彼は秘密の女ともだち [DVD]

監督 : フランソワ・オゾン 
出演 : ロマン・デュリス  アナイス・ドゥムースティエ  ラファエル・ペルソナ 
  • ポニーキャニオン
3.43
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感想 : 25
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988013473089

感想・レビュー・書評

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  • 前情報だけを知っていたのですが、予想よりもずっとずっと良い映画でした。オゾン監督でハズレないのかと思うくらいに、彼の映画はいつも、とても映画らしい。

    冒頭、背景を説明するのにほとんどのセリフを介さないやり方がとにかく粋。言葉ですべてを説明するのが小説なら、言葉で余白を説明するのが詩なら、映画は、映像だけで心情と歴史を説明してくれる。素晴らしかったです。

    性自認がテーマの映画ですが、そもそも、性別とはなんなのだろうと何度も考えさせられました。メインの二人は共に「女性」ですが、クレールは髪も巻かないし(おめかしの時は別)お化粧もほとんどせず、普段はパンツスタイルが首元までボタンを閉めたブラウス姿。対してヴァージニアは、スカートにガーターベルト付きのストッキング。ほとんどの場合はブロンド(クレールは赤毛)で、アクセサリーも大ぶりなものを好み(クレールは小ぶりなパールでピアス類はほとんどしない)、パンプスを好んで履いています。
    でも、クレールは服を脱いだときの体の曲線はヴァージニアよりもあって、二人で立つと、骨格的に柔らかく小さくできているのがよく分かる。歩き方はヴァージニアの方が柔らかいにも関わらず。

    「普通」の概念は、時代と共に変化するため、この映画の中で「普通ではない」と認識されている人たちが肩身の狭い思いをしないですむ時代へと変化していっていることを願います。

    オネエだとかオカマだとかゲイだとかホモだとかレズだとか、そんな名前はどうでもよくて、人間(個人)として何が心地よいかが大事なのかな、とか色々考えていました。

    オゾン監督作品は、毎回、エンディングが楽しみなのですが、今回も大いに含んだ終わり方でたくさん想像の余地を残してくれています。クレールの子って?とか、あの二人は今はもしや?とか。
    リュシーには「女性」が必要だから、僕が両方やると言ったダヴィッドは、あのエンディングを見る限り、きっと本当にどちらもまっとうしてきたのだろうなと思います。

    ロマン・デュリスが良い演技をしてくれています。冒頭、チェックのシャツを着ながら踊っている彼を見て吹き出しましたが、どうして彼はあんなに格好良いのに、世界一ダサい男性を演じるのがあんなに上手なのでしょうか。大好きです。
    ダヴィッドが私服でソファに腰掛けるときの座る姿勢が好きでした。テニス場でカーディガンを肩からかけて立つ姿も。ここ数年で、彼はめっきり色っぽくなった気がします。男性らしい色気と女性らしい色気を同じ体に内包して、しかもそれを自由に出し入れできるなんて。まだまだ彼のこれからが楽しみです。

  • 冒頭は花嫁姿をしたローラ(イジルド・ル・ベスコ)が棺桶に横たわっているわりと印象的なシーンで始まる。
    ローラとともに双子のように育ったクレール(アナイス・ドゥムースティエ)は、若くして親友を病気でなくして喪失感に打ちひしがれている。
    かたや、ローラの夫のダヴィッド(ロマン・デュリス)もまた、愛する妻の死をなかなか受け入れられない。

    赤ん坊の娘リュシーが母のローラを求めて泣き叫ぶので、ダヴィッドはほんのはずみで、妻の残していった服を身にまとってみる。妻の匂いがついた服に安堵をおぼえるとともに、ダヴィッドは女装に目覚める。

    ある日クレールは、ダヴィッドが家のなかで女装してリュシーをあやしているところを目撃してしまう。
    こうして偶然秘密を共有してしまった2人の関係は予想もつかぬ方向へ……ダヴィッドはローラになり、クレールはひそかにローラを愛していたことを自覚し……それが本作を引っ張っていくサスペンスだ。

    詳しくは書かない。というのもストーリー展開がわかってしまうと面白くない類の映画だから。同時に、それ以外にあまり楽しむべきところがないという意味でもあるのだけれど。

    いつからかフランソワ・オゾンの映画は意識して遠ざけるようになった。一時期観るたびに面白くなくなっていったから(同じ意味で敬遠している監督は、スティーヴン・ソダーバーグとウディ・アレンの近年の作品)。

