鴎外 闘う家長(新潮文庫) [Kindle]

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  • 以下抜粋
    ・明治の日本人にとって、なにかを「する」ということの手応えがいかに大きく、したがって、なにかをしなければならぬという脅迫感が、いかに大きかったかは現代の青年には分からない。

    ・ひと言でいって明治時代は政治的国家の猛烈な拡張期であり、国民の私生活がぎりぎりまでに吸収された時代であることはいうまでもない。「文明開化」という奇怪なスローガンは、文化がいかに政治によって手段化され、政策的な目的に動員されたかを端的に物語っている。

    ・日本が近代国家として形成されたあの特殊な二十年に、みずからの青春を完全に重ねて生きたのが鷗外であったといえる。

    ・彼のとるべき論法は当然ひとつしかない。
    西洋的な近代化が世界史的に不可避のコースであることを前提としたうえで、それがせめて日本人の内発的な要求であり、伝統文化の本質と矛盾しないものであることを証明することであった。

    ・注目すべきことは、彼がナウマンにむかっては「西洋化する日本」を弁護し、同胞にむかっては逆に西洋化のむなしさを説いたことであろう。
    いわば鷗外はことさら困難な立場を選んだのであって、それは西洋人に対して国粋の美を誇り、日本人に対して文明開化を教える啓蒙家の態度とは正反対のものであった。

    ・日本と西洋の対立を忘れた「世界市民」になることもできず、政治的国家を忘れた江戸趣味に身を投ずることもできず、そうかといって彼は観念的な愛国青年や国粋主義者になることもできないのである。

    ・考えようによれば日本の近代文学史は、実感としては容易に捉えられぬ自我を求めて、誠実にその観点と格闘しつづける精神の歴史であったといえるだろう。

    ・国家の秩序にたいする忠節は尽くしながら、彼はある種の官僚主義者にたいしては早くから敏感な嫌悪を見せている。自分自身はのちに軍医総監にまで進みながら、一方では、反国家の蕩児(とうじ)ともいうべき永井荷風に暖かい理解を示しもした。

    ・彼は自分の内部に「自我」(近代的自我)の手応えが感じられないことを歎き、しかも、その手応えなしに生きることは苦しいといっていらだっているのである。
    ~「永遠の不平家」
    鷗外は近代について深い知識を持っており、近代社会が彼に課して来る現実的な課題を担っていた。彼は、独創的な「研究」をしなければならず、個性的な「小説」を書けなければならず、西洋人の自我観というものを書物で読んで知っていた。そうして、それらいっさいの知識は「近代的自我」の存在を前提として求めていたから。鴎外はみずからの自然に反して、いわばこの脅迫観念に悩んでいたというべきであろう。

    ・基本的に、彼の日常や、生活の主調音をつくっているものは、いわば「勤勉なる傍観者」とでもいうべき人生態度であろう。

    ・まだ生意気盛りの学生の時代から、彼は祖母や母や妹や、いわゆる家庭の女たちと中身ある会話をする習慣を持っていた。仕事の話や文学の話、さらに人生上の突っ込んだ問題にいたるまで、伝統的な日本の男が女には語らないテーマが森家では家庭の話題になった。

    ・恋愛というものの痛烈な逆説は、相手を選びとり、創り出すこの能動的な心の働きが、他方において、相手に愛されるという完全に受動的な状態をめざしていることである。

    ・彼はエリスを極度に「父性」的に愛するあまり、無意識のうちに、彼女によって愛されることを拒んでいたと見ることができる。
    そこには、最初から、愛の逆説的な二面性が割り込んでくる空隙(くうげき)がありえなかった。
    そして、愛されることを望むこの受動的な側面が欠けたとき、その愛はけっして先に述べた愛の閉鎖的な世界を造ることはできない。なぜなら、純粋に能動的な愛はむしろ人類愛や家族愛に似るのであって、本質的に、より多くの対象を求めて外の世界へ開かれているものだからである。

    ・そういう豊太郎のまえに、あたかももうひとりの求愛者のように迫って来たのが彼の祖国という存在であった。実質的には、幼い明治国家が有為(ゆうい)の青年にむしろ助けを求めて近づいて来たのであった。

    ・小説「かのように」の五条秀麿は、この哲学を借りて道徳と啓蒙主義を仲介し、民族神話と科学的な歴史の関係を和解させようとする。
    ・ここで鷗外が抑え難い焦燥をこめて秀麿の口調に託しているのは、半ば以上、彼自身の内部にあるどうしようもない懐疑主義への不安だったにちがいない。

    ・人間はひとつの時代のなかで完全に孤独になったときに、最後の救いを歴史のなかのアナロジーを見ることに求めるものであるらしい。
    同じような状況のなかで、同じようなかたちを持った孤独を発見することによって、少なくともひとは自分の名状しがたい感情にひとつのかたちをあたえることができるからである。

  • 伊沢蘭軒を読みはじめ,その後,文京区の森鴎外記念館にも足をはこび,昔は縁遠いと思っていた彼の作品にも親しめるようになってきた.そこで読んだのが,この本.
    昭和47年に出版された著者の最初の長編評論.文庫版のあとがきで著者は「彼(森鴎外)は,あたかも作品のように自分の生活を作る人であり,作品のなかで確かめられた姿勢で,実人生そのものを生きる人だった」という.生涯の最後に史実を丹念にしらべ,その足跡を淡々と綴る「澀江抽斎」などの史伝を書いた気持ちがわかる気がする.そこにはもう作品の中で自己の姿勢を確かめる必要のなくなった深い孤独の世界がみえる.いろいろな気づきはあるものの全体としては冗長で,森鴎外がなぜ多くの人に読まれないのかを謎解きしている感じである.
    それにしても,こういう文章(評論)は Kindle には不向き.一ページに入る情報量が少なすぎて,段落のつながりとか,論理のつながりを見通せない.簡単にページをパラパラめくれないのも不便.
    さて余談.山崎正和といえば私たちの世代の大学入試の国語の問題の定番だった.もう少し前は小林秀雄で,より現代に近い方では鷲田清一だろう.この本を読みながら,いくつも現代文の設問を思いつく(我ながら変わった読み方だ).問題が作りやすいのだ.通常ではみない気取った表現に棒線をひいいて,それを言い換えているところを探させるとかね.あれほど売れっ子だった山崎正和.これからも読み継がれていくだろうか.

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著者プロフィール

1934年生。京都大学大学院博士課程修了。中央教育審議会前会長。大阪大学名誉教授。『世阿弥』河出書房新社 1964年、『鴎外 闘う家長』河出書房新社 1972年、『文明としての教育』新潮新書 2007年など

「2010年 『「教養」のリメーク』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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