恋する寄生虫 (メディアワークス文庫) [Kindle]

著者 :
  • KADOKAWA
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  • 超の付く潔癖症の男と脳に未だ正体が完全に定かならぬ寄生虫を買う少女。二人が出会い、恋に落ちる物語。有り体に言えば、『恋する寄生虫』はこうまとめられてしまう。しかし、二人の出会いは作為によるもので、偶然ではない。恋すら寄生虫の支配下にある。このような物語をどう読むべきか、いささか戸惑う。新たな寄生虫によるSFか? 新たな切り口で書かれたラブストーリーなのか?

    最近、特に映画(邦画)におけるラブストーリーのほとんどがこの展開のような気がしてならないが、「恋する二人」のうちの片方が――多くは女性の方が――病気で、それを支え合って懸命に生きる二人の愛がいつしか深まるが、同時にその恋は、病気ゆえに終焉に向かう。観る者、読む者の涙を誘う定番と言える展開だが、定番とはいえこのようなストーリーをなぞるような作品が手を変え品を変え跋扈するのはなぜだろう。あまのじゃくかもしれないが、こうも大量生産されたストーリーを見るにつけ、他の物語が読みたくなるのである。

    だから本作品も、定番の展開を出ていなかったのが残念である。序盤で主人公たる潔癖症の男が、やたら内省的な一人語りをするのもやや冗長に感じた。ただ、潔癖症であったり、寄生虫をおのが体内に飼いつつ寄生虫そのものに惹かれている少女だったり、そのキャラクター造形はすばらしい。それぞれの属性をうまくマッチさせた人物像になっている。

    こうした条件を活かして、作者曰く「引き算の倒錯」を描いたその試みは、本作品の中で十分に発揮されている。特に寄生虫を感染させないために、あるいは潔癖症に悩む主人公のために、マスク越しにキスをするといった二人の姿は、コロナ禍の今読んだだけに象徴的でもある。

    しかし、やはり恋を描くのに必ずしも病気や潔癖症といった属性を持ち込む必要はないと思う。できるなら、そうした条件を排した恋物語を読んでみたい。古い名作にはそのような話もあるけれど、今こそ、純文学ならぬ「純愛文学」を描いてもいいのではないだろうか。いつから「恋」と「涙」は一対の関係になったのだろう。多様性が叫ばれる現代にあって、恋物語のみが多様性を失っていく現状が少し寂しい。

  • 突然男から視線恐怖症の女子高生の世話を命じられた潔癖症の主人公
    やがて二人は徐々に惹かれ合うもそこには衝撃の事実が
    ‘私’の考えや思いは本当に‘私’のものなのか
    ‘私’は本当に‘私’なのか
    読後あらためて二人にとって何が正解で何が幸せだったのかを考えてみる

  • んーーー、悪くはないんだけど。この終わり方には、もう一捻り欲しかったかなー。
    内容的には中高生の学校図書館に問題なしです。

  • 一度、高坂と佐薙の関係が元通りになって幸せエンドかと思いきや、最後の最後で悲しい終わり方をしたので切ない気持ちになった。物語全体として、とても面白かったが、途中のメールのやり取りの部分が冗長だったので一瞬飽きてしまう要素があったのは勿体無いと感じた。

  • 読み直しはしなさそうだけど、面白かった。たまにはこういう終わり方もありかも

  • 友人に勧められたので読みました

  • 禁酒にせよ禁煙にせよ、無理何かを嫌いになろうとすると、かえってその魅力を高めてしまう結果に終わりがちだ。

  • シチュエーションはリアルとはいえない。
    10歳差の恋愛、性質、社会的立場、犯罪行為から結末まで、すべて行き当たりばったり、刹那的な要素の詰め合わせだといっていい。
    この物語に長期的な展望や、地に足の着いた生活は存在しない。
    転職をせず、しかし金銭面でとりたてて不都合しない主人公にも違和感を覚える。

