春琴抄 [Kindle]

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  • 2016年2月2日発売
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感想・レビュー・書評

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  • 江戸から明治の時代をまたいで70年に及んだあまりに異質な愛の軌跡を、豊潤かつ流麗な文体で描いた谷崎潤一郎の代表作。

    物語は、昭和初期に、或る女の一生を綴った「鵙屋春琴伝」と題された小冊子を読んだ一人の男が彼女の墓所に立ち寄ったことから始まる。

    「春琴、ほんとうの名は鵙屋琴、大阪道修町の薬種商の生れで歿年は明治十九年十月十四日、墓は市内下寺町の浄土宗の某寺にある…」
    出だしから、まるで流れるように独特の旋律を帯びた語りが、一気に物語の世界に連れて行ってくれます。

    語り手の男は、春琴の墓と、その傍にあるひとまわり小さな墓を眺めながら、冊子を通して偶然知った一組の男女の数奇な関係性に思いを馳せる…。

    江戸時代の大阪淀屋橋の裕福な薬問屋の娘で、9歳で盲目となった美しい少女・琴。
    病による鬱屈のためか、彼女を不憫に思った両親の溺愛のためか、彼女はどんどん我儘で気難しく、また、奢侈を好むようになっていく。
    そんな彼女の家に丁稚奉公として訪れた13歳の少年・佐助。
    盲目の琴の手曳き役となった彼は、その実直さと無駄のなさ、細やかさ、彼女を無条件に崇拝する一途な姿勢が彼女の気に入る。
    やがて、少女を持て余し気味だった周囲の思惑から、佐助少年は彼女専属の世話係となり、また、彼女の三味線の「弟子」となる。

    それは、その後70年に及んだ、献身と盲目的な隷属を土台に厳しい現実に対処しながらも、対価として理想美の追求という快楽にひたすら耽溺し、それ以外を捨てることを許された彼の特異な人生の始まりで…。

    視点と語りが、当事者や周辺人物のものではなく、彼らのことを綴った文章や彼らを知る人々の証言を辿りながら想いを馳せるしかない時代を隔てた完全なる第三者のものであるという設定が、物語に不思議と奥行きと現実感を産み出し、これまた読み手を引き込まずにはいられません。

    佐助が追い求め、何を犠牲にしても浸り続けた「観念の美」。
    10代の頃から何度か読んでいるのに、その度に、どっぷりとその世界の中に浸って、終われば夢から目が覚めたような感覚に陥ってしまいます。

    谷崎って、本当に変態で、それでもって、本当に見事な筆力を持っていたなあ、と、しみじみ感心してしまう作品。

  • 佐助から春琴への純愛の話。最初は春琴が本当に意固地で傲慢で琴と唄と容姿以外何も良いところがなく同情の余地のないような嫌なやつとして描写されており、また修行などに関しても現代の感覚と異なっていることも多く、周りにもそれを補えるような人物がおらず、ただただ読んでいて辛かった。この部分は私の時代背景への理解の欠如によるものかもしれない。結局、佐助の主観からでしか語られていないため、徹底的に佐助の春琴への負の感情が排されており、それが峻烈な春琴のイメージのさらなる悪化を防いでいたように思う。未熟な読み手である私には耽美の妙味は分からず難しかったが、事件後の春琴の態度の変化や佐助の行動は、それぞれ春琴の固くて脆い人間性の部分や禍々しい法悦とも言うべき相手を思う形が現れており、いたたまれなく悲しくなった。事件に関してはかなりの考察の余地があり、また年月が経ってから読んでみたら私にも分かることがあるかもしれない。ただ、春琴が鶯に個体が変わっても声がいいなら同じ名前をつけ続けたように、佐助もそれを見て焦りを覚えたのかなと思った。

  • 先日見たドラマ『微笑む人』(松坂桃李主演)の中で
    出てきた【春琴抄】が気になって読んだ。
    青空文庫の本もKindleで読めるってホント良いわぁ。
    こんな愛情があるのかと。
    面白かった。

  • とりあえず読んだ。古典・名著と呼ばれる類をてんで読んだことがない自分にふと気付き、「死ぬまでにどこまで読めるか?」と憑かれたやうに始めた濫読。とりあえず「春琴抄」を読了した。「読了」と呼ぶには短過ぎるか。
    とにかく読んだのだ!
    感想は気が向いたらまたいつか。

