本物の知性を磨く 社会人のリベラルアーツ [Kindle]

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  • 祥伝社
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感想・レビュー・書評

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  • 従来のリベラルアーツでは触れられてこなかった科学、技術的な分野に視野を広げた新たなリベラルアーツを説く。世界レベルでの地域ごとの文化のコア、というものがつかめれば今後のあるべき姿を定めるのにつながる。歴史から学ぶことは多い、と思わせてくれる本。これからグローバル化が進む中で地域間での差異は少なくなっていくと思うが、そこに至るまでには長い年月がかかるはず。グローバルリテラシーは必要性が高い。最後の英語のくだりはちょっと長すぎた気がする。


    ●リベラルアーツとは何か

    教養=人格形成という日本型教養主義の悲劇。リベラルアーツは「自由精神」と「教養」を含み、グローバルリテラシーに包含される。文化の多面的理解、4つのコア。従来のリベラルアーツにとどまらず、理系、経験的な学問も必要。リベラルアーツはリーダーを鍛え、まさかの時に備え、生き方を考えるもの。

    ●世界観・人生観は歴史書に学ぶ

    手触りのある歴史観。社会の有り方、人としての生き方を考える。歴史書に書かれていない歴史的事項に興味を示す。歴史書より人物伝。文化のコアは時を経ても変わらない。現代と異なる当時の価値観を知りつつ、当時と変わらない価値観もあることに気づく。

    ●ものづくり日本はどこへ行くのか?

    科学史、技術史、工業史から文化が見える。日本のアナログ思考と西洋のデジタル思考。日本は道具ではなく技術で対応、西洋は道具に技巧をビルドイン。機械を人に合わせるか、人が機械に合わせるか。西洋にキャッチアップできたバックボーンとして連綿と引き継がれる技術の文化が日本にはある。一方で生産性に対する思慮が足りない。多様性に対応できない。

    ●ヨーロッパ文化圏のコアを探る

    コアであるギリシャ・ローマ時代と中世。自由と原則・プリンシプル。身体の自由と言論の自由。武士道は日本固有のものではない。プリンシパルがなく同胞意識で解決する日本。猥雑な中世ヨーロッパ。

    ●ヨーロッパ、イスラム、インド、中国、朝鮮の文化のコア

    同時代における地域の比較、横方向の比較。科学は理論と体系化を志向するのに対し、技術は解決法に注力する。思想面では比較しづらくとも、科学や技術は物体があるため比較しやすい。

    ●ギリシャ語・ラテン語を学ぶ

    英語ではなくより多言語を。9割の日本人には英語は必要ない。ビジネス上必要な1割も、知的刺激として英語を学ぶ9割も、多言語に触れるべき。

  • リベラルアーツ、グローバルリテラシーって結局何?って思っていたので、勉強になりました。3~5章の文化のコアの分析は、自身が勉強してから読み直したいと思った。ギリシャ語とラテン語はヨーロッパ語全体の把握に役立ちそう。でもハードル高い。

  • ○引用
    顔や頭は正面の鏡だけからでは、全体的な姿は分からないが、三面鏡を使えば分かる。これと同じく日本を全体的にとらえるためには、中国と韓国(挑戦)という「合わせ鏡」で見ることが必要である。特に、韓国(挑戦)は日本と似たような立場で中国の影響を大いに受けているので、日本との比較からいろいろなことが分かる。

    ミルワード氏の指摘は、懐疑精神とは思想、発言の自由が何にも増して尊いものだという概念をベースとしている。しかるに、日本においては伝統的にこの点の自由がなかった(あるいは抑圧されていた)ために、子どものころから健全な懐疑精神を持つような教育が学校でも家庭でもなされない。それゆえ、討論形式で自由に発言してよい、と言われてもまともな討論ができないのだ。

  • 書いて有ることは至極まともで勉強になった点も多いが,なんとなく自慢話が多いようにも感じた。

    外国語の勉強の仕方はそのとおりだと思う。

    日常会話はペラペラだが専門的な話になるととんでもなく間違った英語を話す人が通訳だったときには本当に困った。日常会話はテキトウでいいから流暢だったのだろうが,知識不足の分野だとデタラメだったので,実は英語が理解できていなかったのかな?

  • リベラルアーツは、リーダーを鍛えるもの、まさかの時に備える保険のようなもの、生き方を考えるもの

    成果は、単に物事を知っているというのではなく、自分がつかみとった各文化のコアから自分なりの世界観・人生観に表出する。

    人から聞いただけのことを深く考えもせずに喋っていないか?
    なぜそう考えたのか?と聞かれて説明できるか?
    本当に、それ以外の考え方はないのか?
    前提条件が間違っていたらどうなるのか?
    異なる視点や立場に立って考えたか?

    世界観・人生観を中国とヨーロッパの歴史書に学び、日本人の特性との関連を考える。


    日本人の特性を水を巻く道具である柄杓とじょうろで説明しているところが面白かった。
    西洋は「道具に技巧をビルトインする発想」、日本は「各人が修行を通して技巧を個別に習得する発想」という指摘。
    西洋では「経験から原理や法則を抽出。実際の問題に対して、原理・法則を適用して処理」、日本では、「ルール化というプロセスをすっ飛ばして、各人が個別的・属人的に技として法則を会得し、実際問題に適用して処理」なんて、まさに自分の思考が日本人的だと認識。

    経済合理性についての指摘も、日本人の「園芸的メンタリティー」として、1775年にオランダ人のツュンベリーの日本国内を旅行した際、田畑の雑草の少なさに驚いた件なんかは、経済合理性なんて気にしない日本人の潔癖なところが今でも色々なところで見られるなと感慨深い。
    現代では、「優秀な職人技の伝統がある一方で、生産性や効率に対して思慮が足りない」と「目的も考えずひたすら高品質を目指し、経済性や効率性を軽視」

    江戸時代までの時計も、日本人は時計の進む速度を変えるための装置をつけるなど機械を人に合わせ、ヨーロッパでは人が機械の仕組みに合わせたエピソードも。

    著者の麻生川さんの経歴を検索したら、IT業界出身ということで、自身の日々感じることと思うところが同じというのも面白かった。

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著者プロフィール

1955年、大阪府生まれ。リベラルアーツ研究家、博士(工学)。京都大学工学部卒業、同大学大学院工学研究科修了、徳島大学工学研究科後期博士課程修了。1977年、京都大学大学院在学中、サンケイスカラシップ奨学生としてドイツ・ミュンヘン工科大学に留学。20歳の時の学友との会話とドイツ留学中のカルチャーショックの経験からライフワークとしてリベラルアーツに邁進することを決意。1980年、住友重機械工業入社。在職中、アメリカ・カーネギーメロン大学工学研究科に留学。帰国後、ソフトウェア開発に従事したあと、社内ベンチャーを起こし、データマイニング事業を成功させる。2005年から2008年までカーネギーメロン大学日本校においてプログラミングディレクター兼教授として教育に従事。2008年から2012年まで京都大学産官学連携本部の准教授を務める。在任中に「国際人のグローバル・リテラシー」や海外からの留学生に対して「日本の情報文化と社会」「日本の工芸技術と社会」など日英の両言語でリベラルアーツの授業を展開。2012年にリベラルアーツ研究家として独立し、リベラルアーツに関する講演や企業研修を行う。

「2022年 『中国四千年の策略大全』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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