本書が冒険するのは、ホモ・サピエンスの歴史であり、人類の歴史ではない。なぜなら、ホモ・サピエンスは唯一の人類ではないからだ。ハラリは「歴史学は、過去についての学問ではない。変化についての学問である」と述べる。そんな彼は、「認知革命」「農業革命」「科学革命」といった3つの革命的変化を中心に、ホモ・サピエンスの歴史を展開する。(上巻では、このうち「認知革命」と「農業革命」までの歴史を扱っている。)
ではまず、認知革命とは何か? 人類は認知革命で、次の3つの新しい能力を得た。1.ホモ・サピエンスを取り巻く世界について、以前よりも大量の情報を伝える能力。2.サピエンスの社会的関係について、以前よりも大量の情報を伝える能力。3.部族の精霊や国民、有限責任会社、人権といった、現実には存在しないものについての情報を伝える能力。
客観的現実には存在しない「虚構」を想像力によって作り出すことにより、ホモ・サピエンスは、集団による協力関係のみならず、多様なゲームを編み出していった。ホモ・サピエンスは繁栄し、他の人類や多くの大型動物を絶滅させ、陸地の支配者となった。
次に、農業革命はホモ・サピエンスの何を変えたのか? 農業は、ホモ・サピエンスの暮らし方や生活、社会形態を根本的に変えた。まず、食糧の総量が増え、共同体の人口が爆発的に増え、やがては都市や王国、国家などの社会的枠組みを生み出していった。共同体が拡大したことで、神話や法、階級など、想像上の秩序が次々に生み出されていった。ハラリの議論の核となるのが、「客観的」「主観的」と「共同主観的」な秩序・現象の区別である。ハラリ曰く、「共同主観的」なものは個人同士のコミュニケーション・ネットワークの中のみに存在する。そしていったん集団の「共同主観的」な現実になってしまった「虚構」を消滅させるためには、より大きな「虚構」を生み出すしかない。
そのほか、農業革命によって、ホモ・サピエンスは、時間や数、文字、さらには貨幣などのツールも生み出していった。以上が上巻の大まかな内容である。
ハラリはとても抽象的なことを、これ以上ないほどわかりやすい言葉を用いて、具体例を織り交ぜながら議論する。とても面白くて、夢中になって読んだ。ただひとつ気になったことがあるとすれば、議論の節々に現れる彼のニヒリズムである。彼の主観的な感情や価値判断は、おそらく下巻のメッセージに繋がるのだと思う。下巻を読むのが楽しみ。
(2020, 7, 30)