自費出版的な臭いがするが時代なのだろう。
この本が私にとって、ソクラテスやキリストに死刑の一票を投じたり魔女狩りに夢中になる人の精神構造を知る貴重な資料となり得た理由は、この著者、及びその患者が、現代においてもなお、迫害されているのは自分の方である、との被害者意識を感じることができるほどにスッカラカンであったことにある。なおスッカラカンの定義は、自分が不利な立場にあることを恨む態度、つまり皆もスッカラカンなのに自分だけが割を食うのは不平等、(一方でキリストは信者がいて尊敬され良い目を見ている)とする、下からの視点のみの誤った平等主義、自己決定的自己不在及び他者不在の状態を指す。
要するにこの本には著者がそれしか認識しないため、右にも左にもスッカラカンしか登場しない。それは結局誰も登場していないということなので畢竟、著者が一人で面白い!とかすごい!などとごち続けなければ成り立たない仕様となっている。
理論やテクニックは、ホオポノポノやTFT療法と同様であるが、著者なりに何かしらの確信を得ているようで著者に似た患者には有効なのだろうと推測される。
半分でギブアップだったので途中から知人に朗読してあげることにしたら「トラウマが治療されて解離が治ったら現実世界の人間の危険性に気づいてしまって仕事とか行けなくなるじゃん」「だから今現在トラウマがあるとされている人の方が実はトラウマが治ってしまった可哀想な人で、普通の人とされている人がトラウマ持ちで解離していられる幸運な人だよな」
「話が変わってくるから儒教みたいに君子がトラウマになったバージョンと小人がトラウマになったバージョンは別々に記述しておかないとな」
などと面白い感想を言うので、2/3まで読むことができた。