- Amazon.co.jp ・電子書籍 (509ページ)
感想・レビュー・書評
-
素晴らしい本であり、力作である。生贄の意味がこのようなものであるとは考え到らなかった。しかし、この本は、西洋第一主義に貫かれておりアジアの歴史や考え方は斟酌されていない。解説にキリスト教云々が書いてあったが、もう一つ意味が分かりにくかった。新教と旧教の関係の知識があまりないためであると思う。現代の虐待や差別に対する考え方について、今のように科学的に考えただけでいいのかという疑問が浮かんできた。
○神の体を食べることで、神の属性と力を分け与えられる。
○ディオニュソスのようなブドウの木の神の儀式でブドウ酒を飲むことは、享楽の宴ではなく、厳粛な聖餐なのである。
○人間もしくは動物の神を殺すという風習は、その聖なる命を年齢ゆえの衰弱から救うことが目的であった。
○彼の聖なる命は、衰えを知らぬ力によって後継者に移し替えられ、その若さを更新し、かくして強壮な化身たちの間で連綿と受け継がれてゆく、永遠に活力を備えた若い命であり続けなければならないからである。
○最初の掟は、聖なる人間は大地に足を触れてはならない、
第二の掟は、聖なる人物の上に太陽が降り注いではならない
○儀式は神話の親になれても、神話の子となることはできないのである
○オーク崇拝は、ヨーロッパのアーリヤ民族の主だった分派すべてに見られたことが立証されている。
○奥深く秘められた生命と信仰に関わる一切のものについて、蛮人は過度に猜疑心が強く、また無口である。ヨーロッパ人は、彼らの間で数年暮らしたところで、彼らの信仰でもっとも重要な部分は発見できないし、ついには発見したとしても、それはしばしば偶然の産物である。
○「森の王」はアーリヤ人の至上の神の化身として生き、死に、その命はヤドリギ、すなわち「金枝」に宿るものであっ
○近代の教養ある西洋人は、たとえ類似の「迷信」にいまだ捕らえられているとしても、その論理的な認識のレベルは、少なくとも「未開人」のそれよりは優れている、そして、その論理的誤謬は、さらなる知的「進化」のもと、いずれは克服されるであろうということが前提されている。詳細をみるコメント0件をすべて表示