『アルファ・ラルファ大通り 人類補完機構全短篇 (ハヤカワ文庫SF) 』の一篇として読んだ。が、うーん、という感じ。
# ■『クラウン・タウンの死婦人』
短編集の第一篇。
「補完機構」が人類を管理している社会で、何不自由ない暮らしを送る「真人」と、動物から改造され真人のために尽くすよう設計された下級民(ホムンクルス)とがいる。他に、補完機構官僚の死後人格が移された機械なども。
物語は、犬娘ド・ジョーンが下級民を率いて革命を起こす一幕を、それらがおとぎ話となっている遥か未来から回想して描く、という形式。
形式は面白かったが、描写はなんというか陳腐にも思え、人物もよく覚えられないし、いかにも「古い海外SF」(独特の世界観が当時は受け入れられたんだろうけど今読んでもおもしろくない)という感じでキツかった。ストーリーにも特筆すべき点は無し。
どうやら補完機構シリーズは確立したシリーズらしいが、それを読者が知ってる前提で「これはあの、あれに関する、あの!」みたいに単語だけで驚かれる前提で書かれていて、知らない自分としてはシラケるしかなかった。
# ■『アルファ・ラルファ大通り』
『クラウン・タウンの死婦人』と違って、こちらはこの短編だけでも独立して楽しめたので安心した。
死や感情すらも完全管理された社会が終わり、人々が人間らしさを取り戻した、と思われる世界。主人公は旧時代の「フランス人」となり、当時の人間的な生活を追体験している。そこに、幼なじみと思われる女性と再会し、二人は恋に落ちるが、女性はその恋心が設計されたものではないか、と疑う。
誰も近づけないはずの塔には、予言できる謎の機械があり、主人公と女性はそこを目指そうとする。アルファ・ラルファ大通りと呼ばれる廃墟を通って高空へ。大通りは全く自動化されておらず、気象もコントロールされていないため雨も降る。
主人公たちは予言機械に到達するが、女性はその岐路で落下してしまう。主人公はク・メルという謎の猫娘に助けられるが、もうアルファ・ラルファ大通りにも、予言機械のところにも行きたいとは思わない。
というあらすじ。自由意思を問うテーマはいまだと古びて感じられるが、当時は新しい提題だったのかもしれない。
それよりも、完全管理社会(それはユートピアとして描写されるが、まるで文明の氷河期のようにも感じられる)が解け、自由を取り戻し始めたばかりの社会、という描写は新鮮に感じた。ディストピアを描いた物語はたくさんあるが、本作は「その後」を描こうとしている。
アルファ・ラルファ大通りや予言機械の廃墟感、超文明がさらに忘れらて機構だけ残った感もおもしろかった。
が、小説として楽しめたかというと微妙。まあ名作ではあるらしいので、一度読めといてよかったかな、という感じ。解説をざっと見ると、コードウェイナー・スミスの世界観はSF好きでもとっつきにくかったりするようなので(それでも読むと世界観に引き込まれるらしい)、まあ玄人向きということなのだろう。