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- / ISBN・EAN: 4907953067066
感想・レビュー・書評
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井上光晴・妻・瀬戸内寂聴の関係を、娘さんである井上荒野が書いた小説「あちらにいる鬼」を読み、フォローしている方の感想からこのドキュメンタリーがあることを知りました。
ようやく観られました。
件の小説を読んでいるときも、このドキュメンタリーでも、井上光晴のどこが良かったんだろう…特に男性として、という思いが拭えなかったのですが、井上光晴について熱っぽく艶っぽく語るお姉様方を見ていて、人たらしってこういうことかとしみじみしました。
恐らくお姉様方の中でも最高齢の方も、「私の美しさに気付いてくれたのは彼だけ」みたいに語ってて、えっ横に夫がいる!とびっくりしました。おじいちゃん隣で普通に蜜柑食べてた。。
怖いな。。
癌が見付かって手術して、でも再発して今度は手術しても効くとは思えませんみたいに言われて、抗癌剤治療に切り替えて。それでもギラギラしててあまり精神的に衰えないのに執念を感じました。見える所に出してないだけかもだけど。嘘つきみっちゃんだし。
お家に寂聴さんいらして、丁度?往診の医師がきて往診受けて、医師が帰った後にダメ出ししてたの、作家の業という感じがしました。
「自分のための表現と、人のための表現とある。それが同時に統一されないと説得にならない」「だいたい奇跡なんてものはないんですよ世の中に」
↑この往診のシーン、寂聴さんすごい顔して見てて、「本当にこの人死ぬんだ」っていうショックがありありと感じられました。
それに対して奥様は日常の一部という平然さがあって。夫婦だから同志みたいな関係で、これはやっぱり寂聴さんとか他のお姉様方は太刀打ち出来ないだろうなと思いました。
奥様のインタビューが無かったのも、他の女たちとわたしは違う所にいるという強い気持ちを感じます。
寂聴さんの弔辞がかなり怖いけどすごくらしくて。性的関係無かったって平然と入れてくる辺り。。
井上光晴との関係を断つ為に出家したっていうのは本当っぽいなぁ。。
でもここまでモテてたの本当にわからん。。
誰か。。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この作品は平成元年、文学伝習所を中心にエネルギッシュな活動を続ける戦後文学の旗手、井上光晴(「地の群れ」等)の生き様を10年がかりで撮り溜めていく構想で行われた。しかし、撮影準備に入った直後、井上光晴にS字結腸癌が発覚する。撮影は手術の成功後、完全に文学活動に復帰した12月からスタートした。
作家・井上光晴に向けられたカメラは一人の作家の軌跡をとらえるとともに、「うそつきミッチャン」と呼ばれるほどに自らを虚構の渦に巻き込んできた井上の虚実皮膜の人生を浮かび上がらせる。証言者たちが笑いこけているほどの「うそつきミッチャン」の嘘はもはや芸術の域に達している。
瀬戸内寂聴、埴谷雄高ら文壇の友によって明らかにされる真実、自作年譜の嘘、母親と初恋の少女の隠された真実、女性たちによって語られる虚々実々の素顔。映画は虚構と真実の迷宮へと観る者を誘い込む。
鬼才原一男が、作家井上光晴に肉迫したドキュメンタリー映画。
井上光晴は、「差別問題」「文壇への批判」などをテーマに描いた小説家。
井上は、小説家を育てる「文学伝習所」の活動をエネルギッシュにしていた。井上は、かなりサービス精神旺盛な人で、文学伝習所の宴会で女装して踊って喝采を誘うところがあった。
そんな井上は、文学伝習所に集まる井上崇拝者のおばさまたちを次々に口説き落とすモテ男でもある。
そんな井上は、自作の年譜を発表しているが、ことごとく事実と異なる。