    で、たまたま今回、かなり久しぶりに観たのだけど、やっぱりなあ……。
    あまりにクレールとダヴィッドの関係があまりに図式的にすぎた。ダヴィッドは女装が好きだけど異性愛者であるという難しい設定で、そんな彼個人には世界がどのように見えるのか、それを観るのを期待していたのだが、クレールと会えない期間には平気で女装をやめてしまうこともできたりして、ちょっと興ざめだった。
    あと、おおげさで感傷的なオケの曲もぜんぶ要らない。

    思い返せば、こうした図式っぽさは冒頭からすでに表れていた。棺桶に横たわる花嫁。たしかにその瞬間は多少驚くんだけど、それで終わり。

  • 『彼は秘密の女ともだち』 フランソワ・オゾン
    原題は、“新しい女友達”を意味する
    『Une Nouvelle Amie』 Francois Ozon 2014年

    この映画が作られた背景
    2013年5月フランスで同性同士の結婚を認める法律が成立、5月29日この制度を使う最初のカップルの結婚式が行われる。
    しかし保守派やカトリック教会を中心に反対も多く、フランス各地でデモが起き、結婚式の3日前にパリであった反対デモには約15万人が参加し、一部は暴徒化した。

    原作 ルース・レンデルの短編『女ともだち』

    Francois Ozon interview
    「このストーリーを政治的なメッセージを込めて描くべきだと思った。つまり、ハッピーエンドとして主人公に生きるチャンスを与えること。原作は、クレールがダヴィッドことヴィルジニアを殺すところで終わる。でも僕は、ふたりがひかれあい、カップルとして生きられるようにしたかった」

    「ダヴィッドはローラを懐かしむあまり、自身がローラの服を着て女性に変化し、子どもの母親となることで悲しみを克服する。それがきっかけで彼は新しい人生を踏み出す。これは喪失と再生、そして自由についての普遍的なテーマを描いている。社会や家族の枠組みから逃れて、自由に生きることへの希求を」

    Une femme avec toi あなたとともに
    https://youtu.be/piFQ4AZHosI


    過去の男はみんな変わり者 葉巻の灰より軽い連中ばかり ヴェルサイユ宮殿で夜会をしても
    中身のない軽薄な男たち 黄金の砂漠で時を無駄にした 孤独な私はあなたと出会った
    死の世界であなたは生命に輝き 子供のように歌っていた 陽気なイタリア人のよう
    人生には愛とワインがあればいい 生まれて初めてー 身も心も感じたの
    私は女よ ひとりの女 あなたとなら
    あなたは遠い昔の騎士かしら 白馬が大地を駆けめっぐていた 威厳のある顔 曇りのない笑み
    あなたの光に私は導かれた いつまでも愛を交わそう あなたといると時が一瞬で過ぎ去る
    あなたは男 優しさに満ち ふたりの日々を花咲かせる 陽気なイタリア人のよう
    人生には愛とワインがあればいい いつだって初めてと同じ 今の私は身も心も
    女よ 私は女 ひとりの女 あなたとなら

    ダヴィッドは女性としてクレールを愛するようになります。クレールもヴィルジニアに影響され、女らしくお洒落になっていきます、そして自由に生きることを選んだダヴィッド、ヴィルジニアにひかれていきます。

    ラストシーンは解釈が分かれますが、監督の言葉から考えると・・・・・かな。

    この映画を観てよかったと思いました。

  • 気持ちは分からないでもないけども、旦那のその後が一体どうなったのかが気になってしまって、何とも心残りのあるエンディングだった。実際こういうことってありそうな話なだけに、複雑な気分。

  • レンタルで観賞。

    フランス映画だからこそ表現できている良さがある。

    親友の旦那さんが女装する人だったら……。
    当然、初めはショックで受け入れられないと思っていたけれど、亡くなってしまった親友も彼の女装を認めていたと知り、また彼の女装が彼の本心からくる本気のものであり、様になっている様子から、次第に彼女も受け入れていく。

    アイデンティティ。
    己とはいったい、どのような存在であるのか。
    どのようにあれば、己が満足し幸福を得るのか。

    なかなか重いテーマを軽やかに、それでいて楽天的には取り扱わず、ヒトの持つ矛盾やそれを寛容する強さを描き出すヒューマンドラマだった。

  • THE NEW GIRLFRIEND
    2014年 フランス 107分
    監督:フランソワ・オゾン
    出演:ロマン・デュリス/アナイス・ドゥムースティエ/ラファエル・ペルソナ
    http://girlfriend-cinema.com/

