読書について (光文社古典新訳文庫) [Kindle]

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制作 : 鈴木 芳子 
  • 光文社 (2013年5月20日発売)
  • Amazon.co.jp ・電子書籍 (101ページ)

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読書について (光文社古典新訳文庫)の感想・レビュー・書評

  • ショーペンハウエルの著書『余録と補遺』から「自分の頭で考える」「著述と文体について」「読書について」の三篇を収録。

    「ひっきりなしに次々と本を読み、後から考えずにいると、せっかく読んだものもしっかり根を下ろさず、ほとんどが失われてしまう」
    思わずドキッとさせられる。
    その後も本の書き手の能力の判断の仕方、新刊書について、文体について、など鋭く論じる。

    また、文法の間違いに苦言を呈し、ボキャブラリーの貧困を嘆くくだりでは、いつの時代も変わらないのだなあ、と思う。
    そればかりか、昨今、ワンフレーズの政治やSNSによる短く断片的なやり取りなどが問題視されているようだが、この19世紀半ばに刊行された本の次の一節はどうだろう。
    「会話でも、たいていの人の考えは刻みワラのように短く断片的で、一貫した脈絡ある会話をつむぐことができない…」
    これぞ古典、さすがに時代を超えて読み継がれるだけはある。もっと古典を読もう。

    そういえば本書にはこんな一節もあった。
    「人々はあらゆる時代の最良の書を読むかわりに、年がら年じゅう最新刊ばかり読み……したがって私たちが本を読む場合、もっとも大切なのは、読まずにすますコツだ。いつの時代も大衆に大受けする本には、だからこそ、手を出さないのがコツである」
    うーむ、言葉がない……

  • 読みきれないほどの本よりほどほどの冊数に押さえられた良著を自分の頭で考えられるようにしたほうがいい。自分の地肉になるのは反芻して、じっくり考えた本だけ。
    劣化コピーの新刊読むな。定評ある古典読め。
    凡人は言葉を改造するな。正しく使え。
    読書が書く修行になる唯一の場合は私たち自身の天賦の才の使い方を学ぶこと(天賦の才の存在を前提にしている)

  • 本を読んだらその内容について思案すること。そうしないと記憶に残らないし、鵜呑みでは著者に操られることになる。

  • 19世紀の天才毒舌ドイツ人が、当時のドイツ出版業界をとにかくこき下ろしつつ、本の読み方にも触れている本です。…なんてふざけた表現をしてみたものの、著者はゲーテにも高く評価された天才哲学者で、これは失礼しました…という感じです。この辺りは解説に詳しいので、本編より先に読むのもアリかもしれません。
    構成としては、短編が3篇あって、「著述と文体について」というどう書くべきかの篇が一番長いです。

    しかし文体は直球でガチギレしていて、なんかもう学校の先生にこういうタイプいたなぁと。しかもダメな作家の具体名を出しまくりで批判していて、何がそこまで許せなかったのか、と思ってしまいます。
    著者の怒りが向かう先は商業主義の「売文行為」で、これを手酷く批判しています。それ自体は理解できるのですが、著者のこき下ろし表現の多様さはさすがで、見習いたいくらいです。しかし「へぼ作家や知性なき編纂者」「ほとんどの本は悪書」なんて言って、ほとんど出版業界にケンカを売っているレベルなのでは。
    匿名で文章を批評するな、というくだりで「『われわれ』なんて一人称を使うな!『こずるい卑怯者の私』『覆面をした無能な私』だろう!」と言うのはまぁもう痛快のレベルにまで達している気がします。

    「読書について」での著者の多読主義批判は、「しょーもない現代(19世紀ドイツ)の商業主義の売文ばっか読んでも仕方ないんだよ。名著を繰り返し読め!」というコトだと思うので、むちゃくちゃ多読中の私ですが、いったん気にしないことにしようかと思います。今は自分なりの名著を探し出す期間かなと。

