、頑張らないといけない。 -
1997年、山一證券は自主廃業を決定し、2600億円の簿外債務を隠していたことを発表する。その発表会見は野澤社長が号泣したことで有名だ。世間は人前で無様な姿をさらす人間がトップだった会社に愛想を尽かしたが、真相はそんな単純なものではなかった。「号泣社長」も被害者のひとりであり、前の経営者たちから貧乏くじを押し付けられたのだった。
しかし、もっと過酷で自己犠牲を強いられた社員たちがいた。山一證券がなぜ不正に走り、廃業となった理由と責任を追う調査チームのメンバーだ。彼らは再就職を顧みず、満足な給与も与えられない中、かつての上司を追求し、勤めていた会社の暗部を暴きだす。著者は調査チームを敗戦軍の最後尾を受け持つ意味で「しんがり」と名づけ、彼らの活躍と苦労、そして山一證券亡き後の人生を追う。
この話が池井戸潤原作なら、一発大逆転があるだろうが、「しんがり」の奮闘むなしく、山一證券は消滅し、彼らのその後も転職を繰り返す人生だった。その意味では、もともと沈む船から逃げそびれた不器用な人間たちだったかもしれない。しかし、「しんがり」だったことの誇りと友情は彼らの生涯の財産だ。山一に居たことも「しんがり」に居たことも、全く後悔していないと断言する彼らには人生の満足度は人それぞれだということを教えてもらった。
目の前にある大きな壁を逃げずに、よじ登って観た景色は最高の景色なんだろう。 -
1997年11月23日、名古屋の自宅で山一證券野澤社長の「記者会見」を見た。号泣だった。その日は、ヤクルトスワローズ名古屋ファンクラブの日本一祝賀会だったが、そんなことも忘れてしまった。
今さら、紹介するまでもない。本書は山一證券の「自主廃業」記者会見後に苦しみながらも、簿外債務である2600億円の社内調査委員会を引き受けた嘉本常務とそのメンバーの数ヶ月を中心に描いた企業ノンフィクションの大傑作。
本書を読むと、山一證券の自主廃業が「突然死」であったことが理解できる。会社がいとも簡単に消滅してしまうのかということに衝撃を受けた。さらに、2600億円の簿外債務については、直前まで知らず27日の日経朝刊のスクープで知った社員が、経営陣も含めて殆どだった。海外子会社を利用した巧妙な隠しだが、社内調査委員会のメンバーは、職探しへの焦りの中で懸命に調査を進めてゆく。
著者が「しんがり」と呼ぶ調査委員会メンバーの動機は様々。常務の嘉本のように貧乏クジを押し付けられた人、使命感あるいは会社への恨みから調査に加わった人。個人的には、嘉本の次の一言が印象的。
「人が変死したら司法解剖するだろう 。山一の廃業も変死のようなものだよ 。だから解剖して 、株主やら社員やらお客さんに説明する責任があるんやな 」。
なるほど、山一證券は突然の変死であった。今後、第二の変死が起きぬよう司法解剖する必要がある。
本書が描くのは、会社消滅という重いテーマ。しかし、山一證券の殆どの社員は職にありつけた。
「だから 、彼らの採用は当たり前のことだ 。会社が潰れても見ている人はどこかにいてくれるんじゃ 。心配ないよ 。何とかなるもんさ 」。
そう、たとえ危機に面しても我々は「何とかなる」ことを信じなければならない。
寝不足必至の良質のノンフィクション。文句無しの★5つ。