    7才のときに出会って「一目惚れ」して以来ずっと親友だったローラとクレール。恋愛、結婚、と経てもずっと親友だった二人だけれど、ローラは子供を産んだあと病気で他界。クレールは残されたローラの赤ん坊と夫ダヴィッドを支えていくことを誓うが、実はダヴィッドには女装の趣味があった・・・。

    冒頭、ローラの葬儀のシーンで始まるので、クレールが走馬灯のように回想する二人の友情の過程、とくに少女時代の二人は子役が可愛かったこともあり無闇に泣けました。ダイジェスト版的な回想シーンにも関わらず、ローラとクレールの関係性がよくわかり、この導入は秀逸。7歳の女の子が手のひらにナイフで傷をつけて互いの血を混ぜ合わせ「永遠」という言葉を口にする。森の木に刻まれた二人の名前(日本でいう相合傘的な)、ローラの髪をとかすクレールの姿など、同性愛的な部分もほのめかしつつ、二人一緒にいて、まず男性から声をかけられるのはいつも華やかなローラのほう、地味めのクレールはローラを愛しながらもコンプレックスも感じていただろうし、いつもローラの真似をするかのように、恋愛も結婚も常にクレールはローラの後を追う。女同士にしかわからない、愛情と嫉妬がごっちゃになった関係。

    そんな親友の夫に女装癖があったと知って、最初は嫌悪感をあらわにしていたクレールが、だんだん失った親友の代替物のように、その夫と「女友達」として付き合い始める経過はとても面白かった。二人でメイクしてショッピングやランチに出かける楽しさ、最愛のローラを失った者同士がその欠落を埋めあう関係としては共感できたし、女性として生きたいと思うダヴィッド=ヴィルジニアの心情もよくわかる。

    ただ問題は、ダヴィッドはあくまで女装家(=女性が好きすぎて自分も女性になりたい)であって、同性愛者ではなく恋愛の対象はあくまで女性であるという点。グザヴィエ・ドランの『わたしはロランス』もそうだったけど、こういうパターン結構あるのかなあ。女装はするが、男が好きなわけではない、一周まわってレズビアン?みたいな。そしてクレールはクレールで、夫との関係は良好ながらも、ローラに同性愛的感情を抱いていたかのように匂わされている。しかしだからといって、ここに恋愛関係が成立するのは・・・(困惑)

    自分に正直に、自由に生きたい、というマイノリティの主張を非難するつもりはない。ダヴィッドもクレールも好きに生きればいいけれど、ただ唯一ひっかかるのは、じゃあクレールの旦那の立場は?という点。亡くなった親友の、女装癖のある夫という特殊状況でごまかされてるけど、クレールのしたことは単純に浮気で、不倫。しかも旦那さん役イケメンだし(笑)、仕事もできて、妻にも優しく、赤ちゃんにも子煩悩で、とりたてて欠点はない。なんの落ち度もないのに妻に裏切られた彼が気の毒で、ラストシーンを安易に喜ぶことができなかった。

    ロマン・デュリスの女装は、お世辞にも美しいとはいえないシロモノでしたが(笑)、だからこそリアリティはあったし、ヴィルジニアというキャラクター自体はとてもキュートでした。

  • クレールは幼い頃からの親友のローラを亡くし、悲しみに暮れていた。残された夫のダヴィッドと生まれて間もない娘を守ると約束したクレールは、二人の様子を見るために家を訪ねる。
    するとそこには、ローラの服を着て娘をあやすダヴィッドの姿があった。ダヴィッドから「女性の服を着たい」と打ち明けられ、驚き戸惑うクレールだったが、やがて彼を「ヴィルジニア」と名づけ、絆を深めていく。
    夫に嘘をつきながら、ヴィルジニアとの密会を繰り返すクレール。
    優雅な立ち居振る舞いにキラキラ輝く瞳で、化粧品やアクセサリー、洋服を選ぶヴィルジニアに影響され、クレール自身も女らしさが増してゆく。
    とある事件を境に、ヴィルジニアが男であることに直面せざるを得なくなったクレールが、最後に選んだ新しい生き方とは──?
    ローラとクレールの強すぎる友情、ローラの死から立ち直れないクレールとローラの夫ダヴィッドがローラを忘れられないがゆえに始まったダヴィッドの女装とクレールがダヴィッドに女性の仕草指南そして秘密の友情、ローラとの絆を感じていたいゆえにクレールとダヴィッドは女同士として友情を深めるけど、ダヴィッドが男であるがゆえの壁が立ち塞がる展開がラブサスペンスタッチでスリリング、女同士のショッピングのシーンではフランスのハイセンスなファッションが満載、クレールの旦那に秘密がバレてからの展開が、同性愛なのかグレーゾーンのダヴィッドとクレールが本性に正直に生きる難しさそのものでした。