    しかし、私のしょーもないレビューは、きっとショーペンハウアー先生にかかったら「知性の欠片もない」とか言われるんだろうなぁ。。

  • 手厳しいけどそのとおり。
    さてそれでもなお行う読書を、自分は何と考えるか。

    読書中、本から離れて自らに引き寄せた思考が進んでいくことを、最近それも良しとする。

  • 「本を読もう」と思いたってまもなく5年になろうとしている。それ以来、読書中心の生活で今まで1825冊の本を読んだ。

    分かったことは「世の中にはなんともくだらない本が多いこと」と「大切なのは多読でなく自分の頭で考えること」である。

    我々の日常は忙しい。くだらない本に没頭するのは時間を無駄に過ごしていることになる。世の中にくだらない本が多いのは何故なのか。はっきり言って出版社の商業主義のためである。それも商売だから仕方ないのだが、我々はけっして流行本などを追っかけてはならない。やはり読むべきは古今東西の名作と言われる本を読むべきなのである。

    量より質というのもその通りである。例えば、芥川龍之介の作品などは簡単に読みすすめてしまうのだが、その作品を本当に理解するためには人間洞察力が必要となる。そのためには作品について自分の頭で考えて、考えて、考え抜くしかない。

    本をいっぱい読んだとインテリ気取りだった我が身を反省させられた耳の痛い一冊であった。

    【このひと言】
    〇読書とは自分の頭ではなく、他人の頭で考えること
    〇多読に走ると、自分の頭で考える力が失われてゆく

  • 「人生を読書についやし、本から知識をくみとった人は、たくさんの旅行案内書をながめて、その土地に詳しくなった人のようなものだ。」

    読書を批判している本ではない。
    自分で考えない人を批判しているのだ。

    ショーペンハウエルの思考は誤解されやすく、本をそれほど読まない人に安心感を与える。そもそも本をまったく読まない人はこの本を読まないので、ショーペンハウエルの言葉を使って本を読む人を馬鹿にするのは、本を少しだけ読む人なのだ。

  • 多読は毒である。
    読書とは他人にものを考えてもらうことである。
    この言葉にぐさっときた。
    本は養分にならなければ意味がない。読書において重要なのは、読むことよりも、読後にあれこれと読書体験を吟味することだと、この本は舌鋒鋭く訴えている。

  • 内容については文句無しだが、同じことを何度も言い回しを替えて書いてあり少し冗漫な印象。

  • ひぃーっ!( ;∀;)とにかく心に突き刺さる読書でした…。暇があれば本を読み、わからないことがあればネットで調べる私に、自分の頭で考える習慣はあるんだろうか、、考えてるつもりでもショーペンハウエル先生からしたら「何言うかこのたわけ!」くらいの勢いで怒られそう…(笑)しかし彼の時代に比べると、仕事や付き合いに費やす時間も多いから、悲しいかな私は“少ない読書”のためにも寸暇を惜しんで読まなきゃいけないし、思索しようと思ったら旅行に出るしかないのだ…。読んだものを咀嚼して栄養にするって素敵だな…。

  • かれらの話はとりとめがなく、結局なにを考えているのか、頭をさんざん悩ましても無駄に終わることがよくある。なにしろかれらは何も考えていないのだから。

    不朽の名作であるためには、多くの美点がなければならない。そのすべてを把握し、評価する人はなかなかいないが、それでもつねに、こちらの人物からはこの美点、あちらの人物からはあの美点を認められ、尊重される。

    悪をそしるのは、善に対する義務だからだ。何ひとつ悪とみなさない人間にとって、善もまた存在しないからだ。

    ドイツではようやく言論出版の自由が手に入ったかと思うと、たちまち破廉恥きわまりないほど濫用されている。だが、少なくとも匿名・偽名をすべて禁じて、この濫用に歯止めをかけるべきだ。

    誰にも理解できないように書くことほどたやすいことはなく、これに対して重要な思想を誰にでも理解できるように言い表すことほど、むずかしいことはない。「不可解」は「暗愚」に通じるものがある。ともかく背後に深淵な意味があるかのように煙にまくと、はかり知れずもっともらしく響く。

    ふつうの言葉を用いて、非凡なことを語りなさい。

    読んだものをすべて覚えておきたがるのは、食べたものをみな身体にとどめておきたがるようなものだ。私たちは食物で身体をやしない、読んだ書物で精神をつちかう。

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