史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち (河出文庫) [Kindle]

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  • ・西洋哲学は「反論を繰り返して、究極の真理に向けて登っていく」のに対し、東洋哲学は「特定の人によって到達された真理があり、後世の人がその考え方や言葉を解釈」するもの。
    ・東洋哲学では、実際に強烈な体験、悟りの経験をしない限り、真理の知識を得た、だけでは、認められない

    ▪️インド
    ①ヤージュニャヴァルキヤ B.C.650~550. 「梵我一如」
    ・梵我一如:「世界を成り立たせている原理(梵:ブラフマン)」=「個人を成り立たせている原理(我:アートマン)」
    ・アートマン(私)とは、認識するもの(認識主体)である
    ・無限遡行によって、「認識するものは認識できない」という結論に達する
    ・アートマン(私)は決して認識対象にはならないのだから、アートマンは「〜にあらず」としか言えない→私は決して破壊されることもないため、この世の不幸は消え去り、自己は史上最強無敵の存在となる

    ②釈迦 B.C.500頃 「無我」
    ・中道:悟りと苦行には何の因果関係もない。それどころか障害になりうる
    ・苦行から離れた釈迦は、菩提樹の下で瞑想を続け、真理を悟り仏陀となる
    ・四諦=四つの真理:苦諦(苦という真理。老病死からは逃れられない)、集諦(苦の原因という真理。それは執着)、滅諦(苦の滅という真理。執着をなくせば良い)、道諦(苦の滅を実現する道:苦しみが消えた究極の境地に達する道がある)
    ・八正道:人間が正しい生き方を実践するための8つの方法
    ・無我:「アートマン(私)は存在しない」=「私」は概念化できないもの
    ・縁起:「あらゆるものは、必ず何らかの縁によって起こって生滅を続けており、永遠不変のものとしては存在しない」

    ③龍樹 150~250. 空の哲学
    ・大乗仏教
    ・縁起こそが仏教の要所と考え、それを空の哲学として洗練させ、般若経をまとめた。般若心経は般若経を262文字に凝縮した経典
    ・「空の哲学」 般若心経の色即是空、空即是色。存在には実体がなく、あらゆる現象、物事は相互の関係性で成り立っている。「存在している」と認識しているものは、区別するからこそ存在するだけであり、実体があるから存在しているわけでない
    ・通俗的には、般若心経は、上記のように物事は実体がなくはかないものだから、執着しないでいいよと教えてくれる、と解釈されている。
    ・実際の般若心経では、あらゆるものがないと「実体がない」ことを「存在しない」と論をすすめている。存在のみならず、悟りや、四諦や八正道まで否定してしまう。つまり、あらゆる事象は分別によってそういう風に切り取ったから存在しているにすぎない、すなわち関係性のなかでなりたっているにすぎない実体のない「空」とする。分別がない世界(つまり、言葉を覚える前の赤子の世界)にはあらゆるものが存在しない。最後まで、「自分」と「他」の区別はあるが、それすら克服するためには「自我の崩壊」「自己の死」を乗り越える必要があり、そのさきに悟りのきょうちがある

  • 西洋編に続きこちらも数ある哲学入門書の中では今のところ最強でしょうかw 
    ウパニシャッドから禅思想まで枝葉末節を極力省き東洋哲学の到達点、とりわけ「悟り」の手前まで示してくれています。
    両方併せ読むと西洋哲学の到達点と東洋哲学の到達点が似通っているのがとても興味深いですね。ここからさらに頭でっかちから「悟り」へ、西洋哲学の限界を超えるため仏門に入るのもよし?w
    怪しげな新興宗教にハマるぐらいなら、その前にぜひ読んでほしい一冊。

  • 表題の通り東洋哲学についての解説である。

    具体的には、インド、中国そして日本である。

    本書の初めでも触れているのように、東洋哲学と西洋哲学とではそもそも考え方が全く異なる。
    西洋哲学の「哲学」の方法は古代ギリシャ演繹的な方法によって理論を構築していき、「真理」に到達する。
    すなわち、絶対的に疑いような無い事からスタートしてA=B、B=CゆえにA=Cという3段論法によって心理を追及していくのだ。
    Descartesなんかは最初の出発点として「われ思う、ゆえにわれあり」ということから出発して彼の哲学を展開したのだ。

