キャロル [DVD]

監督 : トッド・ヘインズ 
出演 : ケイト・ブランシェット  ルーニー・マーラ  カイル・チャンドラー 
  • KADOKAWA / 角川書店
3.70
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感想 : 98
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988111250100

感想・レビュー・書評

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  • 舞台は50年代のニューヨーク、ケイト・ブランシェット演じるセレブでおしゃれで強い女性キャロルと、ルーニー・マーラ演じる若く純粋なテレーズが出会い、恋に落ちる物語。

    ルーニー・マーラは年齢不詳で不思議で、とにかくかわいい。最初はデパートの店員から、カメラマンを志す思いを強くして、最後はキャリアを得ていく。キャロルへの思いは、憧れのような存在なのか、恋心なのか、最初はよくわからないけど、キャロルとの二人での旅を経て、徐々にはっきりとロマンティックなものに。
    二人のベッドシーン、なによりケイト・ブランシェットの背中が凄い。あえてそういう演出のために加工した?と思えるくらい、彼女の背中は美しく、逞しい。

    キャロルは美しく、自立していて、強く見えるけれど、やっぱりまだまだ女性の生きづらい時代で、自由ではなかった。まして、レズビアンであることを知られ、”治療”という名のセラピーまで受けさせられてた、それだけ世間の「妻」や「母」の姿に適合を求められ、苦しんだ。母としての娘への愛と、自分を失わずに生きようとする姿勢が両立されないのはとても痛ましい。
    その苦しい生き方を見ながら、一度は引き離されたテレーズが、最後に再びキャロルのもとに戻る選択は、幸福なのかはわからないけど。それでも正直に生きようとする姿は美しいし、静かだけれど抗えない熱があるのだと思う。

    音楽もよいし、旅の風景や街並みも雰囲気ある映画。でも何よりケイト・ブランシェット、本作も圧倒的存在感。あんだけ綺麗でゴージャスで、でも車を運転してモーテルを転々とするような姿が様になる女性いるんだろうか。
    一方のルーニー・マーラの透明感は本当にドラゴン・タトゥーの眉なしリスベットなのか、毎度疑ってしまう。。
    寒い冬に、引きこもって見るべき映画です。

  • 年上の同性キャロルとの出逢いと経験を機に、「サナギが蝶になる」という言葉そのままに、不安や迷いで停滞しているあどけなさが残る姿から、自我を持つ成熟した女性へと変貌をとげていくテレーズを演じきったルーニー・マラの演技が見事です。
    完璧なようで脆く、蠱惑的に美しい大人の女性キャロルを演じたケイト・ブランシェットももちろん素晴らしかったです。

    広報等ではLGBTの面が強調されていましたが、各シーンを脳内で再生して、見方や考え方、映像が与える印象の受け取り方を少しずつ変えるだけで、全く違う意味を持つ、シンボリックな作りになっている点も見事です。

    例えば、ただストレートに、1950年代のLGBTへの社会的扱いを取り上げた物語とも、自分を従属物とみなしている男性や規範から離れることを選んだ女性たちの自我の目覚めと自立の物語ともとれます。
    けれど、ところどころ緩慢で印象的なカメラワークや被写体を明確に捉えないシーン、登場人物たちの振る舞いや視線、何気なく漏らされる、脈絡や辻褄の繋がらないいくつかの会話などから、明確に描かれていないそれぞれの心理を想像してつないでいくと、世間知らずの女の子が百戦錬磨の孤独な女王さまに意図的に絡めとられて道連れにされる、ある種の怖い物語だったようにも思えてきます。
    そしてまた、他のシーンをクローズアップすれば、もっと別な物語像になってきます。妄想膨らましすぎかもしれませんが…。
    彼女たちを待ち受ける未来が明るいのか暗いのか、想像のできないラストシーンのせいでしょうか…。

    でも、ここまで邪推しなくても、カラフルなはずなのに常に薄闇がかかったような陰影のある映像や、レトロで可愛いファッションや小物、音楽など、素直に十分楽しめる映画です。
    特に、マラが着ていたジャンバースカートやコートがすごく可愛くて、同じものが入るならすぐ買う!ってほど興奮しました。

