顔のないヒトラーたち DVD

監督 : ジュリオ・リッチャレッリ 
出演 : アレクサンダー・フェーリング  フリーデリーケ・ベヒト  アンドレ・シマンスキ  ヨハン・フォン・ビューロー  ヨハネス・クリシュ  ゲルト・フォス 
  • TCエンタテインメント
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感想 : 20
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4562474172097

感想・レビュー・書評

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  • 【メモ】
    ■(疑心暗鬼に陥り憔悴したヨハンが、ユダヤ人で収容所にいた検事総長バウアーに対して質問するシーン)
    ヨハン「なぜ僕を捜査の担当に?」
    バウアー「1930年生まれだから。潔白だ」
    「違う。……世間知らずだからだ。父もナチでした」
    「法律家ですらほぼ皆が党員だった」
    「皆と同じ犯罪者でした」
    「有罪か無罪かだけでこの問題を捉えるなら、何も得られないぞ」
    ※個人の断罪ではなく、社会の問題として歴史の罪を浮き彫りにする。収容所にいたバウアーが、ヨハンよりも冷静な事実が、この映画のテーマを強く訴えかけてくる。

    ■記者グルニカと共にアウシュヴィッツを前にして。
    ヨハン「(17歳の時党員で収容所にいたことを)なぜ黙ってた」
    グルニカ「恥じてたのさ。俺はあの中でただ傍観してたんだ。何も言わずにな……裁判は?なぜ投げ出すんだ」
    「……大義を見失った。他人を裁く自信なんてもうないんだよ。僕が兵士だったら……同じことをしたかも」
    「的外れだぞ、ヨハン。(収容所を指して)何が見える?」
    「アウシュヴィッツ」
    「違う。牧草地だ。木々や、収容施設に柵も。“アウシュヴィッツ”はこの地に眠る記憶。裁判をしなければ忘れ去られる」
    「どんな罰が適切か分からない」
    「罰でなく、被害者とその記憶に目を向けろ」

    ナチス映画のほとんどが描くテーマである被害者と絶対悪という対立ではなかったのが印象的。
    元は戦争のことを何一つとして知らず平和な西ドイツで暮らす若者であったのに、凄惨な被害の事実を知る内に、徐々に私怨にも似た感情に囚われていく主人公ヨハン。
    自分が無関係である事柄に対して、当事者以上の怒りや執着を示し、正義の化身であるかのような振る舞いが多くなっていく……まるで私たちが犯罪報道に接した時の感情そのもの。第三者が正義と悪の結果を知った上で起こる、「まるで自分が正義であるかのような錯覚」の怖さ、危うさが描かれている。
    もし自分がその犯罪の場にいたら、もしその社会に生まれていたら、ヨハンの言う通り「同じことをしたかも」しれない。それを考えることなく、全てを悪として捉えてしまっては、物事の本質を見失う。
    弁護士事務所で、ナチ党員の弁護をしていた弁護士に言われ、ヨハンが【自分は社会や状況に恵まれていただけで、絶対的な正義ではないのだ】、と気づくシーンは、映画のもう一つのテーマを指し示している。
    弁護士「いいか、生まれつきの英雄はいないんだ」

    私たちも顔のないヒトラーになるかもしれない。だからこそ、歴史の罪と向き合う必要があるのだ、という教訓に、今のドイツに対して今の日本は……考えざるを得ない。

  • 2014年 ドイツ
    監督 ジュリオ・リッチャレッリ

    アレクサンダー・フェーリング、フリーデリーケ・ベヒト、アンドレ・シマンスキ

    ナチスドイツによるホロコーストに携わった人たちをドイツ人自身で裁いた裁判までの長い道のりのお話、、、ざっくり。
    史実に基づくフィクション。
    ドイツの映画だから当たり前だけど全編ドイツ語、意味不明(笑
    主人公のイケメン若手検事ヨハン(アレクサンダー・フェーリング)はやる気満々の正義感あふれるお方。
    ジャーナリストのトーマス(アンドレ・シマンスキ)の話から元ナチス親衛隊に興味を持ち調べることに。

    まず興味深いのがヨハンが調べ始めた1958年時点で一般のドイツ人はナチスによるホロコーストを知らなかったということ。
    もちろん、初期の単なる差別とかドイツ人の血を守るとかはドイツ国内でおこったことなのでわかってるでしょうが、末期の「物理的な絶滅」に就いては戦争が終わった段階でも国民には知らされなかったのか?

