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感想・レビュー・書評
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⭐︎4.7
高校時代の友人は、もうほぼ没交渉である。彼のような、つるむ仲間はいたようないないような、ただそんなにベストマッチの仲間ではなかったように思う。
ものかたりは重要な事件は起こるのだが解決を見ない。いささか気になるところではあるが、世の中でも起きた事象が全て解決しているわけではないので、まぁ、ギリギリよしとする。
もうすぐ諦念を迎える、歳でこのものかたりは色々考えさせらる。
彼は、命を絶つのだろうか、生きるのだろうか?詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
■ Before(本の選定理由)
何年か前に話題になっていた作品。自分に取っては、新しい村上春樹の本、という印象。
■ 気づき
村上春樹らしくない、という評も多いが、私はこの物語が一番好きだ。たまたま主人公と歳が近いこともあり、身近で、つい自分に重ね、心震えるものがあった。過去を解き明かすことを巡礼と喩えるのも、なんだかとても共感した。
■ Todo
マジか、ここで終わるか!夏目漱石の「こころ」以来の感情。でも結末なんて大切じゃないのかもしれない。 -
村上春樹の本は「治療的」なのだろうと思う。そういう話を誰かに聞いた気もするから、自分で思ったのではなくて、そう聞いたのかもしれない。「ねじまき鳥クロニクル」に続き、「騎士団長殺し」を読み、そしてこの本を読んだ。この本を読んで、今は「1Q84」を呼んでいる最中である。彼の描く世界の「共通点」というのか、言いたいことというのか、そういうのが、なんとなく感じ取れるようになってきたような気がしている。そういえば解剖学者の養老孟司が、たしか、言葉の意味というのは、その周辺を叩くことでしか現れない、というようなことを言っていたような気がする(もうこれも、記憶違いかもしれない)。つまり、辞書でAという言葉を引くと、AとはBのことだ、とか書いてあり、Bを引くとBとはCのことだとか言って、そしてCとはAだみたいにして、結局もとに戻っているようなことがある、と。だから言葉の意味は、その周辺を叩いて、「浮彫」になっていくものだというような意味だったと思う。村上春樹という人がどんな人なのか、どんなことを考えているのか、直接表現する言葉が1つではどうせ足りないわけで、書いたものをたくさん読んでいるうちに、そういうことなのかもしれん、やっとわかってくるのだろうと思う。
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村上さんの作品にしては読み易く、一日もかからず・・で再読。
10年前に既読なのに、いつもながらの性夢、射精そして「単純だ」といいつつ極めて内省的、神経質な男の過去と今を繋ぐトンネル物語・・といった程度にしか記憶になかった。
山本文緒さんの「自転しながら・・」に登場する作品群を追い続けての5作目がこれ。
うーん、こんなに味があったっけ?という意外性と深読みできた喜び。
つくるのボーイズラブ・・今では通常のカテゴリーに入っているだけに、逆に当時は嫌な記憶だったが今読むと新鮮なつくるの内奥の一つ、個性。多感な高校時代の5人の擬共同体(生活しているわけじゃないけど)が突然の瓦解・・そのわけを、リストの巡礼の旅♪に乗せて流れる調べにも似て。
たわたわとした緩やかな群像の心の流れはフィンランド、ヘルシンキの土を踏んだ時にガラッと様相が変わり、空気感が状況を〆ていく。
昼と夜の境が夢幻の境地のようで。。。
エリが語るユズ、それをおもいやるつくる・・5人のうちの3人が小さな繭の中にいるような過去が再現されていく・・とはいえ、つくるは感覚的に共有できておらず
と一見アニメチックな不可思議さ。
村上さんが作る世界とは言え、つくるのが自分の名前に自縄自縛になっているのが見え、彩を持たない=没個性と自らにラベルを貼った・・
沙羅とのこれからを読者の想像に任せるっていう点も村上さんらしく、すべては陽炎 -
長編短編はもちろん、エッセイの類いも含め、活字になっているものは、ほぼ全て読んでいるつもりだけれど、そういうハルキストの一人として、こういう投げっぱなしジャーマンみたいな「ほおり投げ技」を使う事って今まであったかなぁ、という第一印象。
twitterやらfacebookやらが世界感に紛れ込んできたり(まあ、それらを完全に無視して平成の今の世を描写するのもリアリティが薄くなるリスクがあるんだろうけど)レクサスのショールームが出てきたり(レクサス!よりにもよってレクサス!)一人称が「おれ」という主人公によって物語がすすめられたりと、住み慣れた部屋からちょっと新しい土地に引っ越した感のような新鮮な感じはする、まあでも違和感を覚えるというほどでも無い。
やはりそこは確かにいつもの村上ワールドではあった。
例によって何度も何度も読み返していくうちに、最初の印象とは異なる残り方をするのかも知れないけれど、最初の読み通しでは何とも言えぬ「ムム厶・・・」感。
多崎つくる君は、一見、今までの村上作品に登場するステレオタイプ的な主人公、集団の中であまり目立つタイプでは無く若干内向的でかなり人見知り、非常に強固な自分の世界を持っていて少なからず頑固で、タフなアスリート(黙々と一人で走ったり泳いだりするのが好きなタイプの)で清潔でさっぱりした趣味で、女の子には親切だけれど、やや一歩引いたようなスタンスをとるといった、我々にとってはお馴染の男の子のように見えて、実は周りの人物から語られる描写によって「ハンサム」で裕福な家庭の御曹司という事が分かるというのが実に新鮮。
そして珍しく、本人にはその意識無く同性愛傾向に(しかもかなりガチに)傾く展開に、おやおや、と思った。
どうなのかなぁ、やっぱりまだなんともモヤモヤ感が。
いつものように、指折り数えて待っていた長編を、一気に読んで、おお!これぞ村上ワールドだ!という感覚では無い。
ま、決して全くのネガティブな意味ってわけでは無いのだけれどもね。 -
するする読める。また自分のライフステージが変わった時に読みたい本。
2018.4.7 -
人生ベストに入る小説だった
僕にとってこれは「復活と回生」を表す小説だった。
友達が言ってたけど、僕らは逡巡しながらも絶対に前に進んでいる。回って帰ってきた時、一回り大きな円の延長線上にいる、そんなことを考えた。
個人的に、死が非常に近くにあった2023年の夏にこの本を手に取れてよかった。
偶然にもその頃からつくると同じ水泳を趣味に持ったことや、つくるは巡礼(旧友との再会)、僕は創作(作曲との再度の向き合い)を通して「生のトークン」を獲得していったこと、小説内の内容と現実での僕の状態がリンクし、つくるとともに"回生"していく体験があった。
また、これを読んだあとだと、人間関係を「巡礼」の考え方で説明できる、と思う。
完全に調和した友人関係、はあると思う。それが時限付きな部分も。でもつくるやクロが言う通り、それらは失われたのではなく「歴史」になったんだと思う。
僕は純文学として読んだため"犯人探し"に興味を持たなかったが、どうやらこの小説を推理小説として読む見方もあるらしい。「犯人」の説もさまざま見つけた、どれもなるほどと唸るものが多かったし、そう考えることもできるなぁと思った。ただ僕としては色で推理するように読むのではなく、俗←→精神を色で読んでいく方法の方が自然に感じたことと近かった。
その上で、これほど様々に、それにどれも同じくらいの確度で読める小説は見事だなぁと感じた。 -
ストーリーも分かりやすく読みやすい作品。
珍しくミステリーなのかと思いきや、多崎つくるの心の成長を見守る展開。腹をくくるのが人の成長の証なのか。