  • このシーズンにぴったりの話。

    年齢も境遇も違う2人が惹かれ合い、それぞれの人生を変えて行く。

    妖艶なケイト・ブランシェット、初々しいルーニー・マーラ、二人とも本当に美しい。

    話はゆっくりと進み、二人が少しずつ距離を縮めてゆく様を丁寧に描く。
    後半に入り幸福な時間が訪れた直後に話は急展開し、この映画がただのラブストーリーではなく、アイデンティティの話であることがわかる。

    「自分らしく生きる」、よく使われる言葉だがそれは一体どういうことか。
    自身を貫こうとすれば当然周囲との軋轢が生まれ、自分も周りも傷つき、大切なものを失うこともある。
    性の問題に限らず、自分の根幹を構成するものを曲げるかどうかという視点に立てば、この映画の言わんとすることは特別なことではなく、自分にも当てはまる部分があるのではないか。
    違和感を持ちながらも周囲に合わせて上手く生きることができたら、どんなに楽か。でもそうして自分の心を殺してまで生きる意味はあるのか。

    物悲しい旋律のテーマ曲が何度も流れるが、あんなに切ないメロディーが、場面に応じて哀しくも喜ばしくも聴こえるのが不思議だった。
    特に二人が結ばれる場面とラストシーンでは、旋律の揺れが二人の感情のうねりと重なっているようだった。

    古き良きアメリカのファッションやラジオ音楽が、まだ保守的な時代であったことを思わせる。
    時代は変わり、人びとの考え方も変わってゆく。
    異端とされることも時が経てば普通になるかもしれない。

    誰もが自分を偽らずに生きて行けますように。
    クリスマスだ。




  • OPで、キャリーブラウンスタインの名前を見つけてギャーッ!!となりまして…出てるの知らなかった…ワクワクしながら出るのを待ってたんですが、なかなか出てこなくてですね、一番最後の方にチラッとだけ…ガーン…。
    彼女が誰だかご存知ない方も多いと思う。そして、知らなければたぶん気づかないようなシーンです。彼女はレズビアンかつライオットガール勢なので、劇中では重要な意味を持つはず…と思ってたら、Wikipediaによると時間短縮のために出演シーンが大幅にカットされたそうな…。
    彼女のシーンが長ければ、ラストシーンの意味がだいぶ変わって、キャロルに対する愛がより強固になると思う。これ、セル版には未公開シーンって入ってるんですかね…ぜひ観たいんだけど…彼女のシーンがもっと長ければ★5でした…。

    トッドヘインズ監督作品は『ベルベットゴールドマイン』を劇場で観て以来なので20年ぶり。一連の作品や、キャリーブラウンスタインを出してくるあたり、人脈的にはマイクミルズやガスヴァンサントやスパイクジョーンズ、あとブクログの皆さんがお好きなミランダジュライとかと近いのかなと。

    この映画を観たくなったきっかけは、『フォレストガンプ』の町山解説からなんですが、完全に勘違いしてて『キャロル』ではなくて『エデンより彼方に』の方だったんだと思う…。ただこの映画もかなり好きなので観てよかったです。

    原作はパトリシアハイスミス。『太陽がいっぱい』の方で、あれもゲイがキーワードになっている話でした。
    連続で観たもののテーマがたまたまカブることがよくあって、『人生はシネマティック!』『小さいおうち』の後がこれになるとは。

    『小さいおうち』のレビューで書き足りなかったこと、私はあの映画に対して断定的に書いてしまってたんですが、同性愛ってそうじゃないと思うんですよね。それはたぶん異性愛もそうで、どこかの時点ではっきりと認識するんだけど、自分で自覚できない場合もあるのではと。
    『キャロル』はテレーズが自覚する話。それと同時に、優柔不断でなにも決められなかったテレーズが明確な意思を持って、自立した女性へと成長する。

    1952年のクリスマスから53年が舞台、『フォレストガンプ』の町山解説にもつながるけど、50年代って女性差別がものすごくあった時代。
    そのような男性優位社会だと、女性が意思を持たない方が都合が良いわけです。
    ハージ(カイルチャンドラー)にとってキャロルはまさにトロフィーワイフ。テレーズはデパートのおもちゃ売り場で働いてるけど、彼女が最初お人形の棚の前にいることが象徴的です。