    今では世界中の人が知ってることなのにね、不思議。

    でもって不思議だったのが、
    ヨハンは調べるうちに収容所からの帰還者の証言などでナチスの恐ろしさを知り、そして自分の親も愛する人の親もナチス党員だったと知って悩み苦しむところ。

    あの時代、ナチス党員でない人なんて一体どれくらいの割合でいたのか?
    親がナチス党員だったとしても自分は検事という職に就けてるんだし、あんなに呑んだくれてへべれけになり、彼女に罵倒するような問題か?いや、そうなのか?わからない。

    全編見ながら日本に例えて考えましたね。「ゆきゆきて、神軍」を思い出させられました。

    興味深い作品ではあったものの、よくわからなかった面もあったね。

  • レンタル>2014年独。ナチ大物はニュルンベルク裁判でおおよそ(?と言っていいものだろうか?)裁かれたものの…密かに残っていた小者を裁くといったお話。
    描かれてたこの当時の時代が戦後そんなに経過してないだろうから、自国民が自国の人間を裁くという事に抵抗はなかったのだろうか?勿論、戦時とはいえ、アウシュビッツでの大量虐殺は許されるものではないのは確かなのだが。。この出来事を記録の中から封印、黙認する事が罪である事は確かだ。そういった風潮はあったのだろうな。
    皆、ではないにしても、独人であれば当然、親や身内が元ナチ党員であったという事はあったであろう。なかなか難しい。
    それを任された若き検事の勇気と行動が素晴らしかった。実話ベースっぽい。
    日本での戦争責任を追及する裁判は戦勝国側からの物が殆どだけど、こういった事案があったのだろうか?独と同じ敗戦国である日本でも見る価値のある映画だと思う。
    ちょっと独自の視点ではあるけれど、戦争責任の追及を描いた「ゆきゆきて神軍」を思い出した。

  •  60年代にホロコーストでの戦争犯罪を基礎する検察官達の実話を描く。

     主人公が若いのは当時の大人は全て戦争犯罪に加担している可能性があったからなど、戦争犯罪を裁くのがいかに難しかったかが描かれている。戦争による罪は名の知れた政治家や軍人だけではない。それを裁こうとするのは自分の親を裁くことになるかもしれない。
     ドイツも最初っからスパスパ戦争犯罪を裁いてたわけではなかった。特に日本で大きな価値がある映画。

  • 「アイヒマンを追え」とセットで観賞

    勝敗がついても 戦争は終わったわけではなく
    終わりのない問いに向き合う時が続くんだと感じる

  • 前情報なく観て新たな歴史認識が得られ良かった
    ドイツの映画ってあまり観た記憶がない

    第二次世界大戦後のドイツの様子が描かれている
    70年くらい前の海外の話なので今の感覚とは全然違うと感じた
    歴史の捉え方の前提が分かっていなかったので、飲み込むまで?があった
    アウシュビッツで行われてた事をドイツ国民はあまり知らなかったようだ。ナチ党員は至る所に居たという認識がなかった若い検事が聞き取りにより真実を明らかにしていく

  • 「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男」「検事フリッツ・バウアー」の主人公は検事総長のフリッツ・バウアーですが、その下の検事を主人公にし視点をずらしたことで、その途方もなさと大変さがより見えた気がします。良くも悪くも色々な意味で若い主人公の感情の動きや極端とも思える行動にも。
    主人公に惹きつけれた。色んな感情がじわじわと染み入って湧き出るように涙がでた。
    すごい映画。