    これは「理性」によって世界のすべてを理解でき、解き明かせるという考えに基づく。
    この考え方は科学との親和性が高く、西洋の方が科学技術が発展した理由の一つであるように思う。

    一方で東洋哲学はどうであろうか。
    東洋哲学は西洋哲学と同じように「真理」を追究するという目的は同じであるが、アプローチは180度異なる。
    すなわち、東洋哲学はある日、ある人がぱっと目覚めて真理を発見して、こーゆものだ!ということからスタートする。
    でも、これだと(誰もが思うけれど)その目覚めた人の思考を追うことができない。
    その思考を追うために、あーでもない、こーでもないといろいろ考えて(時には苦行という実践)真理に到達する方法を構築していく。


    筆者の説明はわかりやすいけれど、重要なのは哲学をどのように日常に活用するか、という方がが問題なのだと思う。
    だって悟りを開いても明日から天才になるわけではなく、お金持ちになるわけではない。結局、時間は流れていくし悟りを開いていてもいなくとも何も変わらないのだ。
    別に私はお坊さんになりたいわけではなく、哲学を研究したいわけでもない。
    結局、何か嫌なことがあったり、苦しい時、どうやってこれを和らげるかという問題に解決策を与えるものが哲学なんだろうと思う。

  • ーー本書を「哲学の入門書」と言って良いのだろうか?

    インドを出発点として、中国、日本と東に向かって伝来し、哲学とも宗教とも政治学とも呼べる「混ぜこぜの思想」に洗練され継承されていく歴史を一冊にまとめた意欲作。飲茶さんの前作「西洋の哲人たち(こちらの方が漫画「刃牙」の闘う男たちの世界観が強い)」より心に深く響いた。

    個人的には日頃から仏教の考え方に共感しているので関連書籍(「#0400Rb.仏教」でタグ付けしてる)をよく手に取るし、毎日心の健康のために10分程度の瞑想もする。でも読む度に”なるほど!”の背中にもっと深い”モヤモヤ”が広がるのを感じてきた。毎年正月には親や兄妹と一緒に先祖のお墓がある寺に年始挨拶をしに行って住職の説法を聞かされるのだが、そこで積もり積もってたモヤモヤがいつも爆発する。何なんだ、この茶番は!と。時々テレビで放送される禅寺のドキュメンタリーや高僧のインタビューにも同じ印象を持つ。それは、浅い表面をなでるようなやさしい言葉ばかりで、PoPミュージックとさして変わらない。

    でも本書で、歴史を通じて特に仏教が果たしてきた役割や、時代の為政者(日本では徳川幕府)の仏教政策が解説されており、ついにこのバカバカしさの正体を理解することができた。

    つまるところ「嘘も方便」ということだ。

    言葉で相手の頭の中にクオリアを発現させることができないし、またそれをこちらで感知することもできない。だから相手を観察してその時々(TPOだけでなくローカル性や時代性など含めたコンテキスト)に合わせた最適な言葉で表現しているということ。そこに嘘があっても良い、というか嘘を混ぜることでしか表現できないということ。だからどの仏教僧も「パッと見、優しい詐欺師」であったり「昔気質の職人(ワシの背中から技を盗め!みたいな)」に見えていたのだ。彼らもそれを知りつつ、あえて演じていたからと知った。これまで読んだ仏教関連本で最も生日が多い本だった。

  • 体験的悟り。悟りは論理ではなく、体験でしか得られない。それはとてもわかる。悟りだけではなく、いろんな気付きや学びも体験や経験をすることで体にしみこんでいくと思っている。
    だから自分の経験をいかに言葉でまわりに説明しても、最終的には一度それを経験してみてという話になる。その経験する場を提供していきたい。