    後半の展開は『テルマ&ルイーズ』に若干似ているので、あの映画は『キャロル』の原作に影響を受けているんじゃないかなと思いました。

    キャロル役のケイトブランシェット、昔はエリザベス1世とかエルフの女王様をされてて、最近では闇堕ちして死者の国の女王様をされてますが(女王様ばっかだな!)、序盤が妖しすぎる。私には美輪明宏とかデヴィ夫人みたいに見えましたよ笑。
    トッドヘインズ監督が「主体と客体が云々」と言ってることの意味が私には難しくてよくわからないんですが笑、テレーズ主体で見るとこの映画は青春映画、テレーズが成長する話だけど、後半の主体はキャロルの方に移ってるのではないかと。「自分を偽る生き方では私の存在意義がない」と言わしめたのは、やはりテレーズの存在があったからなのでは。

    テレーズ役のルーニーマーラがめちゃくちゃ可愛いのもこの映画では重要。ミアワシコウスカが演じなくて良かった。リスベットの時も可愛かったけど、この映画では本当にマジ天使ってやつですね。男も女もメロメロです。そしてエロい。

    最近私はエロについて真剣に考えていて、どういう映画、描き方だと一番エロく感じるかというと、生活とシームレスだったらエロいなと思う。
    この場合の生活というのは、それまでのふたりの時間の共有、つまり恋愛そのもの。これがAVとの大きな違いで、AVは行為そのものを描いてる、実用性のみなんです。
    恋愛映画だとそれまでの感情を描いてるので、行為がエロい。
    これはホラーやバイオレンス映画にも共通していて、生活に密着してるほうが怖い、感情を揺さぶられる。
    『お嬢さん』もレズビアンなのにあまりエロく感じなかったのは、生活との密着感があまりなかったからかも。あとジャンル的にあちらはミステリでこちらは恋愛ものなのとか、トッドヘインズ監督は同性愛者なので、やっぱり気持ちが入ってるからかなとか。

    それと、一番大事なのはこの映画はほんとにほんとにオシャレだということです。『ムーンライト』と並んでオシャレなLGBTもの。音楽もコーエン兄弟の映画や『スリービルボード』などのカーターバーウェルでとても良かった。
    ファッションや色使いも最高だけど、50年代の車のデザインも良いですね。ぜんっぜん関係ないけど、『ブレードランナー』のポリススピナーって、シドミードは50年代の車のシルエットをトレスしてるんだなあと最近気づきました。あれフィルムノワールだから。

  • 静かで、繊細な心の揺らぎをじっと追っているような美しい上品な映像が印象的な作品。
    キャロルとテレーズのどちらが最初に恋に落ちたのか?
    クリスマス前に賑わうニューヨークのデパートの一角で互いに目が合って引き寄せられているような気もするけれど、独特なキャロルの雰囲気に気圧されて戸惑うテレーズはもうすでに言葉を交わす前に恋に落ちていたのかもしれない。
    女性同士の恋愛映画はいくつかあるけど、そのほとんどはとても狂気に満ちていて破滅的なものばかりで、それらはとても映画的で圧倒されるけれど、共感性できないものが多いけれど、それまで同性愛の経験のないテレーズと、子持ちの主婦であるキャロルが互いに忖度しながらも、歩み寄ったり躊躇する様は理性的で、その上品だけどとても地味な2人の心のゆらぎをケイト ブランシェットとルーニー マーラという安定感のある女優に演じてもらうことでとても映画的な作品に仕上がっている。
    1950年代のニューヨークを表現する少し粗めな画像と、テレーズが纏う当時のガーリーファッションがとても素敵でまるで50年代に作られた作品を観ている気分にもなる心地よさがある。
    原作は未読ですが、同性愛者でもある作家パトリシア ハイスミスが"クレア モーガン"という偽名で1952年に発表した"THE PRICE OF SALT"という作品ということで、同性愛者をテーマにした作品を書くことさえも隠し通さねばならなかった当時の差別的な社会風潮が見え隠れしていて、その押さえ込まれてもどかしい想いがこの静かな作品にはぶつけられているようか気がした。
    しかし60年以上経った現代、こよ作品が美しい映画作品となり、世界中に広まることで2人の愛も認められたようで、映画のパワーの素晴らしさを改めて感じることもできた作品。

