真田太平記全12巻再読を期に、買い直し。本来、信州小県郡の一角だった本領が、幸綱・信綱の活躍で、武田信玄から大幅加増。昌幸の家督相続は、国衆として郡司指揮権だけ与えられていた真田家に、譜代家臣扱い、行政も扱う高級官僚の役割も負わせることになった。秀吉に服属することで、大名に付属する国衆ではなく、独立した大名の扱いを受けることに。/信綱は文書から1567年には当主となっていた。また父同様調略を得意としていた/信之の藩政改革でもうけられた「職方」は警察権をもつ役職。出浦、大熊両氏を任命。上野は家臣におおまかに委ねた/真田家の「家伝文書」は昌輝系(越前松平氏)につたわることに/出浦昌相は吾妻職方をつとめながら、沼田城の城米管理、上田領内の検地も担当。また昌相黒印状は信之発給文書を補完する役割を持つ/鈴木右近は、1616年以降のいつ真田信吉のもとを出奔し、1643年に信之に召しかえされるまで何をしていたのだろうか/などが気になったトピック。