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- / ISBN・EAN: 4988013511781
感想・レビュー・書評
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☆☆☆☆☆『イマジン』
視覚障害施設に教師として招かれたイアン。彼は自らも盲目でありなから、広い世界観を持っている。それは、彼が自らの“視覚障害”という枷によって狭められた物理的な行動範囲、感覚世界の偏りをひとつひとつ、超えていったからできたことなのだろう。
そこで、身につけたひとつが「反響定位」という方法。自分が発する音で周囲の障害物に反響して自分に返ってくる、時間のズレ、方角、距離から、その障害物の場所を特定する。
そんなイアンは生徒たちに、外の世界の素晴らしさを教え始める。生徒たちは、いままでの小さな世界から少しづつ外の世界を見始め、新たな経験をしていく。そこにはとうぜん小さな事故や、怪我はつきものだ、だが、施設管理責任者たちはそんなイアンの行動を訝しみ、イアンを学校から追放してし
まう。
(生徒たちを安全に管理することが施設管理責任者の使命であることもわかるが、彼等にはもっと大事なものが見えていないことがつらい)
そして、学校を去って行くイアンを追いかけるように、エヴァが追いかけていく。
引きこもりがちで、杖なしで、ひとりで学校の外に出ることなど想像もできないエヴァをつき動かしたのは、イアンと「同じ世界を観ていたい」という想いだったことだろう。
自分の世界観を突破する勇気とはどこから生まれてくるのだろう?
可視化された世界のなかでは、先きを行く人がいて、足が竦むような恐怖や不安を、先に越えた人の姿が勇気づけてくれる。
でも、視力を奪われた者たちが杖もなしに、車の行き交う道路を渡ったり、段差のある歩道を歩いたり、埠頭のへりを歩いたりする勇気というものを私は生まれてこのかた経験してきたことが無い。
雛鳥が巣から飛び立つ姿、生まれてまだ日の浅いガゼルが、何処かにライオンやチータが潜んでいるかもしれないサバンナで走る練習をする姿がそれに近いのだろうけど、彼等は生きるための本能でその行動に突き動かされるけど、人間はその状況を運命と受け止めて、自分の世界の範囲を狭めれば社会が受け止めてくれる。自分の世界が大きいか小さいかなんかは問題ではないし、そんなことを考える必要もない。
でも、人は大きな世界をもった人に憧れるし、惹きつけられる。そして、人の持つ世界の大きさ、深さは、実に千差万別で、視覚障害者のイアンはリスボンの街で何年も暮らす人々より敏感に、そこの海風を感じ、そこに停泊している大型船の距離を感じ、港のある場所を知ることができる。
視覚が無い人の想像は、健常者よりもはるかに美しいものなのではないだろうか?
もう、5年ほど前になるが、「ダイアローグ・インザ・ダーク」に妻と2人で参加したことがあったがあの時に感じた「視力以外のあらゆる感覚が研ぎ澄まされた感覚(驚いたことに味覚もだ)、そして時間感覚までもが現実世界とは違っていた」のを思い出した。
『反響定位』というのは、人と人の世界観の確認作業に似ているかもしれない。
2016/06/23詳細をみるコメント0件をすべて表示