    ただそれは、この世に絶望させられた主人公達が窮状に瀕しているがために、視野が狭窄してしまった結果と捉えれば納得はできる。

    唐突に、10代女性と親しくならざるを得ない理由を半ば強制的に与えられる点については、いささかご都合主義な導入といえる。

    そういった違和感さえ抜きにしてみれば、扱われているテーマは解りやすく、それなりに示唆的に思える。

    この作品の主題は、あとがきで著者も言及しているように、「刹那的な幸せ」であるといえる。
    主人公たちの恋は、紆余曲折ありつつも叶ったし、作中末ではピークを迎える。
    誰に操られるでもない、自らの自由意思で、プラトニックに互いを愛する。
    そこには中長期的な人生設計はなく、過去も未来もない。
    ただ一緒にいる時間が愛しいという、刹那的なピークがそこに横たわっている。
    高坂自身の目線で見れば、それは永遠かもしれないし、そうであって欲しいだろう。
    だが、寄生虫がまた元気になれば、この先の苦難は目に見えている。
    佐薙もまた、絶頂で以て終焉を描く覚悟で刹那的な幸福を噛みしめている。
    当人達はその刹那性に自覚的であって、またその中でうっすらと生を見据えている高坂とはっきりと死を覚悟している佐薙という構図には切ないすれ違いがある。

    副題は、「自由意思とは何か」だろう。
    ファンタジックな寄生虫によって、主人公たちは恋愛関係に結ばれた。
    物語の途中まで、主人公たちは自身に起きた人生の悲劇やその原因となった自らの性質について、明確な原因など求めもしなければ、抗いようのない問題として解決を半ば諦めていたといえる。
    そして唐突に訪れた恋愛をきっかけにして、原因が紐解かれる。
    その瞬間に、高坂の中でパラダイムシフトが生じる。
    この気持ちも、不遇も、生い立ちに関わる多くの事象が、寄生虫の意思によって動かされていたに過ぎない。そこに果たして自由意思はあったか、そしてそれを考え、自由意思を疑う自分自身に自由意思はあるのか。
    作中では、自らを操る存在を認識したうえで決定した選択は、自由意思にもとづく選択ではないか、といった趣旨の言葉で佐薙が高坂に問いかける。
    だがあらためて考えれば、あらゆることに原因を求めていけば、この世界は現代科学で解釈される物理法則に従っており、我々もまたその一部であることを考慮すれば、我々もまた物理法則の奴隷である。生物学的な文脈で、「生物は遺伝子の乗り物」というようなフレーズが用いられるのも類例といえる。
    たまたま作中では自由意思を操る存在として寄生虫に焦点が当たっているが、この世界に対する自分の行動は果たして自由意思にもとづくかという問題は、ファンタジックな寄生虫を仮定するまでもなく色々なレイヤで存在している普遍的なテーマだ。
    それが寄生虫というわかりやすいシンボルを設定することで考えやすく落とし込まれているといえる。

    総括すると、突飛に思える設定とは裏腹に、実は深遠なテーマが含まれている小説だったと言える。主人公たちの刹那的な生き方は、決して模範的ではないし、羨むようなものではない気はする。ただ一方で、何か人生においてこの一瞬が幸せだったと確信をもって終焉までもっていけそうな瞬間さえあれば、トータルとして幸せなのかもしれないと、そういう幸福の定義もあるかもしれないと思いなおす内容であった。
    この考えすらも自由意思ではないかもしれない(いや恐らくそうだろう)が、幸福ならそれでいいのかもしれない。

  • 面白かった。
    三秋縋の作品は終わり方が良いね。

  • ‬文章の煌めきはさほどなく、淡々と読み進めていった。それはぼくが「恋する寄生虫」の漫画を読み終わっていたことが原因だろう。ストーリー的にはとても完成され、理知的な文章でもあるし、ライトノベルのような装丁を覆した作品だと思う。美しい終わり方だったのか、そうではなかったのか読者に委ねられるだろう‬。

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著者プロフィール

WEBで小説を発表していた作家

「2015年 『僕が電話をかけていた場所』 で使われていた紹介文から引用しています。」

三秋縋の作品

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