    禅も瞑想も体験的方法。

    ヤージュニャヴァルキャ
    梵我一如、自己の探求、なにもない。

    釈迦
    無我。わたしは存在しない。体験的理解。まわりくどい言い方。ひとりひとりにあわせた助言。

    龍樹
    空の哲学。すべては実体がない。相互作用。人による意味付け。

    孔子
    仁、礼、不遇の人生。

    墨子
    兼愛、強肉弱食、弱きものを守る

    孟子
    性善説、仁

    荀子
    性悪説、礼

    韓非子
    形名参同、法、実際にやったことと言動の照合

    老子
    無為自然、万物は道から始まる

    荘子
    万物斉同、言葉によって境界がうまれる、文章好き、老子の考えをわかりやすく書く

    東洋哲学はうそである。ウソも方便。

    親鸞
    他力本願、弱者救済、

    栄西
    公案、なぞなぞ、思考の停止からの悟り

    道元
    只管打坐、ただ座る

  • おもしろかったです。釈迦や龍樹、孔子、親鸞、栄西などあまり哲学者というイメージはなかったですが、見方が変わるきっかけになりそうです。老子が一番意外でした。高校時代に読んでいれば、中国史をもっと理解できたかもしれません。

  • 西洋編から続けて読了。
    理論を積み上げて世界を説明し、その要素として自己の探求へとたどり着いた西洋哲学と異なり、内面への問いかけから自己と世界の在り方を見出だす仏教思想の難解さを知ることのできた一冊。
    東洋の哲人たちと題されており、インド哲学、中国哲学、日本哲学と章立てされているものの、その実仏教が老荘思想を経由して日本に伝来し、禅という流派の一定の完成を見るまでの過程の解説が主。
    ただ、中国哲学だけは孔子~韓非子で諸子百家と中華思想の成り立ちの話になっており、少し毛色が違った。各王朝でどのような思想が尊ばれたなどを垣間見ることができたものの、文脈としては不思議だなと思ったり。
    前著と合わせて、はじめの一歩として読むには取っつきやすい本だった。

  • 「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」(飲茶)を読んだ。
    たまらなく面白い。
    昔からの僕の憧れは、十牛図でいうところの第七図「忘牛存人」状態。嗚呼、あそこに辿り着きたい。
    この本で衝撃的だったのが、『二一世紀を代表する偉大な哲学者である江頭2:50は、(後略)』(本文より)って⁉︎

  • 刃牙ファンが書いた東洋哲学者の紹介本。表紙とまえがきこそ刃牙成分多めだが、中身は刃牙を知らずとも全く問題ない。ちょっと独特な文章が差し込まれていたら、それは何らかのパロディであると思っておけばいい。

    前作と同様に分かりやすくはあるのだけど、肝心の教えに対して納得がいかないから困る。著者曰く、西洋の哲学は階段型とでも言うべき形で、論理によって真理に近づこうとする営みである。対して東洋の哲学はピラミッド型で、まず釈迦などの開祖が真理を悟り、それを弟子たちが解釈しようと努力するという形を取る。しかも真理に到達するためには論理ではなく、体験としての「悟り」が必要だという。なので言葉だけでは真に理解できない、と。

    論理や言語で表現できず、体験でしか理解できない物事があるというのはいい。しかし、開祖の到達したという真理とやらが、正しいという保証はどこにあるのか。それが不明なため、結局は宗教だよなという気分にしかならない。これは著者に問題があるのではなく、東洋哲学そのものに問題があるのだろう。東洋哲学は知識として追い求めるのはいいが、自分で追求するものではないなと改めて思った。

  • 東洋の思想家や哲学者をまとめた本。
    一冊目は西洋で今回は東洋。

    西洋以上にありそうで無かった本。
    西洋のときもそう思ったけど、東洋の思想家をこれだけわかりやすくまとめる著者の力量はすごいな。。

    インド ⇒ 中国 ⇒ 日本という章で進んでいくが、インドで生まれたウパニシャッド哲学が釈迦・龍樹を経て、中国で老子・荘子と融合し、最後に禅として完結する、という流れが素晴らしくて美しい。

    漫画「キングダム」に登場する法家の李斯(りし)も登場する。
    あとは孫子を登場させて欲しかった。けど、「悟り」という軸で話を進めるならば、孫子は必要ないもんね・・残念。

    西洋と東洋の哲学者達を薄く広く眺めて、とりあえず哲学を学ぶスタート地点には立った。あとは、興味ある人物の個々の本を読んでいこうと思う。

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著者プロフィール

東北大学大学院修了。会社経営者。哲学や科学などハードルの高いジャンルの知識を、楽しくわかりやすく解説したブログを立ち上げ人気となる。著書に『史上最強の哲学入門』『14歳からの哲学入門』などがある。

「2020年 『「最強!」のニーチェ入門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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