  • 人生の意味は自分で決める。
    何が人生の価値なのかは人それぞれであり、人類共通の普遍的な価値などというものは幻想なのかもしれない。
    谷崎潤一郎の小説を読むと、一般的にネガティブに捉えられやすい「個々人のこだわり」や「我がまま」といった嗜癖がポジティブな生きる力となるような不思議な感覚に捕らわれる。

    春琴抄という小説は、現代の感覚でいうと「強烈なツンデレのお嬢と信仰に近い気持ちで従う丁稚の恋物語」かもしれない。何でこんなに素直じゃないのか、こんなに馬鹿な選択をするのか。読んでいて「この人たちは合理的な思考ができない、馬鹿なんじゃないのか」と何度も思う。一方で、合理的って何だろう?と感じる自分も存在するのだ。

    これまで「人生の真実」というものが世界のどこかに存在するのだと思い込んでいた。それが見つけられずに苛々していた。しかし、そんな汎用的な真実などどこにもなく、ただただ個人的な真実があるだけであり、それはとてもポジティブなものなのだと思えるようになった。
    人類共通の「人生の意味」を探す行為は、試験で高得点を狙る行為に似ているのかもしれない。それは誰かが用意した価値観の中で高い得点を取るという行為だ。宗教や、日本の「世間」とはそうした基準なのだろう。

    谷崎潤一郎の作品がアブノーマルな扱いをされているのは、汎用的な正しさを無視し、個人の価値を追求する登場人物たちのせいだろう。

    うーん、偏見があって読まなかったが、この年齢で出会えたのは幸運かもしれない。若い頃であればただのポルノだと一蹴していた気がする。

  • 美しいが熾烈極める盲人の春琴と、その手曳きの佐助のSMハッピーライフ(?)。 とても良かった。歪な関係ではあるが、純愛でほっこりしてしまう。 お互い言葉にしなくても何だかんだで大好きだということが伝わった。お気に入りの作品。

  • 天鼓の話で提示されるのが、自然のものよりも人工の美が勝っているという論理で、それを突き詰めるなら、佐助の決断は、その論理に忠実(究極の美は「そのもの」が見えなくなった後に、純粋に人工的なものとして生み出される)だといえる。その意味で、ある意味では常軌を逸しているように見える佐助の行動が、非常に合理的なものにおもえる。むしろ、それが明晰に示されるほど、春琴にまつわる曖昧さが浮かび上がる。それは、春琴について佐助が(直接ではないにせよ)書いた、それに語り手が留保を付けながら語っているという構図になっているからで、佐助がなぜ春琴について書き残させたのかということを想像すると、その試みは初めから語りの構造によってくじかれていると言えるのかも。そこには、人工の美が個人の主観の中にのみあるものだという自虐的な結論を見出すこともできるとおもうし、あるいは、春琴を結局わかりえないものとして描いているとも言えるのかも。女性をわからないものとして描く作品の系譜があるんじゃないか(漱石の『三四郎』とか)。

  • 凄い話ですけど、面白かったです。
    これ、第三者どころじゃなく2人が死んだ後に「春琴伝」を読んで興味を持った2人には直接関係なさそうな誰だかが考察してるって書き方がとても面白い!その考察が深い上に分かりやすくて説得力がある。なのに、あくまでも想像の域を出ないところが良いです。

    佐助の春琴に対する崇拝する様な究極の愛は、虐められて喜んでるというより大きすぎる狂人的な愛ゆえに何よりも尊いものとして受け入れているって感じ。春琴は虐めて楽しんでいるというより、佐助の愛をどんどん育てている感じ。
    佐助にとっては春琴が人生の全てで、そうある事に幸せを感じているし、春琴にとっても佐助は唯一無二の存在で佐助なしでは生きられない。そんなお互いに対する歪んだ依存心がゾクゾクするわ〜。

  • 盲目の三味線師匠春琴に仕える佐助の愛と献身を描いて谷崎文学の頂点をなす作品。幼い頃から春琴に付添い、彼女にとってなくてはならぬ人間になっていた奉公人の佐助は、後年春琴がその美貌を何者かによって傷つけられるや、彼女の面影を脳裡に永遠に保有するため自ら盲目の世界に入る。単なる被虐趣味をつきぬけて、思考と官能が融合した美の陶酔の世界をくりひろげる。
    (1933年)

  • - 強烈な作品ではある。
    - ただ句読点が少なすぎて漢文みたいな読みにくさ、、、

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著者プロフィール

1886年7月24日~1965年7月30日。日本の小説家。代表作に『細雪』『痴人の愛』『蓼食う虫』『春琴抄』など。

「2020年 『魔術師  谷崎潤一郎妖美幻想傑作集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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