例えば、井上の自作の年譜では「両親の離婚後、父親に捨てられて、祖父と共に極貧生活していた」とあるけど、実際は「炭鉱で働いている父親の下で何不自由なく育った」。
「日本で最初の共産党を作った」「占い師として食っていた時期がある」などの逸話も、事実と異なる。
自作の年譜すら作品として作り込んでいる井上の「全身小説家」ぶりは、サービス精神旺盛なだけでなく、「母親に捨てられ、再婚した母親に井上が会いに行ったが、玄関先で冷たく追い返された」という忌まわしい記憶が起因した、「自らの人生をフィクションとして再構築しなければ生きられない」業によるものだろう。
井上光晴の虚実入り混じる生涯を追う中で見えるのは、事実とフィクションの間にある危うい境い目で、記憶すら欠落して脱落してしまう自らの人生の体験の記憶の危うさ。
作家と作品の関係に鋭く切り込んだドキュメンタリー映画。 -
【MEMO】
・同氏に愛された女性のみなさんが穏やかな気持ちで同氏のことを振り返り語るシーンが実に印象的
・心とからだ 全身全霊で生き抜くということ
それを教えられたような気がする -
映画の鑑賞前にはできるだけ予習をしないのが主義であるが、今回は自身の読書量が少ないことがそれを達成してくれたようだった。原一男監督が奥崎謙三という強烈な被写体をカメラに収めたのが「ゆきゆきて、神軍」(1987) であり、その次の被写体としてロックオンしたのがこの井上光晴という小説家であったという事実が多くの説明を省略してくれる。
後に8年をかけてまとめあげた作品「ニッポン国VS泉南石綿村」(2018) の作品紹介の場で「昭和の時代にはスーパーヒーローがあちこちにいた。ただ平成の時代に入ってそう形容すべき人たちはすっかり影を潜めてしまった。だからもう撮るべき被写体はなくなったと戦意喪失したりしていたなか本作品のオファーをいただいた。スーパーヒーローではなくごく普通の人を撮って作品に仕上がるものなのか、悩みながら撮った作品です。」と発言してくれたわけだが、奥崎謙三なみのヒーローとはどういった人なのだろううという興味だけは抱いて作品を鑑賞した。その結果は…
なるほどスーパーヒーローだ。
彼の生い立ちをたどる際にぶつかる虚構の壁のあれこれは、寺山修司を追いかけるドキュメンタリー「あしたはどっちだ、寺山修司」(2017) を鑑賞していたときの足跡をたどるかのようだった。作品を世に送り出す立場の人というのは自身の生い立ちまでをも一旦否定してみせ、破壊した上でゼロから生み出せる力のある人のことを言うのだろうなと改めて感じた次第。
さて、晴れて彼の作品に目が通せる。
併せて瀬戸内寂聴にも手が伸ばせるな。ほんにありがたきこと。 -
言わずと知れた名作
後ろめたさの核心を隠すための嘘
弱さを隠すための力強い嘘
それが、肥大化し、小説という世界に発展した。
単なる戯言癖を超え、その姿は美しくもあり、その空虚な寂しさは人を引き込む。
まさしく全身小説家だ。 -
「地の群れ」、「虚構のクレーン」などの作家 井上光晴を原一男が撮ったドキュメンタリー。
満州に生まれ、4歳で父が行方知れずとなり佐世保に帰国した井上は独学で進学、作家への道を歩むのだった。
全国各地で文学伝習所を開くなど、文学活動を続けてきた井上だが、S字結腸癌がみつかる。
埴谷雄高、瀬戸内寂聴ら交友のあった作家や家族などの証言からも文学者 井上光晴の実像に迫る。
自分自身ですら小説作品だった井上光晴という作家、
そして、カメラが当初意図したものと違うものをとらえていくこともあるドキュメンタリーの魅力、
存分に楽しめました。
ご存命の埴谷雄高さん見れたのも嬉しかったです。 -
好きな映画のひとつだったんだけど、見直してみるとそうでもなかったかも。僕は井上光晴さんのことをよく知らないし、作家もひとつの職業だという風に思っているので、周りから尊敬されている姿を見ても、あまり乗れなかった気がする。しかし女性にモテたのは羨まし過ぎる!