  • 面白かった…!!フランソワオゾン版のわたしはロランス的
    クレールが最悪だとおもうんだよな、救えないのに中途半端に手を伸ばすの、それを何度も繰り返すの、もうやめてあげてくれよ〜〜〜てなった、何回も拾っては捨てるのダヴィッドがかわいそうすぎた
    共依存っぽかったけどあのラスト…ジルも捨てられたって解釈でよいのだろか
    途中まで刺激的なあそびに興じておきながら最後の最後で受け入れないって、そんなに傷つけたいのかよ自分勝手すぎる、クレールのことどっこも好きになれなかったー
    そのかわりダヴィッドのことめちゃくちゃ好きだとおもった、本能に抗わないの大事

  • 友情の"好き"と愛情の"好き"の境界線はどこにあるんでしょうね。愛する人を失った同士が、倒錯した世界の中で微妙なバランスをとりながら少しずつ癒されていく前半と、そのバランスが崩れた時に本当に求めていたものは何だったかに気付く後半のコントラストが素晴らしい。最後までどんな結末になるんだろうかとハラハラしながら観てました。クラブのシーンとベッドのシーンでのヴィルジニアの涙は美しいですね。顔はまあ、アレなんだけど。ついでながら主人公の旦那さん、メチャメチャ良い人。

  • まさに奇才。オゾンすごいな、ゾッとしたよ、とくにラスト。クレールのお腹の中の子の父親は誰? ジル(旦那さん)であってほしい……違うの? ダヴィッドなの!? 怖い。。。幻想と現実のと入り乱れかたが狂ってて美しかった。

  • 心がポキっていった時、何かを代償に人は生きる。
    生きるしかなくてね。
    人によってすがるものはさまざまだ。

  • 親友を失った女性と、その親友の夫で、女装嗜好のある男性のお話。
    喪失と再生を描いた物語で、いいシーンもあるのだけど、正直、しっくり来ないというか反発したいところが多くあって、感想が難しい。

    七歳の時に出会って以来、お互いが結婚しても変わらず大親友だったローラの死によって、クレールは鬱々とした日々を送っていた。
    しかし、夫ジルの勧めて、ローラの夫ダヴットと、二人の娘リシューの様子を見に行くことに。
    しかし、そこにいたのは、ローラの服を身にまとって、化粧もカツラもバッチリの女装姿のダヴット。
    ダヴットは、結婚前から女装の趣味があり、それはローラも知っていたこと、ローラが生きていた時はその趣味は止んでいたが、ローラが死んで、その喪失感を慰めるため、そして、リシューのママ役となるために女装を再開したと、クレールに告白する。

    クレールは、成り行きから彼の女装姿にヴィルジニアと名付け、夫には秘密で、女装した彼と二人、時々出かけるようになるのだか…。

    大事な人を失った喪失感を、それがたとえ歪な形でも、癒すために気持ちを共有する人と寄り添ながら克服したいという点はわかります。

    でも、女装したダヴットが痴漢に合うシーンがあるのだけど、「女にみられて嬉しかった」と言ったり。「女になったら、男じゃできなかったこと全部するの」なんて発言があったり。その他色々いちいち気になる点があったり。

    女の私にとっては、女にとって痴漢なんて苦痛だし敵だし、女だからこそ、男に許されていることが女には認められないことや、差別受けてることもそれなりあるんですけどね?という、細々と嫌な感情ばかりが湧いて湧いて…。

    女性である筈のクレールは、ダヴットのそんな発言をあっさりスルーしていたけど、なんだかなあ…。

    落ち込むクレールやダヴットを励まし、二人の歪な仲が露見しても責め立てたりせず、訳あって突然他人の子であるリシューを面倒みる羽目になっても、理解を示してクレールを支え続けてきた、夫ジルがどうなったかわからないあのラストがまたしっくり来なくて…。

    色々と、とってもモヤモヤと見終えた作品です。

  • 親友のローラを亡くしたクレールは
    残されたローラの夫ダビッドと赤ちゃんリュシーを見守ると誓うのだった。
    2人の様子を見にきたクレールは
    女装して娘をあやすダビッドを目撃するのだった。

    セクシャルマイノリティと言ってもLGBTだけじゃないよね。
    ダビッドは女装愛好者→トランスジェンダーかな。
    観ていて男性でも女性でも女装するのは大変だなぁと感じた。
    こういう映画に女装して行ってはと提案された事があるが、ズボラなオイラにゃ女装は無理です(´ー`A;)