  • 観終わってなんだか恐ろしくなった。こうやって映画になったことで、いくばくかの人は歴史を痛みを持って知ることが出来る。そうでなく忘れられる歴史のなんと多いことか。忘れてはいけない歴史がある。でも忘れてよい歴史などない。誰がその線を引く権利を持つのか。繰り返し、誰かが傷をなぞる様にして繰り返し語られる事がある。痛みと共に人は記憶する。

  • 大戦から20年が過ぎたドイツでアウシュビッツ収容所で行われていた犯罪者たちの裁判を起こす実話。
    ニュルベング裁判で裁かれなかったヒトラーの指示とは関係ない犯罪を犯してきた人達を探し出し19人と元ナチを裁判に掛ける。
    出来れば裁判のシーンが少しでもあればもっと良かった。

  • 顔のないヒトラーたちというは、ホロコーストに関わった収容所の親衛隊や医師、幹部たちのこと。
    まさに執念だったね。交通違反の裁判ばかりに若き検事ヨハンに父親の”正義と闘え(だっけ?)”の教えに添った仕事がやっとできるようになる。
    ユダヤ人を迫害、殺害し今はほうぼうに散っててるドイツ人を逮捕して裁判にかけるという使命感に燃えて立ち向かうも、ドイツ人がドイツ人を裁くのか?
    彼らも命令に従っただけだとか、検事仲間でさえ非協力的で
    更にヨハンを打ちのめしたのが、尊敬していた父親さえも
    ナチだったこと。
    驚いたのはこの事実が戦後20年以上、伏せらていたこと。
    1930年生まれのヨハンもアウシュヴィッツもホロコーストも知らなかったということ。
    逃げおおせた幹部もたくさんいただろうけど、このフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判がドイツ人の手で開廷されたのはすごく意義のあることだったのね。
    映画は静謐ともいえるほど、淡々と描いているのが余計、胸に迫る。

    Im Labyrinth des Schweigens 2014年 123分 独 スターチャンネル
    監督 : ジュリオ・リッチャレッリ
    出演 : アレクサンダー・フェーリング フリーデリーケ・ベヒト アンドレ・シマンスキ ヨハン・フォン・ビューロー ヨハネス・クリシュ ゲルト・フォス

    消された罪、消えない記憶

  • 重いテーマ。

  • フランクフルト・アウシュビッツ裁判。これは世界的に知られたニュルンベルク裁判とは違い1963年12月20日から1965年8月10日までフランクフルトで行われた裁判です。「シンドラーのリスト」でレイフ・ファインズが演じたアーモン・ゲートなどは親衛隊大尉の地位ではあったが、上官に罪を擦り付けられず極刑に会う。

    有名どころでさえ、アルゼンチンを中心にいろんな場所に逃亡出来てますから多くのSS将校が民間人に紛れその罪を忘れよう…忘れ去られようとしていた。

    「顔のないヒトラーたち」
    https://www.youtube.com/watch?v=DXuUHFBV1EA

    終戦から13年後のドイツにおいてはホロコーストを忘れ、その事実も忘れ去られようとする中で、若手検事の奮闘劇が始まる。ホロコーストを生き抜いたユダヤ人と共に犯罪者を次々と告発していくのだが、彼の知らなかった事実も浮かんでくる。

    「ナチ党員じゃなかった人なんていないのよ」

    1933年には共産党は禁止、社会民主党も禁止、カトリック中央党に人民院は解散、国会の議席はナチ党だけで661。それが38年には813!すべてがナチ党員ではいけなかった時代のような気がします。

    この裁判を描いている作品は本作以外ではレイフ・ファインズの「愛を読むひと」あの作品の中では女性看守の犯罪をテーマにしていた。見比べてしまうのですが、どちらもいい作品だと思います。ただし、これは西での話だと思うので東ではこれに準ずるものはあったのかな?と思った。

  • 当時、誰もがナチスに荷担していたと言いつつ、それを逆に盾に罪を忘れようとしているドイツ国民が多い中、戦争を知らない世代だからこそ追及できる真実と罪を求める主人公たちの姿に感動。

  • 300-16

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