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- / ISBN・EAN: 4988105071476
感想・レビュー・書評
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観終わった時の感想を一言で言うと「もう、かんべんしてくれ」だった。
「やっと解放された。しばらくは観れない。」と思った。
でも、1日経つと、
いつの間にか、この映画のことを考えている。
じわじわと脳を刺激されるような感覚。
色々なイメージが湧いてくる。
引きずる映画。
やはり凄い映画なのではないか。
私がこの映画を見て思いだしたのは、
ゴヤの「黒い絵」シリーズだ。
ゴヤは晩年、誰にも発表しない前提で、自分の住む家の壁に、非常に暗いテーマの絵を描き続けた。
それはエクセレントな画家が書いたと思えないくらい素朴で、おどろおどろしく、作者の情念が煮詰められているような絵。
宮廷画家として成功した、後世に残る偉大な画家のゴヤ。なぜ、芸術の頂点に上り詰めた画家があんな、ベタな暗い絵を描くのか。
観客を意識せずに自由にかけるはずの絵として、あえて救いようのない絵を、自分の為だけに描く。
観客へのサービスがごっそり抜けおちている。
だからこそ、ゴヤが不条理な世界と対峙する気持ちが、鈍いうめき声として、鬼気迫るスゴみとなっているのだと思う。
一言で印象をいうと、それらの絵は「美しくない」
もっと言うと「汚らしい」。
だけど、どういしようもない真実が持つ凄みが底で黒光りしている。
芸術はドス黒いものであっても美しくあってほしい。
そこに「救い」だったり「エクスタシー」だったり、を感じ昇華したいと、受け手は願っている。
だが、ゴヤの「黒い絵」や、「野火」は、そこから大きく逸脱しているのだ。
だからこそ、観る側は、ただただ不快で嫌という反応だったり、反戦をオチに結び付けて、論理的に理解しようとしたりするのではないだろうか。
でも、この映画の鑑賞をそこで終わってしまうともったいない気がする。
・・・・・・
観た直後に感じたものは「作り手の怒り」だった。
とにかく重く、厳しく、長く観ていられない。
息がつまり、観客としても休ませてほしいような場面が続く。
それが、作者の怒りをぶつけられ続けているように感じるのだ。
これでもか、これでもかと暴力が襲い掛かってくる。
グロい描写は、過剰に見える。
まるで、ホラーかギャグの世界。
平和な側にいる観客としては、それは絵空事のフィクションにしか見えない。
でも、リアルってのはそういうものかもしれない。
リアルなものをリアルなまま表現すると、ギャグにしか見えない。
映画は当然だが演出されている。
それは、センチメンタルだったり、ヒロイズムだったり。観客が受け取りやすくなるような工夫。
でも、この映画で目立つ演出はショッキングなスプラッタ表現。だから、戦争を露悪的に表現したいだけの単純なものとして受け取られやすのではないかと思う。
しかし、その後、何かわからない違和感が残り、常に気になる。
表層的な怒りだけではない、何か。
静かな哀しみか、あるいは、クールな、冷めすぎた、人間へのまなざしか。
同情とか愛情とか、どこかに蒸発してしまっているはずの人間たちは、一方で、お互いを疑いながら群れている。
この作品には、そんな人間の一言で表せないような複雑な存在感が表現されている。
その繊細な多重的なはずの人間が、こってりしたスプラッタ表現で、簡単にバラバラになり、地面に塗りたくられる。
・・・・・・
出演者達のキャラ立ちの素晴らしさ。
主演の監督自身。声が小さく聞こえずらい。
そこが素晴らしい。声が小さい。
これがこの映画の、異国での異常な世界の人間の存在感だ。
皆、極限状態で、いわるゆる「人間らしさ」なんてかけらもない登場人物達。
矮小な、ずるい人間。
カンフー映画だったら、最後に倒されて、観客の溜飲をさげるはずのような、醜い人間たちだらけ。
でも、そっちが本当の人間なんだ。
そういう状態にしてしまうのが戦争なんだ。
ということなのだろう。
伍長は中村達也。
ブランキージェットシティーのドラマーが。
こんな役者になるなんて。
イカ天のころから、ずっとリアルタイムで見てきて、大人になってからも凄いライブを観て。
存在自体がロックそのものと思っていたバンド。
純度100のロックンローラーが、とんでもない存在感で、演技をしていて、びっくりした。
バンドが解散するって、こういう価値も生み出すんだなと。(でも、やっぱりベンジーは俳優にはならないと思う。)
・・・・・・
何十年も前の学生時代に読んだ原作を、もう一度読みたいと思わせる。