  • 2016/3/5 フランス映画だから表現出来る悲しみとユーモア 色彩も描く視点やファションも素敵。
    ロマン.デュリス 髭の濃い細身の男性で(タイピストでも名演だったような…)そのイメージもさることながら、女装してもメイクや身のこなし方が女性より女性らしくて 好感もてました。スタイルも良いから似合ってた(時々 ミックジャガーを彷彿させてしまう感じもあったけど…(笑)
    第2のアランドロンとも言われてた主人公の彼女の彼氏は 何とも情けないイケメンになってしまったけど…あのフランスならではのゲイバーでの歌もメチャ良かったし、自然な自分達の思いや生き方に従って ラストは本当にあるべき姿に落ち着いて ほっこりした。あんな 母親役が2人になる生活スタイルも素敵な気がした。いい映画だった

  • なんというか。女として見られたら嬉しいのに、性自認は男なのか、この人。女性として接してもらいたいくせに、そうしたら貴方はこちらを異性の女として見るのか。理不尽な。
    男女の友情だってあると思いたいんだけどね。

    見終わって思ったことは一つだけ。いい旦那のジルはどうした。

  • 亡くなった親友の旦那に女装癖があって…というお話。
    この手の内容の話はヘタに批判できないし、意識高い系の人たちは好きだろうし、雰囲気も陰鬱で、とてもフランス映画らしい映画でした。

    いわゆる「普通」に生きることだってとても大変なのに、そうでない自分を性的にも受け入れて…という親友の旦那の甘えをどこまで許せるか。
    主人公の旦那(登場する大人のなかで唯一の美形)がとてもかわいそうな視聴中も視聴後も気分が澱む物語でした。

  • 3.0

  • 最後が分からなかったけど、愛する人として結ばれたってことだよね?
    異性愛なのか友情なのか同性愛なのか、亡き人で結ばれただけなのか。
    こういうラブもあるのか知れた作品。

  • 一度は残念ながら脱落しいてしまったのにだけれど、再度

    ただ一言
    旦那さんが不憫でなりません、うん

    まあしかしそこは腐ってもフランス映画
    オサレ☆感あって、パケもいい感じですね、ええ
    なんつーか観終わった感じもだけれど終始漂う雰囲気が本当にザ☆フランス映画☆な感じで…ええ

  • フランス映画っぽい上品さと雰囲気とラブロマンス?

    結局主人公の女性も倒錯していて、ローラに恋してたって事なのですね
    ローラの旦那さんは気の毒に、女装癖冷めた感じだったのに、主人公のせいで再度覚醒しちゃって……あらまあ。

    皆ローラが好きだったんだなあ……

  • おしゃれは心を豊かにするね☆ってハッピーエンドで終わっとけばいいのに、フランス映画はうまくまとめても薄重いというかどんよりした空気がなくならないですね。

    亡くなった親友の夫・ダヴィッドの趣味の女装に付き合っているうちに女子力あがるし、そんな親友の夫と恋にも発展しそうになるという奇怪なストーリー。
    性にかかわらず、人間は自分を肯定してくれるひとを好きになるのだなあと思いました。
    セクシャルマイノリティの方の社会的な立ち位置というか心地よい居場所をなんとか確保してあげないと、これからこういうひとたちはどんどん増えていくはず。

  • 7歳の頃からの親友を病気で失ったクレール。
    落ち込んでいた日々から夫ジルに諭され、残された夫のダヴィッドと赤ん坊の娘リュシーの様子を見に行くと、そこには女装したダヴィッドが。
    最初は理解できないと拒絶するクレールだが、やがてヴァルヴィニアと過ごすことが楽しくなる。
    辞めよう、辞めて、辞められない、二人の関係は複雑になっていくが、拒絶した矢先、ダヴィッドが事故に遭い、昏睡状態に陥った時、彼の自分は女だという事を受け入れる。

    7年後、妊婦のクレールと女性らしく自然なヴァルヴィニアがリュシーを学校まで迎えに行き、手をつないで帰る。

    トランスジェンダー的なお話。妻の死によって女装癖が蘇った男、だけど恋愛対象は女で、自己認識も女、しかも夫のいる妻の友人に恋をしてしまう。
    決して女装は似合ってない。
    ラストの幸せそうな3人は色々な解釈があるだろうけれど、(はっきりは描かれないので)ジルとクレールはうまくいってて、ローラとの約束通りクレールは2人を見守っているんじゃないかと思えた。

    ジル役のラファエル・ペルソナは相変わらずイケメンだった。

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