  • 女性同士のアガペーを描いた美しき作品。主演の二人とも大好きな俳優さんなので、観たが、作品自体も最高だった。衣装とか装飾とかストーリーも、美術も、女優二人の美しさも、全てが最高だった。買うやつ。

  • とびきり美しい映画だった。
    キャロル役のケイト・ブランシェットも、テレーズ役のルーニー・マーラも、目だけの演技でも引き込まれる。
    古き良きアメリカが感じられたし、二人の心がとにかくすてき。観て良かった。
    2019.05.10

  • 静かに、そして激しく抱け

    理屈はない
    ただ人に心が惹かれていく
    自然なこと、周りの雑音は途切れ
    動きはスローになり 胸の奥がざわつき始める

    ただ人に心が惹かれていく
    この感情はどこから なぜ湧き上がるの
    頭でなんて考えられない
    身体が動く、気が付けば走り出している

    「人は、理由なく惹かれあうものさ」

    ルーニー・マーラの感情の動きが見事に映像に浮き上がる
    『ドラゴンタトゥー……』を観てから只者ではないと思ってまた
    さらに彼女を追って行きたくなりました。

  • ランチすら自分で決められないと言っていたテレーズが、最後のシーンでキャロルの誘いを一度断ってそれから自分で決めて彼女の元へ向かったのだ、ということに後から気がついた。

  • 何を見ても何かを思い出す。ということでまずは連想から。
    トッド・ヘインズは「ベルベット・ゴールドマイン」ではびみょーだったが本作はばっちり。
    作中人物のファッションを何かのポスターで見たことがあるなーと思い調べてみたら、「エデンより彼方へ」。
    同じ監督、同じ年代(1950年代)が題材なのだとか。
    ルーニー・マーラ(1985生)はきゃわいい! オードリーみたい!(前髪ぱっつん)と思っていたがネットでも同じ意見多数。
    終盤のやややつれた横顔は「ドラゴンタトゥーの女」のリスベットを確かに思い出した。
    ちなみにウィキで今更ながら知ったのだが、「her/世界でひとつの彼女」の元妻キャサリン役がルーニー・マーラなんだ!なーる!
    さらにいえばキャサリンにはもとはキャリー・マリガンが候補だったとか。
    ビューティフルだがちょっと垂れ眼でキュートなところが似通っていて、これもまたなーる!
    ケイト・ブランシェット(1969生だから、16歳差!)はジーナ・ローランズ(「こわれゆく女」や「グロリア」)の危うさを連想したりもしたが、裸の背中の肉付きからは、ヘルムート・ニュートンが撮影したシャーロット・ランプリングの堂々としたヌードも思い出した。
    (はじめケイト・ウィンスレットと混同していたのは内緒)
    ちなみに友人役のサラ・ポールソンは同性愛者なのだとか。
    キューブリック版の「ロリータ」(ナボコフの原作でもエイドリアン・ライン版でもなく)を思い出したのは、モーテルやホテルを渡り歩く(車だから走る?)ロードムービーチックな要素があるから?
    年代もまあまあ似ている。

    前置き以上。
    しかし本編については、あらすじを超えて書くことはない。
    なぜなら画面に映るすべてが素敵なのだから。
    たぶん作り手としては時代を表す風景、調度、小道具、すべてに完璧を求めたのだろう。
    それが成功しているから、繊細で、上品で、素敵。

    それにも増して素晴らしいのは主演ふたりの演技。
    眼。絡み合う視線。煙草を持つ指。さらに音楽も加わって、内面が洪水のように表現されている。
    LGBTの文脈(当時同性愛は病気扱い)からも、女郎蜘蛛に絡めとられる少女すなわち悪女ものという見方からも、味わえる。
    ラストでスローになってカメラががくがくと上下するのだが、それで絡めとられるという印象を持った。
    いや凄まじいものを見たよ。

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