その気持ちにさせるだけで、この作品は価値があると思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
あの野火を大胆にリメイク。
東南アジアの戦線で病気になった兵隊は自隊と病院を行ったり来たりしているうちに部隊の飢えはどんどん過酷になり。。。
淡々としたオリジナルに対して、ドキュメンタリーっぽい映像などでリアルに戦争の地獄を描く。その描き方はホラー映画的だが、それが戦争にピッタリだ。改めて戦争というのは地獄絵図なのだと実感できる。
思い切ったリメイクだが正解。 -
瞼の裏に焼きつくような色彩の、
広大なフィリピンの自然の中で繰り広げられる、
限りなく狭い関係性と個人的内界とで展開する、
普遍的な生への執着と、
戦争の異常さがもたらす、
狂気。
塚本監督の、
以前からある幻想的というか、
時間軸も視野も、
全てが遠近感と境界を失う映像表現の、
ある一つの極みを見る。
そうして、それを体現する演技。
映画とは視覚が中心なのに、
ひどく暑く、熱く、厚く、
痛くて、臭い。
ぷんぷんと臭くてたまらなくて、
冷たい空虚まで体感してしまい、
絶望する。
ひどいことが続くと、
精神的な拒否が生じ、
最終的にたどり着いてしまう結末を、
だからこそ見届けられてしまうことに、
客観を放棄させられる。
*
ホラー映画ですかこれは。
*
追記:2018年8月11日。映画館でも鑑賞。 -
みんな今にも死にそうなほどボロボロで為すすべないドン底なのに、映像が実に鮮明で…そのギャップが恐ろしい。
極限下における人間が次第に壊れていく様…観ているのがツライ。
ひもじさと絶望に対比される圧倒的な自然の美しさが人のちっぽけさを描き出しているように思える。
やはり食う事は命を繋ぐんだな、食う事で血が巡り活力が湧く。間近まで迫っていた死をくぐり抜けた。死神は去ったけどいまだ地獄の只中を彷徨う。生ける屍の行軍か…戦うとは一体なんなんだろうな、戦争とは、生きるとは…様々な疑問がいとま無く湧き上がって来る。
累々と屍の転がる道なき道。真っ暗闇の無間地獄を這うように進む…もはや死者でしか無い一群を
さらに射掛ける容赦なさ…余りにも酷く、無慈悲
互いの正義に従って、互いを憎しみあい、許し合うことなぞ如何にしても出来ようか。
明らかに死んだ方が楽なのに、
死に切れない…悲しい現実
戦争なんてホント嫌だな。
殺し合いなんてホント嫌だ。
生きるって苦しいな。
食うのも寝るのも苦しいな…
水平線も流れ飛ぶ雲も山の緑も
自然なのに不自然にしか見えないのは
なんだ…
人が人でいられなかった時代
人が人間と言う名の動物であった
人ならざるモノたち
人が味わってはならないモノを
感じた狂った喰った…もはや人にあらず…
塚本監督作品大好きでいろいろ観たけど
こいつは別格です…今は二度と観たく無い気持ち -
2016/6/26鑑賞。
ごめんなさい、私にはどうしてもこの作品の良さがわからなかった…
残虐なシーンも全て映像のちゃっちさが際立ってイマイチ入り込めず。
台詞回しも演劇チック、カメラワークも少し古め。
ただ、ひしひしと絶望感は伝わってきました。
でも、ほぼ自費制作なんですね。
それは、すごい。 -
「鉄男」を撮った塚本晋也が、過去の戦争小説に恰好の主題を見出したということに、見終わってすごく複雑な気持ちになった。大岡昇平の『野火』は、塚本晋也のこれまでの作品を覆い尽くしている。塚本の演出方法は、『野火』を撮るためにあり、しかも野火を撮り尽くすまでには至っていない。
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2014年に自主制作として作られた映画だそうですが、リリーフランキーが出ていてちょっとびっくりでした。
全体的に、戦争を知らない世代の人間が、同じく戦争を知らない世代の人間に向けて作った映画だと思いました。たとえば米軍の砲撃によって人の顔や腕や内臓がちぎれて吹っ飛んでいくようなグロテスクなシーンが、これでもかとスローモーションで映される。【ひろしま】を観たあとだからなおさらそう思うのかもしれないけれど、実際にそれを経験した人なら、こういう場面をスローモーションで撮らない気がする。戦場を一生懸命想像して、その悲惨さをどうにか理解しようとした人が、同じ立場の人にその自分が想像した悲惨さを伝えようとして取った手法という感じ。もし自分自身が生存者だったり、あるいは自分のよく知っている誰かがそこにいて同じ経験をしたりしていたとしたら、凄惨な場面をスローモーションでは撮らないと思う。
原作を読んで内容はすでに知っていたので、そういうグロテスクさばかりが印象に残ってしまいました。 -
別途