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- / ISBN・EAN: 4988013432482
感想・レビュー・書評
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言語学者が認知症になり毎日何かを忘れていく…最後に言語学者はどんな言葉を心に残すのか…
病気を理解することも大切。理解して安心だけでは当事者は報われない。サポート体制をしっかりしないと生活ができない。知って区分することは福祉ではないよね〜 その人にどこまで寄り添えるか…皆深く考えないといけないんだな〜 誰だって病気になりたくないし自分は違うと思い込んでいるだけ。その日がきてからでは遅いから今、福祉を考えないと大変だよ。
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地位も名誉も財産も能力も家族も冥土には持って行けなくて、死ぬときには我が身一つで行くしかない。
仏教の経典「修証義」にそんな一節がある。
生きていると色々なものが増えていって、自然とたくさんのものを背負ってしまうけど、はたして生きるってそういうことなのか?
そんなことを考えました。
著名な言語学者が若年性アルツハイマーになる話。
知識と知性をアイデンティティとして生きてきて、
自分のキャリアに自信と情熱と愛を持っていて、
人生のすべてを賭けてきたものが、徐々に消えていく。
言語学者なのに言葉が出てこないのは苦しい。
プライドも何も無くなってしまう。
仕事もプライドも自信もやりがいも無くして、
唯一残る財産は家族だけになったところで、
遺伝性であることを知らされて、
子供たちに謝るところは辛かった。
「ガンのほうがましだった」
余命だけじゃない。
自尊心はどこまで傷つけられるのか、
それにいつまで耐えなくちゃいけないのか、
耐えなくていいぐらい病気が進行するのはいつなのか、
家族に不名誉な姿をどれだけ晒すのか、
家族は何回失望したら終わりが来るのか。
今のままでも、先へ進んでも希望が無くて
とにかくずっと、本当にずっと苦しかった。
これでもかっていうほどの悲劇。
なのに全編にわたって穏やかな空気が流れているのはなぜなんだろう。
家族の愛情、夫婦の愛情、主人公の希望、そんなのじゃないと思う。
家族や夫婦だって耐えきれなくなるところはあるし、永遠かつ無尽蔵な愛情なんて無い。
主人公だって希望を持ち続けることなんて出来ないし、いずれ希望か失望かすら分からなくなる。
それでも穏やかで暖かい空気があった。
「いずれ忘れる。それでも思い出を作りたい。今日のこの時を大切にしたい。」
私たちは何を求めて生きていくんだろう。
死ぬときには何の価値も無くなるものを
たくさん生み出し背負うために生きているのか。
未来も一歩先もどうなるか分からないけど、
ただ目の前の一歩を丁寧に踏みしめたいと思う。 -
後半、アリスの視点や遠くからの視点である意味視聴者的には救われたかも。これが家族の視点だったら間違いなく辛かった。
夫は妻の介護のためには稼がないといけない。冷たいわけじゃない。
クリステン・スチュワートはとにかく美しかった…。
20181214 -
泣けるシーンなんてないのに、終わったら泣いてしまった。
最初のジュリアンムーアが綺麗すぎて、最後が哀れすぎて。
家族の姿がリアル。
母親の病気をきっかけに、家族の愛を確認する。なんて話でもない。
でも疎まれているわけでもない。みんな母親のことを愛している。だからこそ困惑している。自分の生活が大事で、面倒を押しつけられたくない。俺関係ねーもんって思いたい。そんな自分がうしろめたい。
こんなものだよ。みんな精一杯やっていると思う。 -
☆☆☆☆☆『アリスのままで』
コロンビア大学の言語学者のアリスは、50才にして若年性のアルツハイマー病を患い、大学を辞めざるおえなくなり、家庭のことも思うようにできなくなっていく。自分の記憶がまだらに薄れていく状態から、行動したこと、見たこと、聞いたことを記憶にとどめておくことができないまでのアルツハイマーの進行状況を、アリスとアリスをとり巻く家族のかかわり方で描いている。
映画を観ているときは、アルツハイマーが進行するアリスの言動にドキドキしたり、悲しくなったり、家族のかかわりに安らぎを感じたりしたのだですが、映画を観終わってからというもの、私や妻にアルツハイマーという病のイメージが覆いかぶさってきて不安が拭いきれない状態になりました。
この映画で私の印象に残ったところは娘リディアが、母アリスにアルツハイマーが進行している状況を尋ねる、それにして母アリスが自分の感覚を失われつつある言葉を使って表現するシーンです。
映像や実際に街で見かける患者さんを見て「認知症やアルツハイマーってこういう状態なんだ」と理解はしても、それは所詮他者からのイメージでしかなく、自分の内面で起きていることへの想像はなかなかできないでいましたが、アリスの言葉がその想像を助けてくれて、「アルツハイマーってそういう感覚なんだ」と納得し、想像の記憶のなかにしまいこむことができました。
私たちの多くは、普段、街で人を観て「認知症を患っている」と判断するのはその人の行動、振る舞いを見て違いを感じ、その人の表情を見て確認をしますが、ジュリアン・ムーアはみごとにその表情をアルツハイマーの進行状況に合わせて表現していました。
この映画を観た日の晩にNHKスペシャルの『「介護殺人」当事者の告白』を観ました。映画の美しさにつつまれた認知症から、生身の現実の中での認知症に向き合わさせられましたが、
どちらも、たいせつな感覚だと思っています。
「現実だけではやりきれないから…」
2016/07/04