宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を初めて読んだのは、社会人になってからでした。それを読むきっかけとなったのが、KAGAYAstudioが制作したプラネタリウム版の『銀河鉄道の夜』を観たからです(これも素晴らしかった!)
ではなぜプラネタリウムを見に行ったかというと、このplanetarianの配信版アニメを観た影響で、それから何度かプラネタリウムを鑑賞したためです。なので自分にとってこのアニメは星座のように、planetarian、プラネタリウム、そして『銀河鉄道の夜』につながっていった作品のように感じています。
核戦争と気候変動により人類の多くが死滅し、空からは常に有害な雨が降り続ける未来の地球。そこで物資を集め売りさばく通称「屑屋」の青年は、廃墟となった都市のデパートに侵入します。その屋上にいたのは非常用電源で稼働を続ける女の子型のロボットでした。
ほしのゆめみと名付けられたそのロボットは、デパートの屋上に併設されていたプラネタリウムを案内するためのロボット。しかしゆめみの言動や屑屋とのやりとりはどこかチグハグで、噛み合っているようで噛み合わない。
「壊れているのか」という屑屋の言葉に「少しだけ壊れています」「未知のバクが存在しています」とあっけらかんと答えるゆめみ。そして屑屋は流されるまま、ゆめみに付き合うことになり……
というのが配信されたアニメの大まかな流れ。そのアニメを再構成し、そして青年の老齢期と新たな出会いを描いたエピソードを追加したのが、この映画『planetarian~星の人』となります。そのため配信版アニメを観ていなくても、物語の理解には問題無いように編集されていたと思います。
圧巻なのが、プラネタリウムが投影されたときのゆめみのナレーション。ここに到るまでかなりのドジっ娘、天然っ娘ぷりを見せていたゆめみですが、いざプラネタリウムの投影が始まりナレーションを始めると、その頼りなさは消え失せます。
自分が初めて見たプラネタリウムは、小学生の時の授業の一環として見たものだったと思います。プログラムの上映前に上映当日の星空や、あるいは季節ごとの星空を天に写しながら、星座や神話の話をゆったりと解説され、
その語りのリズムと、星の光だけの暗闇という状況で、催眠術にかけられたように、スーッと言葉が自分の中を流れていった感覚を覚えています。
planetarianの投影シーンを初めて見たとき、その不思議な感覚が蘇ってきたように思います。
ロボットらしいイントネーションをわずかに残しつつも、自信と感情に溢れたナレーションを続けるゆめみ。それを聞いていた屑屋は「今この世界において彼女は万能の語り部だ」「星空は彼女の庭であり、王女も勇者も怪物も神々も彼女の思いのまま。恭しくかしづき、めいめいの役柄を演じている」と評し、彼女の語る星の世界に吸い込まれていきます。
屑屋の言う吸い込まれる感覚も、アニメを観ていた自分は感じました。ほしのゆめみというロボットが、アニメの中の架空の存在ではなく、本当にこの世界に存在しているのではないか。そんなふうに思った記憶もあります。このシーンを観るたびにプラネタリウムを見に行きたくなります。
デパートの非常用電気も底をつき、街を出ようとする屑屋と、世界の状況を認知せず屑屋をお客様として扱い、街の外まで見送ろうとするゆめみ。広がる廃墟と降り続ける雨。そして屑屋はゆめみにある提案をするのですが……
「少しだけ壊れている」「未知のバグが存在している」
ゆめみの言葉の意味が分かった時、苦しくなるほど胸が締め付けられ、そして屑屋がゆめみにかけた言葉に、そして語られるゆめみの願いに、言葉に言い表せない感情があふれ出ました。
映画版ではこうした物語が回想として語られ、現在のパートでは屑屋は“星の人”と呼ばれています。そんな彼が行き着いた集落での生活と、子どもたちとの触れ合いが主に描かれます。
厚い雲に覆われ星どころか、月や太陽でさえ見ることのできない地球。そんな中で星の人に導かれ、子どもたちが手作りのプラネタリウムを作り、初めて見る星空に感動し、思いを爆発させる場面が強く印象に残っています。
今の自分たちが生きている世界では、特別なものではない星空。しかし屑屋や子どもたちにとっては、それはプラネタリウムという空間を通して初めて見る美しいものでした。このことを思うと自分たちの普通は、奇跡の上で成り立っているのかもしれないとも思います。
コロナウイルスの影響で日常があっという間に崩壊し、新常態という言葉をちらほら見かけるようになった今の世界を思うと、planetarianの世界も自分たちの世界も、紙一重なのだと感じます。それは影に覆われた暗い世界のように思えてしまいます。
しかし、一方でゆめみのプラネタリウムも思い出します。神話の話を終えた後、宇宙へ旅立つ人類の物語や未来の星空のことを語り、そして未来と人類の希望を信じたゆめみのことを。
屑屋もとい星の人に起こった最後の奇跡。初めてwebアニメを見たのが4年前で、それからもたまに見返していた自分にとっては、この映画版planetrianを観ることで物語に本当の区切りをつけることができたように思います。そして鼻をすすりながら、星の人とゆめみに思いはせることができました。
コロナウイルスが落ち着いたら何をするか。プラネタリウムは最近すっかりご無沙汰になっていたのですが、それを観にいくことは確定だなあ。